『しっている』(仏教童謡)
ののさまは 口ではなんにもいわないが
ぼくのしたこと 知っている 知っている
ののさまは 口ではなんにもいわないが
あなたのしたこと 知っている 知っている
<敬虔な仏教徒だった>
私は幼い頃、東本願寺系の幼稚園に通っていました。当時の私は敬虔な仏教徒でした。毎朝、入園した時に貰って大切にしている数珠を持って登園し、幼稚園にある仏壇に祈りをささげ、ことあるごとに上のような「のの様(仏様))を讃える歌を歌っていたような記憶があります。
「ののさま」は本当に身近な存在でした。
<ののさまを拝むんや!>
その頃、同じ幼稚園出身の従兄と遊びに行って、迷子になったことがありました。「こんな時は『ののさま』を拝むんや」と従兄が言いました。
私たちは道端にしゃがみこんで、「ののさま」を拝みました。「ののさま」が助けて下さると固く信じていたのです。
その時は、偶然通りかかった方が、私たちを見つけて下さったのですが、私も従兄も「ののさまが助けて下さった」と固く信じていました。
<無神論者に…>
幼稚園を卒園すると、私は公立小学校に入学し、その後、公立中学、高校へ進学しました。そして縁があったのか、私は東本願寺系の大学に入学しました。
でもその頃の私は、かつての敬虔な仏教徒の私ではなく、科学万能と信じる筋金入りの無神論者になっていたのです。
穏やかな大学の雰囲気は好きでしたが、仏教にも浄土真宗にも全く興味がありませんでした。生意気盛りだったからかも知れません。
<知っている>
そんな私も様々な経験を経て現在にいたりました。最近、なぜかしきりに『しっている』の歌を思い出します。子どもの頃は純粋だったからか、無邪気にこの歌を歌っていました。
でも今は「怖い歌だ!」と思います。私は信仰を持っていませんが、「ののさまと自分自身は、自分自身のしたことを知っている」と思うからです。
自分がしたことをののさまと自分自身は知っています。「天を仰いで私は清く正しく、恥じることは何もありません」と言えるほど、私は清くも強くもありません。未熟で至らない人間で、愚かな面も多々あります。
でも自分に正直でありたいと思います。自分に恥じることはしたくないとこのブログを書きながら改めて思いました。
『しっている』の歌のように、口では何も言わなくても、自分自身を見失わないように、しっかり見つめていようと思います。
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