あなた⇒「あんた(京都方言)」「おまん(江州弁)~「方言」の多様性

「ことばは地域でグラデーションに変化するんだな~」と実感したことがありました。以前、京都駅から各駅停車で母の実家がある米原駅へ行った時のことでした。

 

京都駅から滋賀県の米原駅に行った

 

最初、車内で聞こえてくる話し声は、京都とほとんどかわらない響きでした。ところが、草津を過ぎたころから少しずつ、それが変わってきたのです。米原が近づくにつれおまん」「~してやるで」のような、江州独特の音の響きが混じるようになってきました。


今考えると、大津や草津などは、古くから京都との往来が盛んで、これらの地域の方言は京ことばや京阪式アクセントの影響を非常に強く受けて「京ことば」とほとんど変わりがありません。

一方、彦根や米原などがある湖東地域は、京都からの距離が離れるにつれて、独自の江州弁の色合いが濃くなるのです。

その時、車内で聞こえてくることばの響きからそれを実感したのでした。

 

母は滋賀県米原市出身で、父と結婚して京都に来ました。


私が小さい頃、母が「あなた」のことを「おまん」と言ったり、「悪いことばっかりして、怖い『ほん』!」とことばを強めたい時、語尾に「ほん」をつけてたことを思い出しました。

けれど京都での暮らしが長くなるにつれ、母の口からそうした江州弁が出ることは、ほとんどなくなったのです。

また、専門学校を卒業するまで京都で育ち、東京で就職して長くそこで暮らしていた従兄が関西に帰ってきた時、従兄のことばが、関西弁でもなく、標準語でもなく、違和感を覚えました。

東京で暮らすうちに話し方やイントネーションに影響を受けたのでしょう。

 

関西弁?標準語?

 

ことばは歴史の中でも大きく移ろってきました。明治維新のころまで、藩は国のような存在で、方言はその国のことばだったのです。

明治になって、交流が活発になった当初、たとえば、九州の人と東北の人との会話が成立しないほど……。井上ひさしの『國語元年』を思い出しました。時代が変わると、ことばも時代とともに変わるのですね。

交通や経済の発達がことばの標準化を進めてきたのだと実感します。

 

私は昭和36年生まれで、子どものころテレビはありましたが、インターネットもスマホもコンビニもありませんでした。

当時、ゆで卵を「にぬき」、とうもろこしを「なんば」、うなぎを「まむし」と言っていました。祖母がおでこを「でぼちん」、お灸を「やいと」、お尻を「おいど」と言っていたのも覚えています。

 

ゆで卵を昔は「にぬき」と呼んでいた

 

ことばは時代や人びとの生活に合わせて姿を変えるのです。

明治生まれの祖父母と同居していたので、祖父母の京ことばは理解できましたが、自分自身は使いませんでした。

それに気がつくと、私もいつの間にか、「にぬき」も「なんば」も「まむし」も使わなくなっていたのです。

 

方言が使われなくなり、標準語を使う方が効率的だと感じ、「方言のメリットとはなんだろう?」と思いはじめました。

その時、東京に遊びに行った時、関東の友人たちに「必死のパッチ」や「遠慮のかたまり」という関西独特の表現が通じなかった時のことを思い出しました。

  

東京では「必死のパッチ」も「遠慮のかたまり」も通じなかった

 

関西人の私は、やっぱりものすごく必死な時は、「すごく必死だった」と言うより、「必死のパッチやった!」というのが、必死さをよく表しています。

また、たとえば大皿に一つ残った料理を「みんな遠慮して食べないんですね」というより、「遠慮のかたまりやね~」と言った方が、その時の状況をより表しているように感じます。

これらの関西独特の言い方が標準語よりも「必死さ」や「遠慮している状況」をより的確に表していると感じるのは、方言が持つ深い表現力ではないでしょうか?

方言のメリットは他にもあります。たとえば、同じ方言を話す人同士は、初対面でもすぐに打ち解けることができます。

これは、ことばを通じて「私たちは同じ共同体の一員だ」という意識が生まれるからです。方言は、人と人との心理的な距離を縮め、深い信頼関係を築く上で大きな役割を果たします。

 

「優しく響いて上品だ」と人気がある京都のことばも、少しずつ変化して標準化されています。

けれど「お豆さん」「お芋さん」といった、ものに「お」や「さん」をつけたり、「〜しゃはった」「言わはった」「きゃはった」のような、やわらかく優しい響きは、残ってほしいです。

最近は吉本の芸人さんのことばが「関西弁」と思われがちですね。吉本の芸人さんの関西弁は、スピーディーでコミカルな魅力がありますが、それがすべてではありません。

関西のそれぞれの地域の方言は、また違った穏やかさや優しい響きがあるのです。

 

方言は、人が生まれ育った土地の歴史や文化を物語る「ことばの文化」です。方言を話すことは、自身のルーツを確認し、個人のアイデンティティを形作る上で重要な要素となるのです。

また、方言を守り、使うことは、その土地への愛着や誇りを育むことにもつながります。

ことばは生き物です。土地や時代、人との関わりのなかで変わり続け、ときに消えていく。


ことばは単なる音ではなく、文化や人生を映す小さな物語。標準語と方言のグラデーションを感じるたびに、ことばの奥深さを改めて思うのです。

 

ことばの奥深さを感じる

 

標準語がコミュニケーションの効率性を追求することばだとするなら、方言は心の豊かさや人間関係の深さを育むことばと言えるのではないでしょうか?

標準語と方言──どちらも私たちの暮らしを支える大切なことば。だからこそ、標準語と方言のグラデーションにある豊かさを、これからも感じていきたいと思います。

(あなた⇒「あんた(京都方言)」「おまん(江州弁)~「方言」の多様性:村川久夢)

 


 

*【ああ、京都人】京都ではなぜ食べ物やあいさつに「お」や「さん」をつけるのか? 

 

*「にぬき」って知ってる?~ことばに込められた地域の歴史と魅力~

 

* ああ、「パッチ」違い~「必死のパッチ」の意外な語源

 

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