村川久夢の新著:『50才から夢を追いかけてもいい5つの理由』

こんにちは。

作家でインナーチャイルドカードセラピストの村川久夢です。

この度、私の二作目の著書

 

『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』

を出版しました。

  *電子書籍(Amazon Kindle「読み放題」に登録されている方は0円でご購読いただけます。一般価格は550円です)下記ボタンよりお申込み下さい。

*紙の本は、1,000円(送料込み)です。下記ボタンよりお申込み下さい。

 

 ✿村川久夢からのメッセージ✿

「もう年だから……」

そんな思いに、あなたは囚われたことはありませんか?

あるいは、

「才能もないし」

「どうせ私なんて……」

と思ったことは?

この本を読んでくださっているあなたは、50代でしょうか? あるいは「もうすぐ50代、ああ嫌だ」と思っおられる方でしょうか。

もしあなたが50代あるいはそれに近い年齢だとしたら、多かれ少なかれ、次のような症状を抱えておられるかもしれませんね。

体力が衰えてすぐに疲れ、更年期障害もつらい。膝や腰に痛みがあり、老眼がどんどん進んで目が見えにくい。それに、過食していないのにすぐに太ってしまう……。

こんなにありがたくない変化ばかり起これば、それは「もう歳だし」と色々なことを諦めてしまうのも無理はありません。

「50代なんて人生の果(はて)」昔の私は本気でそう思っていました。

でも、本当にそうなのでしょうか?

こんにちは。心の制限を外す作家・セラピストの村川久夢(むらかわくむ)です。私は1961年生まれ、この本が出る2020年はギリギリの50代です。

作家になる前は、中学の教師でした。夫に先立たれ、うつが悪化して教師を辞めた時、私は50才でした。

でも、私が自分の夢を自覚し、夢に向かって歩き始めたのもまた50代になってからでした。そして「50代は十分に夢を実現できる年代だ」と身をもって実感したのです。

本書『50才から夢を追いかけてもいい5つの理由』は、タイトル通り50代から夢を追いかけられる5つの理由について書きました。

  • 1)50代はあなたが思っているよりずっと気力も体力もありますよ、大丈夫!
  • 2)50代はあなたが生きて来たなかで培ったあなたならではの財産が実はたくさんあります
  • 3)50代は子どもや夫のためでなく自分のために生きられる年代です
  • 4)50代はつらいできごとから立ち直った経験が人の役に立てます
  • 5)50代で夢を叶えられることを先人たちも証明してくれています

私はこの本を書きながら、年齢による諦めや、心にかかった制限や思い込みが、どれほど多くの人の可能性を奪っているかを感じずにいられませんでした。同時に、心の制限や思い込みを外せば、可能性は無限であり、夢は叶えられるのだと強く感じました。

この本に書いたエピソードは、老年になってから大成した偉人カーネル・サンダースとグランマ・モーゼスのエピソードを除き、すべて私自身や私の身近な人の経験です。つまり、ごく普通の人が夢を叶えたお話です。私にもできるかも!やってみよう!」とあなたに感じて頂けると思います。最終章の6章では、具体的に夢を叶える方法についても書いています。

あなたがあらゆる制限や思い込みから解き放たれ、夢に向かって歩き出すキッカケになることを心から願っています。

✿こんなあなたにオススメ✿

*自分の夢を見つけたいあなた
*これからどう生きたら良いか模索しているあなた
*自分の強みや長所を見つけたいあなた
*夢を叶えるための具体的な方法を知りたいあなた
*「どうせ私なんか」という思い込みを外して、限りない可能性を実感したいあなた

 

それでは新著『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』の目次、それにひきつづき新著の1章1項~4項を公開します。

 

✿目次✿

まえがき

第1章 50代はあなたが思っている以上に気力・体力にあふれている(目次に続き、本ホームページにて公開中!)

(1)不器用だから手芸は苦手という制限を外してベストを編み上げた

(2)運動は嫌い、体力もないという制限をはずしたらヨガで健康&スリムに

(3)音楽は聞くのが専門という制限を外したら人前で歌唱を披露できた    

(4)50代で初恋なんて恥ずかしいという制限を外したら最愛のパートナーができた      

第2章 50代はこれまで培ってきた目には見えない財産がたくさんある

(1)ネガティブな思い込みを外したらたくさんの財産が見つかる
(2)「ある」と信じて探してみたら思いもよらない財産があった

第3章 50代は子どもや夫のためではなく自分のための人生をはじめるとき

(1)いい母でなくてもいいやん
~夢を持って生きる母の姿を見るのが子どもは嬉しい
(2)いい妻でなくてもいいやん~夫を「何もできない人」にしてもいいの?
(3)自分を育てる年齢になったんや!
~人の期待に応えるため生きるのはもう終わり~

