老いを受け入れる~どこまでの回復を望むか?~

「ご家族はリハビリで

どこまでの回復を望んでいますか?」

リハビリ担当の先生から尋ねられた。

 

父がリハビリのために転院して

半月ほど経っただろうか?

 

父が自宅で倒れた時は、

ベッドで寝たきりで10日ほど過ごした。

激しい腰痛で

身体を起こすことすらできなかった。

 

圧迫骨折の治療で入院し、

自力で身体を起こし、立ち上がり、

椅子に移動できるようになった。

リハビリのために転院して半月経った。

 

私や弟が面会に行くと、

一人で起き上がり、立って、

数歩だけれど一人で

歩けるようになったことを

父はアピールする。

 

私はのんびり構えていたが、

リハビリの先生のお話では、

リハビリの時間、

父は指示されたことはするけれど、

一人で歩けるようになりたい。

自分のことを自分でできるようになりたい

と言う意欲が父から感じられないらしい。

 

確かに、私たちが面会に行くと、

父は自分の頑張りをアピールするけれど、

以前のように元気になりたい。

自宅に帰って以前のように生活したいとは

言わないし、

その意欲もあまり感じられない。

 

私や弟との面会時間以外は、

ほぼ横になってウトウト眠っているようだ。

トイレの介助等も

ナースコールを押すことに気兼ねして、

頼まないらしい。

 

弟が父に気持ちを尋ねてくれたが、

父は以前のように元気になって

家に帰りたいとは言わなかった。

しんどいらしい。

なんだか複雑な気分だった。

 

私も弟も父に以前のように元気になって

家に帰って来てほしいと願っている。

でも、父とってそれが負担で

しんどく感じるならば、

寝たいときはベッドで過ごして、

寝たきりにならない程度に

軽いリハビリができる施設で、

自分のペースで過ごせる方が

父にはいいのかなとも思った。

 

父は食欲もあり、

頑張っていることを私たちに

アピールしたいようだけれど、

すぐに横になりたがることも事実だ。

回復したい意欲が

衰えていることは否めない。

 

子である私たち姉弟には

寂しく悲しいことだけれど、

90才の高齢の父に

「頑張って」と言うのは酷なようにも感じる。

リハビリでどこまでの父の回復を望むのか、

家族にとっては微妙な問題だ。

 

私は90才の父の心身の状態を優先し、

受け入れるべきかなと思っている。

それが老いを受け入れることではないかと

感じている。

 

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*鬱・夫の死を克服した作家&

インナーチャイルドカードセラピスト

村川久夢(むらかわ くむ)

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愛と自由の玉子かけご飯~しきたりなんかくそくらえ!~

子どもの頃、夏休みの一番の楽しみは

滋賀県にある母方の祖父母の家に

泊りがけで遊びに行くことだった。

 

当時、私たち一家は

父方の祖父母と同居していた。

裕福な一族の貧乏な一家に生まれた

父方の祖母は

裕福な一族の出身であるというプライドと

一族のしきたりだけにすがって生きていた。

 

祖母は腕のいい髪結いで、

明治の女性には珍しく経済力があった。

そして家事全般にも長けていた。

誇り高くパワフルな祖母は、

一家の支配者だった。

幼かった私は祖母の

生きた着せ替え人形だった。

 

何一つ自由にさせてもらえなかった

当時の私にとって、

夏休みに田舎の祖父母の家に滞在する

僅かな時間が、

人形から普通の子になれる時間だった。

 

母の実家は琵琶湖畔の干拓地にあった。

私が子どもの頃、祖父母の家の周りは

一面に田んぼが広がっていた。

家の外に出ると琵琶湖の松林を

遠くに見ることが出来た。

 

私は優しい母方の祖母が

大好きだった。

優しい母方の祖母が

作ってくれる朝ごはんは、

私の夏休み一大イベントの

必須アイテムだった。

 

干拓の家に泊まり、

私が、朝、目を覚ますと、

台所から美味しそうな香りが漂っていた。

 

祖母はへっついさんで江州米を炊き、

その日の朝、自分の畑で収穫した野菜で

味噌汁を作ってくれた。

 

味噌も祖母が作った自慢の味噌だった。

その他にも、糠漬け、梅干し、らっきょ、

生姜、粕漬けのお漬物等、

全て祖母の手作りだった。

でも子どもだった私ととっては、

玉子かけご飯が何よりの楽しみだった。

 

祖母は、私や弟が玉子かけご飯を

楽しみにしていることを知っていたので、

朝早くから知り合いの農家に行き、

その家の中庭で飼われている

鶏の玉子を買って来てくれた。

今で言う平飼い玉子だ。

 

祖母がお釜で炊いてくれたご飯は、

ピカピカに光って香りもよく、

平飼い玉子は黄身がぷっくりと盛り上がり、

綺麗な黄色をしていた。

少し醤油を加えてかき混ぜ、

ご飯にかけて食べると、

本当に美味しくて嬉しかったのを

今でも鮮やかに覚えている。

 

