私は英語で外国の人と交流するのが好きな方です。でも英語教師だった時は、間違った英語を話すのを恐れていたので、外国の人と話すのが苦手でした。今は英語教師ではないので、「少々間違っても、通じたらええやん~」と軽いのりで外国の人と交流できるようになりました。
<風当たりが強かった>
教師だった時は風当たりが強かったんです。私が単語のスペルを1字間違っただけで「英語の先生やのに、スペルを間違った!」と鬼の首を取ったかのように喜ぶ(?)人がいました。
また、みんなが少々ブロークンな英語で盛り上がって解散した後、「久夢さん、あの時、△△と英語で表現したけれど、文法的に間違っているよ。本当は◯◯と言うんだよ。あの時には言わなかったけどね」とか言う人もいました。「え!その時に言ってよ!」って気分でした。
<間違ってはいけないと言うプレッシャー>
それに、その人は英語の資格試験等の成績は私よりずっと高いのに、絶対に会話に参加しません。会話の内容はわかっているのに、一言も話さないのです。文法的なミスをするのが怖いのだと思います。
確かに文法的なミスなく話せることは大切でしょう。でも「間違ってはいけない!」という意識を捨てることはもっと大切です。英語力はあるのに、「間違ってはいけない!」というプレッシャーに負けて、実際の会話で全然話せない人はたくさんいます。
<過剰に恐れることはない>
以前、国際線の飛行機に乗っていた時、ビールを飲みたくなった人が、キャビンアテンダントに ” I am beer.” と言っているのを耳にしました。キャビンアテンダントはすぐに理解して、ビールを持って来ました。
ビールを頼む時に、” I am beer.” は英語的には間違いですが、その人が間違いを恐れて黙っていたら、機内でビールを飲んで楽しむことはできなかったでしょう。
英語も日本語も言葉は意思疎通の方法です。正しいに越したことはないでしょう。でも、文法的に正しいことが自己目的になってはいけないのです。間違うことを過剰に恐れることはないのです。
<生きた英語力>
それに、私たちは全く文法的に間違いのない日本語を話していますか?漢字を一字も間違いませんか?少々文法的におかしくても十分会話を楽しんでいますよね?
私は作家を名乗り、毎日ブログを書いていますが、全く間違いのない日本語で文章を書いているとは言えないです。より良く表現出来るように、何度も改稿します。
英語も同じです。楽しく英語で会話するうちに、「自分の気持ちをもっと上手に表現したい!」と思うようになります。そういう動機があって、勉強した英語は生きた力になり身につくのです。
だから思うのです、「間違うことを恐れすぎないで!」と。
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