第4章 50代はつらかった経験からの学びで人の役に立てる
(1)つらい出来事から復活した経験が人を癒せる
(2)人の言葉に傷ついてきたから多様な価値観を受け入れられる

第5章 50代以降で夢をつかんだ人たち

(1)65才でケンタッキーフライドチキンを起業したカーネル・サンダース
(2)75才で絵筆を執ったアメリカの国民的女流画家 グランマ・モーゼス
(3)70才で大学に入学し無事に卒業した「普通のおじいさん」

第6章 50代で夢をかなえる最初の一歩を踏み出す方法

(1)ノートに自分のやりたいことを書き出し、人に自分の夢を語ってみる
(2)夢を実現するために「小ゴール」を設定する
(3)夢を実現するためにブログで発信してみる
(4)ブログやSNSを通じて人と交流する
(5)夢を叶えるために会いたい人に会い、行きたい場所に行く

あとがき

 

 

  

<新著1章公開中>

第1章 50代はあなたが思っている以上に気力・体力にあふれている

 

1項:不器用だから手芸は苦手という制限を外してベストを編み上げた

 

私は編み物、特にかぎ針編みが大好きで、いつもチマチマ何かを編んでいます。「久夢さんは器用ですね。私も編み物をしてみたいけれど、不器用だから……」とよく言われます。

でも私は、特に器用というわけではないんです。むしろ不器用な方です。私が器用に見えるとしたら、私にとって編み物が楽しくて、夢中でたくさん編む経験を重ねたからだと思うのです。

あなたにも、興味はあるのに「私にはできない」と思い込んでいるものはありませんか?

50代は、それにもう一度挑戦してみませんか?

<不器用というレッテルを自分に貼ってしまった>

私の母も、同居していた父方の祖母もとても器用で、縫い物も編み物も上手でした。でも残念なことに二人とも教えることは、得意ではなかったようです。

幼い私が、母や祖母の編み針を借り、余り毛糸で何かを編もうとしていた時のことです。幼い子どもが初めて何か編もうとしているのですから、編み方もわからず、上手に編めるわけもありません。それを見た祖母は、「あ~!下手!下手くそ!こんなどんくさい子は見たこともない!」と激しくけなしました。

それを見た母が、とりなしてくれるのかと思ったら、「あんたは不器用でどんくさくて下手なんやから、編み物なんか止めてしまい!」と追い打ちをかけるように怒鳴りました。その時、私は自分を不器用でどんくさくて編み物はできないのだと思い、とても傷ついてしまったのです。

その後、私は編み物や手芸一般に対して苦手意識を持つようになりました。私が成人した頃は、バブル全盛の頃だったこともあって、「手芸なんて時間の無駄。必要なものがあれば、お金で買えばいいのよ」と考えるようになりました。手芸が得意な母や祖母に対する少し屈折した対抗意識があったのかも知れないですね。

<編み物との再開-編み編みライフの始まり->

そんな私が編み物に夢中になったのは、うつ病を患ってからでした。40代でうつを発病して、病状が一進一退でなかなか良くなりませんでした。やっと今の主治医に出会い、うつが落ち着いてきました。主治医の勧めもあって、私はデイケアに参加するようにもなりました。

デイケアとは、精神科などが提供する治療プログラムの一種です。

心の病を患う人は、人付き合いが苦手になっていたり、家に閉じこもりがちだったり、ひとりでつらい思いをしていることが多いものです。デイケアでは、他のメンバーやスタッフとともに、様々なプログラムに参加しながら、一人ひとりの目標に向けて、それぞれのペースで過ごしています。レクリエーション・共同作業・ミーティング等を通じて生活のリズムを整えたり、人付き合いの練習を始めたりしていました。

デイケアに参加するようになった私はある日、デイケアルームの片隅に編み針や毛糸があるのを見つけました。

編み物をやってみたい気持ちと、自分は不器用だからという気持ちが入り混じりました。そんなある日、デイケアの帰りに立ち寄った100均ショップでキレイな色合いのアクリル毛糸を見つけたのでした。編み針も100円で売っています。「編まなかったとしても200円の出費だから」と思って毛糸と編み針を買いました。今思うと、それが私の編み編みライフの始まりだったのです。

<ああ!そういうことやったんか!>

毛糸と編み針を買ったものの、編み方も何を編むかも全くわかりません。でも、私の子供の頃とは違い、インターネットが普及するありがたい時代になっていました。「かぎ針編み 基本」と入力して検索すると、かぎ針編みの基本をわかりやすく、詳しく説明したホームページ、動画、ブログをたくさん見つけることができました。毛糸のかけかたから、編み針の持ち方まで、写真や動画付きで説明されていたのです。

動画を何度も見て、自分も真似してやっている内に、「ああ!そういうことやったんか!」とかぎ針編みの基本、鎖編み、細編み、長編みの編み方が理解できました。「なんでお祖母ちゃんもお母ちゃんもこれを教えてくれへんかったんやろう」と思いました。母も祖母も自分が編むのは上手でしたが、教えるのは得意ではなかったのです。

<いくつになってもできなかったことができるようになるのは嬉しい>

いくつになっても今までできなかったことができるようになるって嬉しいですね。それから私は不格好なアクリルたわしをいくつも編みました。だんだんアクリルたわしでは飽き足らなくなって、細編みだけで編める編みぐるみ、コースター、シュシュ、ブローチ、イヤリング等の小物を編むようになりました。上手だと褒められたり、「私にも編んで」と頼まれたりするとますます嬉しくなって、一生懸命に編みました。

<細い糸でベストを編み上げる意欲があった>

主治医の適切な治療やデイケアに定期的に通って生活のリズムがついたこともあって、私は順調に回復し、元気になっていきました。体力がついたこともあり、私の編み物熱も高まりました。私は小物だけでなく、ウエアを編んでみたくなりました。

その時、家に中細毛糸がかなりたくさん残っていたので、細い毛糸でベストを編むことにしました。「この細い毛糸でベストを編み上げられたら、私はうつを克服できる」と心の中で思っていました。毎日、昼間はデイケアルームで、夜は自宅のリビングルームで黙々とベストを編みました。頑張ったからか、1ヶ月ほどでベストが完成しました。細い糸でベストほどの大物を編み上げる意欲が私にあったのです。

<私にもできた>

自分で編んだウエアを着ると、嬉しさでいっぱいになりました。編み物は、本当に楽しいし、完成する喜びがあり、達成感が私に自信をつけてくれたのです。

興味のあったものは、きっとあなたに合っているものです。

ぜひ、それをもう一度やってみてください。

「何も思いつかない……」という方は、私のように編み物に挑戦してみませんか?

もしあなたが「編み物は苦手」と思っているとしたら、もしかすると、最初に教えた人の教え方があまり上手ではなかったのかもしれませんね。基本が理解できて、小さな物でも完成したら、達成感があって嬉しいですよ。意欲が湧いて少しずつ大物に挑戦したくなります。それに、編めば編むほど上手になります。

「私にもできた!」という実感があなたに自信や気力を与えてくれます。

 

初めて編んだベストを着て

  

2項:運動は嫌い、体力もないという制限をはずしたらヨガで健康&スリムに

「50代になってから、体力が衰えたんか、すぐに疲れてしまうわ~」

「更年期障害の症状が辛いねんな……」

「膝や腰が痛いねん……」

「老眼がどんどん進んで、細かい文字が見えにくうなってな……」

「若い頃と違って、食べ過ぎたわけでもないのにすぐ太ってしまうし……」

同年代の友人から、よくこんな声を聞きます。あなたも多かれ少なかれ、こんな風に衰えを感じているかもしれませんね。

50才のとき、私はこれらの症状をすべて抱えており「年のせい、もうどうにもならない」と諦めていました。

でも、今は思うんですよね。「ちょっと待って50才の私。それって本当なの?」と。

<うつと肥満に悩んだ日々>

うつ病の急性期が過ぎ、40代も終わりを迎えた頃、うつ以外にも私を悩ませ始めたことがありました。それは肥満でした。引きこもりによる極度の運動不足、抗うつ剤による副作用、過食等から、私は深刻な肥満に陥ってしまったのです。

一般的な人でも、ダイエットは難しいもの。ましてメンタルをわずらっていると、心身の状態が不安定で、運動を継続することが難しいのです。また、うつ病患者は、抗うつ剤等の影響で代謝が低下し、過食傾向にあるので、減量するのは至難の技なのです。

<過食に逃げて>

私が長引くうつに悩み、なかなかダイエットできずにいた時、青天の霹靂と言えるできごとが起こりました。夫が旅先で急逝したのです。

夫の死の打撃で、私のうつは急激に悪化してしまったのです。当時、まだ教員として働いていた私は、うつ病を抱えてやっとの思いで勤務を続けていました。うつを患いながら勤務を続けることはほんとうに大変でした。そこへ、夫の死という大きなダメージが加わりました。終わりの見えないトンネルの中にいるような、本当につらい日々でした。

