プライドにすがって生きても幸せになれない

「お母ちゃん(祖母)はマルタ(本家)の出(で)やというプライドがあったさかい、厳しかったし気難しかった・・・」。父がぽつりとつぶやいた。

   

私の高祖父太蔵は、商売で成功し財を成した。曾祖母の小せうは、「この子が男だったら」と太蔵が悔しがったほど商才のある女性だったと言う。

 

残念ながら時代は、女性が才能を発揮できる時代ではなく、曾祖母小せうは他家に嫁いだ。ほどなく小せうは離縁され、男兄弟の家作の管理や魚の行商で生計を立てていた。

 

私の祖母志きは勝ち気で曾祖母小せうゆずりの才気あふれる少女であったらしい。曾祖母小せうの男兄弟の娘たち、つまり祖母の従姉妹たちは、きれいな着物を着て女学校に通うお嬢さんだった。

   

 

祖母は質素な着物を着て、小学校を卒業する頃には、曾祖母に代わって家賃回収の手伝いなどをしていたと言う。

 

「自分は質素な着物を着ていても、小学校しか出ていなくても、親に高価な着物を着せてもらい、女学校に通わせてもらう従姉妹たちには負けない!」

 

 

勝ち気な祖母は、口には出さなかったけれど、従姉妹たちへの並々ならぬ対抗心があったと父から聞いている。

 

祖母にとっては、「自分は太蔵の孫でマルタの出(で)だ」というプライドだけが、心の拠り所だったようだ。やがて祖母は腕の良い髪結いになった。経済力もあり、東本願寺前にある小さな旅館を買う話しがでるほどだったと言う。

 

 

改めて祖母の生い立ちを振り返ると、プライドを頑なに守って家族を支配した祖母にも複雑なバックグラウンドがあったようだ。

 

私が覚えている祖母は、小さく縮こまり暗く、少しも幸せそうではなかった。自分がしがみついて来たプライドに祖母自身が抑圧されていたのだと今は思う。

 

プライドにすがって生きても決して幸せにはなれない。

 

祖母の生き方を思う時、プライドにしがみついて生きることの愚かさを痛感する。祖母生まれたのは100年以上前の明治時代だけれど、祖母の生き方をふり返る意味は私には大きい。

  

私は容姿や気質が祖母にとてもよく似ている。祖母が亡くなるまで、私は祖母と共に暮らした。祖母の生き方の影響をもろに受けたのだ。それは私の心を抑圧し続けた。

   

祖母は40年以上前に亡くなった。でも、祖母の生き様を改めて書こうと思った。頑なにプライドにすがった祖母の影響、つまり心の制限から私自身を解き放つためにも。

  

 

【村川久夢ホームページ】

✿村川久夢著『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』✿

  *電子書籍(Amazon Kindle「読み放題」に登録されている方は0円でご購読いただけます。一般価格は550円です)下記ボタンよりお申込み下さい。

*----------*

*村川久夢ホームページトップには、新著『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』に頂いた感想を多数掲載しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA