【終戦の日に寄せて】自分の頭で考える力~父が語った戦争の記憶に学ぶ

 今日は8月15日、「終戦の日」です。私は、父が戦争について語ったことばが忘れられません。

「戦争はな、ある日、突然に飛行機が飛んできて爆弾を落とすんとちゃうで。人々の考えが、だんだんおかしくなるんや。(思想)教育は怖いんやで」と。

今日は、過去の悲劇を思い起こすだけでなく、私たちがどのように生きるべきか、どう社会と向き合うべきかを考える大切な日だと考えています。

 

父は、戦時体制が教育にも色濃く反映されていた時代に育ち、天皇と国のために命を捧げることを美徳とする軍国教育を受けたのです。

父は軍国教育を受けた世代

当時、生徒は登校すると最初に天皇と皇后の写真(御真影)が祀られた「奉安殿(ほうあんでん)」に一礼することが義務付けられていました。

父の世代は、教育勅語(きょういくちょくご:国への忠誠と国のために身を捧げることを記した教育方針)を覚えさせられました。

「日本の男は、二十歳まで生きられない。みんな天皇陛下のために死ぬのだ」とみんな信じていたというのです。

(思想)教育は怖いのです!

両親から聞いた戦中の生活は、今では想像もつかない厳しさでした。食糧不足が深刻で国民は飢えに苦しんでいた話を両親からよく聞かされました。

お米がなくなり、芋やふすま入りのだんご汁で飢えをしのだといいます。まだ、芋やだんご汁が食べられるのはいい方で、芋のつるや雑草を食べた人もいたそうです。

芋を食べて飢えをしのいだ

お風呂を沸かす燃料がないので入浴できず、頭にシラミがわいている人がほとんどだったというのです。

戦時中、空襲警報が鳴ると、人々は寝ている時間であってもすぐに着替えて防空壕へ避難しなければならず、寝間着で寝られませんでした。

死んでしまった姿もきちんとした服装をすることで、国への忠誠心と戦意を示すことが国民に求められたからです。

父の妹(私の叔母)が、もし空襲で死んでしまった時、寝間着で死んでいたら、お葬式を出してもらえなかったと言っていました。

 

父は「大本営発表」を聞きながら、「物資がどんどん減って、みんな飢えているのに、日本が連勝しているというこの報道は本当だろうか?」と疑問を抱いていたといいます。

大本営発表と現実が違う!

また、「ヒトラーは調子のいいことを言っているけれど、ホンマやろうか?」と感じたのです。

情報が統制されていた時代でも、父は報道と現実の差を敏感に感じていたようです。

しかし、それを口にすることはありませんでした。少しでも反政府的なことをいうと特高(特別高等警察)に捕まるからです。

 

母は昭和10年生まれですが、近所に「アカ」(反政府的な思想の人)がいて、近所中で「あそこの家にはアカや」と噂していたと言っていました。

一度「アカ」のレッテルを貼られた家庭は、村八分状態だったというのです。

戦時中、隣組(となりぐみ)などの地域コミュニティは、助け合いの機能だけでなく、国策の実行や思想の監視を行う役割も担っていたのでした。

父の兄(私の伯父)夫婦は聴覚障害者で、不妊手術を強制されたと聞いています。

当時は、「優秀な子孫を残して国力を増強すべきだ」という「優生思想」があり、障害を持つ人々は「劣った存在」と見なされることがあったのです。

優生思想という側面ばかりが尊重されていました。「個人の人権」や「多様性」などという考え方すらなかったのでしょう。ひどいし、怖いことです。

 

大阪大空襲の後、17歳だった父は大阪の親戚を訪ねました。みんな泣きながら家族や知人を探し歩いていました。

敗戦後、世の中は一気に変化したといいます。

戦中に「天皇陛下万歳!」と叫んでいた人が、敗戦後には「これからは民主主義の時代だ」と言い、「ハローハロー」と言って、敵視していた米兵に近づいたというのです。

父は「いったい何を信じたらいいのやろう?!」と不信感と虚無感に囚われたといいます。

筆と墨で教科書を塗りつぶした

母は、戦後に教科書の都合の悪い部分を墨で塗りつぶしたと言っていました。

敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指示により、多くの学校で教科書の軍国主義的な部分を墨で塗りつぶして使用したからです。

三浦綾子さんの『道ありき』や壺井栄さんの『二十四の瞳』で、教え子を戦争に送ってしまった当時の教師の苦悩が読み取れます。

 

私が40代後半になった頃、30代の勝ち気な女性が時事問題を議論していて、「敵なんか、戦争してやっつけちゃったらいいんだ!」と言ったのです。

その時、彼女のイラン人の友人が、こう言いました。

 



バカだな~何も知らないんだね。僕は本当に戦争に行って戦った。

僕の隣で戦っていた友だちの頭に爆弾があたったんだ。

彼の頭半分が吹っ飛んで、脳みそがあたりにちらばった。

けれど、その時は、みんな麻痺していて怖いと思わなかったよ。

だれかが、彼の死体を運び去って、死んだ友人の代わりに銃を持って打ち始めたんだ。

僕も戦わないと、つぎは自分がやられてしまうから、戦った。

これが戦争だよ」

これが戦争だよ!

 

勝ち気な彼女も私も黙ってしまいました。

戦争をゲームやアニメの延長のように考えている人もいます。

私も戦争の現実を知っているわけではありませんが、戦争の現実は、このように悲惨で残酷なのです。

しかも、多くの人の命を奪って、地獄のような現実が延々と続くのです。

実際の戦争には、リセットボタンはありません。一度、失われた命は戻らないのです。

 

父は「戦争は、人々の考え方が少しずつおかしくなってくるところから始まる」と教えてくれました。

現代に目を向けた時、SNSやインターネットに溢れる無責任な情報、そしてそれに煽られやすい現実があることを否定できません。

「大本営発表」の時代と、今がまったく違うと言い切れるでしょうか?

世界が混迷し、情報過多の今こそ、「事実を見て、自分の頭で考える力」がもっとも求められているのです。

現実を見て自分の頭で考える力

今日は、過去の悲劇を思い起こすだけでなく、私たちがどのように生きるべきか、どう社会と向き合うべきかを考える大切な日だと考えています。

(【終戦の日に寄せて】自分の頭で考える力~父が語った戦争の記憶に学ぶ:村川久夢)

 

 

 


 

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