そのつらさを忘れるために、私は過食に走りました。体重は恐ろしい勢いで増加しました。結局、うつの悪化で勤務を続けることが困難になり、私はやむなく辞職することになりました。

<行動に移すのに1年かかった>

悪化したうつ病と太った身体を抱えて、私はやけになっていました。私はそんな自分がほとほと嫌になりました。そんな時、「ヨガは身体だけでなく、精神面にも効果がある」と誰かが言っていたことを思い出しました。私は偶然、自宅の近くにヨガ教室があることを知りました。

「ヨガを習ってみようかな……」と思いつつ、私はなかなか実行に移せませんでした。家に引きこもり、ネット仲間と群れる生活に慣れ、惰性に流されていたのです。典型的なネット依存だったのですね。

ある日、親身に診察して下さっていた主治医である院長先生に厳しく注意されました。「依存は薬では直らないよ。自分で治す気がないなら、クリニックに来なくてもいいよ」と。私は、院長先生の言葉でやっと目が覚め、何か新しいことを始めて、ネットに依存する生活から立ち直ろうと決意したのです。

結局、徒歩5分ほどで行けるその教室に実際に足を運ぶまで、1年近くかかってしまいました。

 

<身体を動かす快さの虜になった>

私は、そのヨガ教室で体験レッスンを受けました。その時、身体を動かすことがとても快く感じました。レッスンはハードでしたが、私は「快さ」を体感することができたのです。私は思い切って、ヨガ教室に入会しました。

 

それからは毎回、レッスンが終わると爽快で、とても健康的な空腹感を覚えるようになりました。夜になると心地よい眠気がやって来ました。熟睡できるようになり、翌朝気持よく目覚めました。ヨガが生活にリズムを与えてくれたのです。私はヨガの虜になりました。

<意外にも私には体力があった>

実は、私にとって運動は苦手中の苦手なんです。しかも、当時の私は長い引きこもり生活のため体力もなく、教室に入った頃は、自宅から教室まで5分歩くだけで息が切れました。身体はとても硬く、しかもかなり太っていました。今だから告白できますが、入るトレーニングウエアがないほど太っていました。でも、教室に通うことは楽しみでした。

ヨガ教室に通い始めて3ヶ月ほど経つと、私は周囲が驚くほど明るく元気になりました。体重も標準的な体重に近くなりました。ヨガで身体を動かす快さに夢中になっている内に、自然に体力がついたのです。また身体が元気になると、自然に気持ちも明るくなりました。文字通り身も心も軽くなったのです。

ヨガを始めたのは51才の時でした。熱心に教えて下さったヨガの先生も、私の変化に驚かれていました。50代でも鍛えれば、まだまだ体力は伸びるのですね。教室には60代、70代の生徒さんもおられ、ヨガを楽しんでおられました。

<私は変われる>

ヨガ教室に通い始めて1年経った頃、レッスン中に不思議な経験をしました。ヨガは筋肉を芯から伸ばします。また、胸を大きく開いて伸ばします。これがとても気持ちが良いのです。どのポーズをしている時だったのかは忘れてしまいましたが、「気持ちがいいな~」と体感していると、「私は変れるんだ~!」と自分の内側から声が聞こえました。

当時、私はまだ自分が本当にしたいことに気づいていませんでした。でも、「今の自分ができることを一生懸命にやっていたら、自分の道が見えてくる」と信じていました。なので、「私は変われる」と心の内側から思えたことが、とても嬉しかったことを覚えています。

そうなんです、人は変われるんです。自分の心の声に耳を澄ませば、きっと「私は変われるんだ~」という声が聞こえてくると思います。

ヨガ練習中

  

3項:音楽は聞くのが専門という制限を外したら人前で歌唱を披露できた

<ピアノへの憧れ>

あなたは音楽が好きですか?ピアノやギター等、楽器を演奏されますか?幼い頃の私は、レコード(まだCDがなかったので)を聞いて歌ったり、子ども用の卓上ピアノをでたらめに弾いて歌ったりするのが好きでした。

小学校の低学年のときの先生はピアノが得意で、私は音楽の時間がとても楽しみでした。一度、先生が音楽の時間に「エリーゼのために」を弾いて下さったことがありました。「世の中にこんなに美しい音があるんだ~」と感動したことを今も微かに覚えています。ピアノを習うことが、当時の私の密かな願いでした。

