【ああ、京都人】京都人が遠回しで本音を隠す謎をとく!––千年の都で生きる知恵

 

あなたもご存知ですよね? 京都人に「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言われたら、それが本当に「お茶漬けどうぞ」の意味ではないことを。

  

   

京都人の「ぶぶ漬けでもどうどす?」は「そろそろ帰ってください」という遠回しな表現なのです。

 

「ぶぶ漬け……」は京都人が遠回しにものを言って、本音を言わない典型例のようなものです。

 

京都人が遠回しで本音を言わないのは、千年の都「京都」ならではの深い意味があり、そこで生き抜く知恵が働いているのです。

 

 

今日のブログでは、「京都人がなぜ遠回しにものを言って、本音を言わないのか」という謎の謎解きをしたいと思っています。

 

 

私は、子どもの頃、明治生まれで生粋の京女の祖母から「お家(おいえ)に上がって、遊んでお行き」と大人に言われても、「絶対に上がってはいけない」と厳しく言いつけられていました。

 

いつだったか、大叔父の家に遊びに行ったことがありました。夢中になって遊んでいたら、夕方のご飯時になってしまったのです。

 

「今日はうちでご飯食べてお行きやす」と言われて喜んでいたら、優しいべっぴんさんのおばちゃんは私の家に電話をかけて、こんなふうに言っていたのです。

 

「お子さんをこんなに遅うまで引き止めて堪忍どっせ。うちはかまへんのどすけど、お家の人が心配してはったらあかんと思て、電話さしてもうたんどっせ」

 

 

実はこの京都人らしい言い方に隠された本音は「夕食時までよその家で遊ばせておくなんて、本当に気が利きませんね」なのです。

 

電話を受けた母が慌てて飛んで来て、私は家で母に厳しく叱られました。

 

「あんたが行儀知らずで、恥かくのは、あんたの勝手や! そやけど、あんたのために、人さんからお母ちゃんが笑われるんやで!」と言って叱られたのでした。

 

まさに母のことば通りでした。べっぴんさんのおばちゃんは、私の家族の「気の利かなさ」を、やんわり遠回しに本音を言わず非難していたのです。

 

 

 

京都ではハッキリ言われないとわからないのは、「気が利かない」「野暮なこと」と思われていて嫌われるのです。

 

 

生粋の京男である私の父は自分のエッセイ集に以下のように書いています。

 

父のエッセイ集

 



【厳しい支配体制の末端で抑えられている一般町民は、絶えず権力支配者の動向を窺い、いつ起こるかも知れない政権交替に具えていたのです。

 

心の中を見透かされることなく、本心を明かさず、悟られないよう何れの支配者に替わっても順応し、疑われる事なく新しい体制に沿う努力を惜しまなかったのでした。】


  

このように遠回しにものを言って本音を明かさない京都人の気質は、外部から新しく来た人の本心が判らず警戒したというのです。密告や裏切りを恐れたためでもあったのでした。

 

戦乱や政争が絶えない都で、遠回しにものを言って本音を明かさないのは、京都人の都で生き抜く知恵だったのです。

 

  

私は京都生まれで京都育ちですが、若い頃は、遠回しにものを言って、本音を言わない京都人の何を考えているのかわからないところが嫌いでした。

 

 

その頃は、豪放磊落ではっきりものを言う地域性に憧れていました。ある時、豪放磊落な地域性で有名なある県出身の人が、京都人の批判をしている場面に出会ったのでした。

 

「京都人は裏表があって腹黒い」「京都人はケチくさい」「京都人は小さいことにいちいちうるさい」「だが、わが○○県人は、裏表がなくてお腹に何もない。豪放磊落、心が広い」等々……。

 

その人はよほど京都人に嫌な思いをされたのでしょう。小一時間は声高に京都人の悪口を言い続け、意気揚々と去って行かれました。

 

でも、その人が京都人の悪口を言い続けていたのは、京都市内の某所、言い続けていた相手は私も含めみんな京都人でした。

 

「裏表がなくて、お腹に何もない」その某県の人には、言われて不快な気持ちになった相手への配慮や、京都人を相手にその悪口を言う無神経さを省みることはないのでしょうか?

 

 

周りの目を気にせず自分の意志を貫けることは偉いことですが、まったく周囲を配慮せずに振る舞うことははた迷惑でもあり、ひいては本人にとっても不幸なことだと思います。

 

 

何事にも長所短所があるのですね。京都人は「気が利く」ことを尊重し、はっきり言われないとわからないのは「野暮なこと」と考え、「野暮」を嫌います。

 

京都人は、土壇場でバタバタするような野暮なことを避けて、物事が円滑に進むように気を利かせて段取りします。

 

人との意思疎通においても、角が立たないように婉曲にものを言って相手を傷つけず、人の気持ちを配慮できることを重視します。

 

しかし、「気が利く」ことは、万事スムーズにことが進むこともあれば、気を効かせすぎて自分の本意が伝わらず、「意地悪」だと思われたり、「腹黒い」と思われたりすることもあります。

 

京都人も今は自分の意見をハッキリさせても命が危うい時代ではないのですから、主張すべきことははっきりと主張すべきでしょう。

 

とは言え、現在でも京都人の遠回しにものを言って本音を言わないことを上手く活かせることもあるかも知れませんね。

 

会議や交渉で、京都人のように遠回しに遠回しにものを言って本音を明かさず、角を立てず、最後には自分の思うように物事を運んだり、わからず屋の上司やお局様に、真綿で針を包んで嫌味を言ったりするのに効果的ではないでしょうか。

 

これが、京都人が遠回しにものを言って本音を明かさない謎の謎解きです。

 

一人の京都人としては、京都人を誇張して風刺されると、「そうやないんやけど……」と思います。

 

京都人の遠回しな言い方や本音を言わないことに対して、冗談や皮肉でからかったり、面白半分にもてあそんだりしている場面にであったら、この謎解きを思い出して下さいね。

 

そして、京都人のことばに秘められた気遣いや知恵を、少しでも感じ取っていただければ嬉しいです。

 

 

京都在住セラピスト作家:村川久夢

 

 

 


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村川久夢は、京都生まれの京都育ち。一人の京都人の目を通して、京都や京都人について、拙書『ああ、京都人~今を生き抜く知恵おしえます~』に書きました。戦争や政争が絶えなかった京都で、生き抜いて来た京都人の知恵を書きました。また、観光化されていない日常の京都や地元の人に愛されている京都の穴場、食べ物やお店についても新著に書きました。     

 

 

 

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