祖母が心を込めて作ってくれた朝ごはんは

特別なもの高価なものは何もなかった。

 

でも祖母が竃さんで炊いてくれたご飯、

無農薬で育てた野菜、

丹精込めて作った味噌や保存食、

早朝から買いに行ってくれた平飼い玉子、

そのどれにも

「美味しく食べさせてあげたい」

という祖母の思いがこもっていた。

 

貧しい農家の長女として生まれた

母方の祖母は弟や妹の世話、

家事や野良の手伝いに追われ

義務教育すらまともに受けていない。

 

それでも情愛深く、

無欲で信仰心が深かった。

教育は受けていなかったが賢く、

働き者でとても器用だった。

日々の生活に満足し、

神仏への感謝を忘れなかった。

 

優しい仏様のような母方の祖母は、

家族だけでなく周りの人たちからも

慕われ好かれていた。

 

一緒に暮らしていた父方の祖母は、

裕福な一族のプライドとしきたりを

幼い私にも押し付けた。

例えば朝ごはん一つとってもそうであった。

 

一族のしきたりが、

「朝は漬物でお茶漬け」であると、

父方の祖母はそれを貫徹して、

朝から干物や玉子やみそ汁など、

漬物以外の副菜を食べることを

「絶対に」許さなかった。

 

理由はない。

そういう「しきたり」だからだ。

絶対に誰の意見にも耳をかさなかった。

 

父方の祖母と一緒にいることは、

理不尽なしきたりを押し付けられ、

祖母のプライドに支配されることだった。

毎朝食べる漬物とお茶漬けの朝ごはんは、

その象徴だった。

 

情愛の豊かな母方の祖母は、

子どもや周りの人の喜ぶ顔を見ることが、

彼女にとっての何よりの喜びだった。

 

私は母方の祖母のそばにいると、

心からのびのび出来た。

しきたりとも束縛とも無縁だった。

 

母方の祖母は、遊びに来た孫娘が、

喜んで玉子かけごはんやみそ汁を

食べる姿を優しい笑顔で眺めていた。

 

朝ごはんに象徴される

対照的な二人の祖母の姿が思い出される。

ともに明治、大正、昭和の激動の時代を

懸命に生きた女性だ。

 

玉子かけごはんを思い出しながら、

プライドやしきたりにすがって生きることが

どんなに不幸なことであるのか、

人を苦しめるのかを思わずにいられない。

父方の祖母の干渉と支配は、

後々まで私を束縛し苦しめ続けた。

 

母方の祖母の玉子かけごはんは、

生きた着せ替え人形だった私にとっての、

自由と愛の象徴だったのだと思う。

 

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人生消せる消しゴムがあったら消したい記憶

「よくそんなに大胆に

自分の過去を告白できますね」

「大胆に自分を開示できて偉いですね」

「自分のことをよくそんなに

赤裸々に綴れますね」

 

鬱経験、夫の死を書けるようになって、

よくそんなことを言われます。

でも実は私には、

まだまだどうしても言えないことが

たくさんあります。

人生を消せる消しゴムがあったら

消したい記憶もあります。

 

本当につらくて苦しくて惨めな記憶は、

思い出すことすら苦痛なのです。

消し去りたい記憶です。

 

やっとオープンにできるようになった

鬱にならざるをえなかった過去、

鬱の苦しさ、精神疾患への偏見、無理解、

鬱から生じた人間関係の摩擦、

回復しない焦り、諦め、自己嫌悪等は、

私がどうしても向き合えない問題でした。

 

またそれ以上に夫の死による苦しみは

大きかったように思います。

私の語りたくなかった過去の記憶でした。

思い出すことすら苦痛でした。

 

つらい記憶に蓋をして

私は逃げ回っていました。

鉛の塊を胸に抱いているような気分でした。

 

でもこのつらく重い記憶は

意外にもその問題に腰を据えて向き合い、

振り返り、問題を整理して受け入れることで

乗り越えることができました。

向き合えるまでに

10年近い歳月が必要でした。

 

過去と向き合い書くことで

私は自分の心の蓋を外し、

鬱や夫の死の記憶から

自分を解き放つことができました。

 

でも私には

まだまだ忘れてしまいたい記憶があります。

整理して克服した部分もあり、

風化している部分もありますが、

生々しくうごめいている部分が

まだまだあります。

 

人は誰でも

人生を消せる消しゴムがあれば

消したい記憶があると思います。

消したい記憶を持って生きることは、

鉛の塊のような重い気分です。

 

消したい強烈な記憶は、

一番忘れてしまいたい記憶であり、

一番告白して昇華したい記憶でもあるように

思います。

 

消したい記憶を

墓場までそのまま持って行く人もあり、

誰かに告白してわかってほしい思いと

思い出したくない気持ちの

せめぎあいが続く人もあり、

向き合って告白する人もあると思います。

 

向き合い方は様々でも、

自分の過去とどう向き合うかが、

その人の生き様なのかも知れないと感じます。

 

50代も後半になり、

自分の消したい記憶とどう向き合うかを

考える今日このごろです。

 

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