<叶えられなかった幼い願い>

でも残念ながら、「お金がないから」「家が狭くてピアノを置く場所がないから」等の理由で、幼い私はピアノを習えませんでした。私はあまりものをねだらない子どもでしたが、ピアノだけは、「習いたい」としつこくねだりました。でも、ピアノを習いたいという願いは、叶えられませんでした。

中学生になった頃、フォークギターが流行り、近所に音楽教室ができました。「音楽教室でギターをならわないか?」と友だちが誘ってくれましたが、その時も経済的理由で習わせてもらえませんでした。中学校の吹奏楽部や合唱部に入部しましたが、活動は全然活発ではなく、廃部になってしまいました。

もうその頃には、楽器を演奏することや歌を習うことはすっかり諦めて本ばかり読むようになっていました。「音楽は聞くのが専門!楽器を演奏しようなんて今更遅いし上手になれるわけもない」と思い込んでいました。まだ10代だったというのに!

<57才でボイストレーニングを始める!>

「音楽は聞くのが専門」だと諦めてから40年近い歳月が流れました。私が57才になった年の夏、思い切ってボイストレーニングに通うことを決めました。意外にもキッカケは単純なことでした。一人カラオケに行くようになって、「歌うことが楽しい!」「もっと上手になりたい!」と感じるようになったからです。

偶然、近所にミュージックスクールがあることを知り、体験レッスンの申し込みをしました。でも、ボイストレーニングなんて、プロの歌手になりたい人が受けるものだと思っていたので、本当に恐る恐る申し込んだのでした。ところが申し込みをして事情を話すと、スクール全体の8割の人が私のような人だと知りました。

<練習して訓練すれば変わりますよ>

楽器も演奏できなければ、音符も読めない。リズム感もなければ、声も出ない…と、自発的に音楽を楽しむことをすっかり諦めていた私は、音楽を主体的に楽しむことにネガティブな思いがあることを先生にお話しました。

すると、先生は「練習して訓練すれば変わりますよ」とあっさり言われたのでした。

<歌うのが楽しい!>

体験レッスンではまず、いつもカラオケで歌っている竹内まりやの『駅』を歌いました。先生が私の声、音域、音程などをチェックして下さいました。「私は高い声がでない」と思っていたのですが、意外にも先生がアドバイスして下さったのは「もう少し高い声で歌った方が良い」ということでした!

次は先生のギターに合わせて少し高くして歌ってみました。高い声で歌うと、不思議と喉が解放されたような気がしました。その後、高くした音で何度かサビの部分を歌いました。楽しくて45分の体験レッスンはすぐに終わりました。思い込みとは恐ろしいものだと、このとき思い知りました。

体験レッスンで一番嬉しかったことは、一人カラオケで歌っている時より、ずっとずっと歌うことを楽しめたことでした。音楽を自発的に楽しむチャンスをつかめたこと、ネガティブな思い込みを手放せそうなこと、歌うことを楽しめそうなこと、いろいろな気づきがありました。音楽は「音を楽しむ」と書きますよね。自発的・能動的に音楽を楽しむ一歩を踏み出したと私は感じたのでした。

<音楽フェスタにも初出演>

私は体験レッスンの後、すぐにミュージックスクールに入会しました。それから半年が過ぎる頃には、「人生を楽しくする秘訣は、主体的に音楽に関わることだ」と感じるようになっていました。主体的に関わるとは、ただ聞くだけではなく、楽器を演奏するとか歌を歌うというように自分が発信する側になるということです。

「歌うことはこんなに楽しいんだ~!」レッスンのたびにそう感じ、私は、自分が上達し、声が響くようになるのを感じました。大げさに聞こえるかも知れませんが、人生の楽しみの扉を開いた気分でした。

そんなある日、通っている心療内科のデイケアで音楽フェスタがあることを知りました。自分でも驚くような行動力でフェスタ出演申し込みをしました。そしてもっと驚いたことに、ギターの上手いデイケア仲間Yさんに伴奏をお願いしていました。実はその時、私はYさんの顔は知っていましたが、名前すら知りませんでした。

<音楽を通した友だちができた>

Yさんは快く引き受けて下さって、その場で私はフェスタで歌うことにしていた「いい日旅立ち」を歌いました。生のギター伴奏で歌うのは全く初めてでした。「めちゃくちゃ気持ちいい!」というのが実感でした。

その後、ベースの上手いデイケア仲間Nさんも伴奏してくださることになりました。一度、ドラムの上手いMさんも伴奏に参加して下さったことがありました。それぞれの楽器の響きをガンガンに感じ、もう最高にいい気分でした。それまで言葉でだけ知っていた「共鳴」を体感した気分でした。

