無花果~無条件の愛~

先日、スーパーで無花果を見かけたので買いました。私は果物をほとんど食べないのですが、母が無花果を好きだったことを思い出して、なんだか急に懐かしくなって買ったのです。

   

家に帰って、無花果をむいて食べると、無花果を美味しそうに食べていた母の姿が思い出されて、涙が出そうになりました。

 

 

<「躾け」と言う名の暴力>

母は働き者で律儀で、傍目に見ると良い母の典型のように見えたようです。事実、家族、特に私たち子どもに大変よく尽くしてくれました。でも、母は恐ろしく保守的で男尊女卑でした。自分の思うようにならないと「躾け」という名目で子どもに暴力を振るったのでした。母は「躾け」だと信じていたようですが…。

 

<険悪な母娘関係>

私が高校生になり、母の不合理な点や不公正な点を指摘するようになると、母は「本ばかり読んでいるから、そんなヘリクツをいうようになるのだ!」と怒りました。私に反論されて言葉に詰まると、高校生になっている私を殴ったのです。時には物で。私が結婚して、実家を離れるまで、母と私は仇敵同士のような険悪な関係が続いたのでした。

 

<表面的には落ち着いた>

私が結婚すると、母は人が変わったように優しくなりました。私の好物をせっせと作っては、自転車で私たち夫婦の家に運んでくれました。表面的には、母と私の関係は落ち着いたように見えました。でも、結婚して10年経った頃、私は鬱を発病してしまったのです。鬱発病の引き金は、過労とストレスでした。でも、問題の根源はもっと根深いものだったのです。

 

<鬱発病の根本>

鬱を患い、鬱発病の根本を突き止めると、そこには母との関係がありました。母は私のためだと思って、私を厳しく「躾け」ました。でも、幼い私は母に心から甘えたり、頼ったりした経験のないまま、大人になりました。私の中にいる幼い私は、母の無条件の愛に飢えて、ワンワン泣き続けていたのです。

 

<無条件の愛>

インナーチャイルドカードセラピーに出会い、私の鬱の根本、私のいきづらさの原因が、幼い日に無条件の愛を与えられなかったことだと気づいたのでした。大人になった私は、インナーチャイルドカードを1枚1枚引いて、自分の心と向き合いました幼い私に、大人になった私が、無条件の愛を与えたのです。

 

<母を抱きしめてあげよう>

私はすっかり明るく元気になりました。でも、母が極端なまでに保守的で、男尊女卑だったことが許せなくて、今でも母に怒りを感じる自分に戸惑うことがあるのです。「なぜだろう?!」と心が乱れました。

     

でも、無花果を食べながら、やっと気づきました。私は母が大好きなのです母に手放しで甘えたかったのです。「手先は器用だったけれど、母は愛情表現が不器用だった」と母に対して不満を抱いていました。でも、何のことはない、私自身も愛情表現が不器用だったのです。

 

母は13年前に亡くなりましたが、私の心の中にいる母に、「お互い愛情表現が不器用やったから言えへんかったけれど、お母ちゃん、大好きやで」と言って、母を抱きしめてあげようと思います。

 

 

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