音楽フェスタでは、学生時代の学習発表会や文化祭でも端の方にいた私が、ギターとベースの友人に伴奏してもらい「いい日旅立ち」をソロで歌いました。緊張はしましたが、練習を重ねていたし、「気持ちよく歌って下さい。歌に合わせて伴奏しますから」と言ってもらっていたこともあって安心して歌うことができました。「私の人生捨てたもんやないな~!」と思いました。

 

<人生を楽しむ鍵は主体的に音楽に関わること>

音楽はずっと「聞くのが専門」だった私が、思いがけず57才にして、はじめて聞かせる側になりました。

音楽に主体的に関わることは、人生を楽しむコツのひとつだと、今は思います。

私が通っているクリニックの院長先生は、クリニックの音楽フェスタで素敵なギター演奏や歌を披露して下さいます。院長先生に私がボイストレーニングから感じたことを本に書くことをお話すると、「久夢さん、僕がギターを始めたのは56歳からだよ。今から始めても遅くないと久夢さんの本に書いて」と言われました。

そうなんです、「遅くない」んです。音楽だけでなく、美術でも、文学でも、人生を楽しむことを始めるのに年齢は関係ありません。

 

ミュージックスクールにて

 

  

4項:50代で初恋なんて恥ずかしいという制限を外したら最愛のパートナーができた

あなたが初めて恋をしたのは何才でしたか? いつだったか忘れてしまったと言う人もおられるでしょうね。

私と同年代の友だち昭子さん(仮名)は、最近、20才以上も年下の男性と恋に落ちて付き合い始めました。50代の昭子さんが、30代の一人の男性を愛したことで心を解き放ち幸せになるお話です。

一部、個人が特定できる部分は変えてありますが、この話はまぎれもない実話です。

 

<昭子さんからの恋愛相談>

ある日、私のところに友人の昭子さんから電話がかかって来ました。「もの凄く悩んでいる問題があるから、相談に乗って欲しい」と言うのです。

昭子さんは、とても賢くてしっかりした女性です。常識があっていつも冷静な彼女が、一体どうしたのだろう、と私は心配になりました。

実際に会うと、昭子さんは、うつ向いて黙ったまま。よほど深刻な悩みなのか、とますます心配になります。長い沈黙の後、やっと彼女はぽつりと言いました。「私、20才以上年下の男性を好きになって、深い仲になってしまったの。今、彼と私の家で一緒に暮らしているのよ」

「軽蔑した?」と昭子さんが私に尋ねました。

もちろん軽蔑なんてしません。昭子さんが心から好きになった人と結ばれて、一緒に暮らしているなら、それは嬉しいことでした。年下の彼との交際を私が反対していないとわかると、昭子さんは堰を切ったように彼のことを話し出しました。

 

<思いがけない出会い>

昭子さんが彼に出会ったのは、年末の押し詰まった時期だったそうです。

昭子さんの家の給湯器が故障しました。彼女は一戸建て住宅に一人で住んでいます。いずれは両親と一緒に暮らすために、コツコツと貯金して買った家でした。

真冬に給湯器が故障するのは、かなり厳しいことです。ガス会社のサービスに電話をしても、年末で修理の予約が混み合っていて、なかなか修理に来てもらえなかったそうです。やっと修理の係の人が、昭子さんの家に来た時のことを、昭子さんはこんなふうに話してくれました。

「サービスの係の人が、家に来たのは、雪の降る寒い日だったのよ。給湯器本体の修理はすぐに済んだのに、なぜかキッチンのお湯だけが出ない。係の人が、雪の中で室外機を何度も点検して、キッチン来て、シンク下の配管までくまなく点検したくれたの」

「せっかく修理に来てもらったのに、キッチンのお湯が出ないままだと困るわよね?」と私が言うと、昭子さんは、その時のことを続けて話してくれました。

「そうなのよ。係の人は次のお宅に修理に行く時間も迫っていて、額に汗をにじませて本当に必死で原因を探ってくれたの。寒い時期にお湯が出ないと困るだろうから直してあげようという一生懸命な気持ちが伝わって来てね、胸がじ~んとしたのを覚えているわ」

「そうだったの。親切な人が修理に来てくれてよかったわね」と私は頷きました。

「本当にそう。やっとのことで係の人が、原因を見つけて、お湯が出るようになった時には、私、手を叩いて喜んだくらいよ。とてもとてもありがたく感じたわ。私が何度もお礼を言うと、係の人は照れくさそうな表情をしたのよね」

「その人が彼なの?」と私は尋ねました。昭子さんはまたしばらく黙ってうつ向いてしまいましたが、意を決したように言いました。

「ええ、そうよ。名前は俊というの。まだ30代になったばかりよ」

<自分の行動に、自分が一番驚いた!>

「それからどのようにして彼と連絡をとって付き合うようになったの?」と私は尋ねました。

「修理の翌日、彼から私に電話がかかって来たの。彼が作業している間に、『よかったら電話して下さい』という言葉を添えて、私の名前と電話番号を書いた紙を、俊君の靴に入れたからなの」

私は驚きました。私の知っている昭子さんは、しっかり者なのに、恋愛に対しては臆病で、男性に対して、ましてや初めて会った年下の男性に、「電話して下さい」と伝えるなんて思いもよらないことでした。

驚く私に昭子さんが言いました。「驚いたでしょ? でもね、自分がしたことに誰よりも驚いているのは、私なの。いい年をして初めて会った年下の男性を好きになるなんて、自分でも信じられないんだけど、どうしてももう一度、彼に会いたかったの。彼の若さとか容姿を好きになったんじゃない。自分でもなぜかわからないんだけれど、一生懸命に修理してくれた姿が心から離れなかった。ただただ彼にもう一度会いたかった。だから、彼から電話があった時は、本当に本当に嬉しかった!」

「そうだったのね。なんだか縁を感じるね」と私は感じたことを昭子さんに伝えました。

「彼は電話をくれた後、家に来てくれたのね。私の家に家族以外の男性が私用で来るのは初めてだったのよ。よく知らない男性と家で二人きりになったけれど、私は不思議な安心感に包まれた。彼もリラックスしていたみたいで、私たちは昔からの友だちのように話しこんだ。気がつくと何時間も時間が経っていて、私が作った遅い夕食を一緒に食べて、また話し込んで、彼はその日、私の家に泊まったの」

<苦しい胸の内を受け止めてくれた>

それから昭子さんは、その夜、俊君と話したことも私に話してくれました。

「私は、祖父母も両親も叔父叔母もみんな教師という、教育者一家に生まれたの。学校の先生の子どもって本当に大変なのよね。『先生の子ども!勉強できて当たり前!』って見られてしまうから」

「そうでしょうね。昭子さんは、教育者一家に生まれたことをあまり話したがらないものね」と私が言うと、

「できて当たり前、できなかったら、『先生の子どもなのに』と言われるのは、本当にプレッシャーだった。だから、必死で勉強して、有名女子大の英文科に進学し、父や母のように教師になったわ。両親はもとより、親戚一同も大喜びだった。でも、私は心の底に鉛の塊でも抱いているようで重苦しかったのよ」と昭子さんは、暗い表情で言いました。

「教師の仕事は昭子さんにとって天職なんだと思っていたわ」と私が言うと、

「私そんなに優秀じゃないの!『賢くてしっかりした昭子さん』を演じるのにヘトヘトなのよ。私だって誰かに甘えたい。頼りたい。でも、そんな風に思っていることを人に知られるのは絶対に嫌だったの。矛盾しているでしょ?」と吐き出すように昭子さんが言いました。

「そうだったのね。そんな気持ちに全然気が付かなかった」

「不思議なんだけれど、今まで誰にも言えなかった私の気持ちを、彼には自然に話せた。彼は、『今までずっと大変だったね。これからは僕が支えてあげるよ』と言って抱き寄せてくれたのよ。心に温かいものが流れ込んで、気持ちが解き放たれるのを感じたわ。その日から、私たちは一緒に暮らすようになったの」と穏やかな表情で昭子さんは、言いました。

 

<未来が見えない恋>

それ以来、私は時々、昭子さんから相談を受けるようになりました。

昭子さんは、俊君と一緒にいられる時間がとても幸せでした。俊君のために夕食を作って二人で食べ、コーヒーを飲み、二人でくつろぐ時間は本当に心が安らぐそうです。

でも、俊君のことで頭がいっぱい、恋をして幸せいっぱいの自分が怖くもあると、昭子さんは言いました。

自分の年齢や俊君との年の差が一番気がかりだとも言いました。昭子さんは50代半ば、俊君は30代になったばかり。きっと俊君は、自分なんかより若い女性と結婚して生活する方が幸せになれるのにという思いに昭子さんは苦しんでいました。

学歴や仕事も気になりました。昭子さんは有名女子大出身で教師、俊君は複雑な家庭に育ち、高校を中退しています。仕事も転々として、今の仕事にやっとつけたようです。俊君が過去のできごとから立ち直って、今、一生懸命に働いている姿に一番心惹かれながら、学歴の差や世間体を気にしている自分をズルく卑怯に感じたと言いました。

昭子さんが一番恐れたことは、そんな自分と俊君が付き合っていることを家族に知られることです。交際を反対されることも怖かったのですが、両親の期待を裏切っているような罪悪感にも苦しみました。

「50代にもなって、20才以上年下の男にのぼせている」「いい年をして」「50代になって初めての恋?」「私たちは人の目にどう映るだろう?」「私たちをお互いの親は許さないだろう」

昭子さんの心は暗い想像でいっぱいになったのです。

「ちょうどそんな時、父が突然うちに来たの。父は、すぐに私が同棲していることに気づいたわ。私が俊君のことを話すと、『烈火の如く』っていう表現があるでしょ、まさにそんな風に父は怒ったわ」

昭子さんのお父様は『これ以上その男と付き合うなら、親子の縁を切る!』と吐き捨てて帰ったそうです。

昭子さんにとって、お父さんの言葉は強烈でした。昭子さんは俊君との別れを決意しました。

「ごめんなさい。これ以上一緒に暮らせない。私、そんなに強くないの。別れて欲しい」

その言葉を聞いた俊君は、黙って自分のアパートへ帰って行きました。

<初めて寂しいと感じた>

俊君と別れた後、昭子さんから私に電話がかかって来ました。俊君への思い、年齢の差、育ってきた環境の違い、親との関係、昭子さんは悶々と苦しんだようです。

「彼に出会って初めて、一人でいるのが寂しいと感じた。彼がいなくて寂しいと強烈に感じたの。私は、今まで親の顔色を見て、人の評価ばかりを気にして生きてきた。今まで自分の本心を押し殺して、ずっと苦しみ続けて来た。でも、彼に出会い、彼に愛され、彼を愛したことで、本当の自分を閉じ込める心の殻からやっと自由になれた。やっぱり俊君と離れたくない、一緒にいたい気持ちが押さえられないの!」

昭子さんは自分の気持ちを切々と語りました。

私に電話で話してくれた翌日、昭子さんは悩んだ末に、俊君に電話しました。謝罪と、やはり帰ってきてほしいという気持ちを伝えたのです。

帰って来た俊君も昭子さん同様に悩んだのか、やつれた様子だったそうです。でも、昭子さんに、「僕は昭ちゃんのことを一番よくわかっている。だから、どんな時もありのままの昭ちゃんを愛しているよ」と言ったのでした。

<今の幸せを大切に暮らそう>

その日、昭子さんと俊君は、これからのことを何時間も話し合いました。最初は、マイナス要素の話しばかりが出たそうです。

「でもね、私、俊君と一緒にいると幸せなの。ありのままの自分でいられて、気持ちがほぐれて楽になれるのよ。とても穏やかで幸せな気持ち」と昭子さんが俊君に言うと、

俊君も「僕も昭ちゃんといると幸せだし、落ち着くよ。『別れて』と言われた時は、喪失感が半端なかった」と答えたそうです。

長い長い話し合いを経て、「世間体も大切かもしれないけど、お互いが一緒にいて幸せだと感じられることほど、大切なことはない」と二人は悟ったそうです。先のことはわからないけれど、「一緒にいて幸せだ」と感じられる今を大事にすることに決めました。

二人が幸せに暮らしていたら、いつか家族も認めてくれるだろう。もし家族が認めてくれなかったら、それは残念だけれど、自分たちの今の幸せを大切にしようという話し合いの結論になったそうです。そんな二人は、今も同棲を続けています。

『こんな苦しみは、もうごめんだ!』と何度も思ったけれど、彼に出会わなかったら良かったとは思わない。彼と恋をしたことで、私は一回り大きくなったように思う。私の心を締め付けていたつまらないプライドや世間体という心の殻を破ったように思う」昭子さんは明るい声で、私にそう話してくれました。

 

<人として成長できた>

私の周りの同年代の人には、昭子さんのように世間体やプライドが邪魔をして、恋愛に臆病になり、恋愛経験のないまま年齢を重ねた人がたくさんいます。誰かを好きになった時、素の自分になって自分の本心を出すことに臆病だったのではないでしょうか?自分の気持ちやプライドが傷つくことが、怖かったのではないでしょうか?

50代で初恋を実らせた昭子さんは、恋を通して新しい自分と巡り合いました。人は人を愛することで、いくつになっても成長できるということを教えてくれます。

あなただって、これから初めて恋をしたっていいんです。

 

村川久夢の新著『50才から夢を追いかけてもいい5つの理由』より1章1項~4項を公開しました。

 

 

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