親の介護は子どもがすべき?~自宅介護と施設~

 

 

2年前、父が施設に入所するまで、私は父と弟と三人で暮らしていました。時々、父と撮った写真や父との何気ない会話を、SNSに投稿すると、驚くほどたくさんの反応を頂くのです。「みんな親の介護問題が大変なんやろうな…」とつくづく思いました。このブログは、親の介護について、考えたブログです。

 

父と久夢

 

<自宅で介護することに>

父は90歳の時に圧迫骨折で入院し、一時寝たきりになりました。心配する私と弟をよそに、当人は至って前向きで、「ワシは100歳の人より10歳若い!また歩けるようになる!」と言って、本当にまた歩けるようになりました。

 

入院中の父

 

父の退院が決まった時に、父が自宅で暮らすのは無理だろうと私は思いました。

 

でも、弟が「今まで家族の面倒ばかり見てきたお父ちゃんを施設に入れるのは嫌や! 家で介護する」と言うのです。

 

弟と話し合った結果、デイサービスとショートステイを利用しながら、父は自宅で生活することになりました。

 

<小さなことに悩まされる>

デイサービス、ショートステイ、訪問リハビリを利用しながら、父は穏やかで幸せそうに毎日を過ごしていました。でも、認知症が進んで、だんだん介護の必要度が高くなっていたのも事実なのでした。

 

父の介護は主に弟がしていました。朝、父を起こして、紙パンツを変えて、着替えさせ、洗面させ、食事をさせて、薬を飲ませる。デイサービスに行く日は、デイサービスに行く準備をして送り出す。父の衣類の洗濯も弟がしていました。

   

父の認知症が進んだと感じるのは、食事に時間がかかることでした。食事中に気にかかることがあると、父はそれにかかりきりになり、食事が中断するのです。そのまま、食べないことがあり、食べる気にさせるのにずいぶん時間がかかったものでした。

   

また、時間の感覚がおかしくなっていて、夜中に起き出して、私や弟を起こしたり、朝、起きず、昼まで寝ていたりでした。昼間に寝ると、当然、夜は寝ません。デイサービスの日は、父を起こすのに弟は一苦労していました。

  

小さなことのように思えるかも知れませんが、一緒に暮らしていた時は、これらのことに悩まされました。

 

 

<もう限界やわ>

父と暮らすのは大変でした。主に介護している弟はもっと大変だったのです。ある時、父が転んで、病院に行く騒動がありました。大事に至らず、頭にタンコブを作って、手を擦りむいただけですみましたが…。

    

父は転んだ影響なのか、その日は弟が父を寝かしつけて、10分もしない間に父は起き出し、弟は苦労して再度、父を寝かせました。その直後、父は私を呼びに起き出して来ました。今度は私が寝かせましたが、やっぱり10分しない内に、起き出して歯を磨いていたのです。

  

「もう限界やわ…」と弟がポツリと言いました。私もそう感じました。

 

ぬり絵をする父

 

<だましだまし>

父は親子3人で暮らすのが本当に幸せそうでした。父は実年齢と反比例して、精神年齢が下がり、幼い子どものようになったのです。

 

高齢になるとその人の地がでるのか、父は本当に純粋で無邪気になりました。そんな父を見ていると、自宅で一緒に生活したいと思ったものです。

 

その反面、弟が限界に近いのも感じていました。私もできるだけ父の介護をして、弟の負担を少なくしたいと思いましたが、それでも大変だったのです。

 

本当に「限界だ!」と感じたら、父を説得して、施設にお願いしようと考えていました。

 

「親を施設に入れたら、親を捨てた」と言う意識や「親の介護は子どもがすべき」と言う「~すべき意識」という意識が、私と弟になかったわけではありませんでした。自宅介護の限界を感じながら、私たちは「だましだまし」なんとか一緒に暮らしていたのです。

 

父が自宅で転んで入院したのをキッカケに、私たちは、父を施設に入所させることを決意しました。退院した父は認知症が進んでいて、施設入所に抵抗しませんでした。でも、弟も私も、自責の念や父がいない寂しさに囚われたのでした。

 

父は優しく穏やかだったからか、施設の方には、本当によくして頂いて頂きました。「家に帰りたい」「家族に会いたい」とはまったく言わず、施設のスタッフや他の入所者に囲まれて、機嫌よく過ごしていたようです。施設のスタッフは、父の様子をまめに連絡してくれたのです。約2年間、施設のお世話になりました。

 

そして、一週間前、父が嚥下できなくなり、危険な状態だという連絡を受けて、私たちは慌てて施設に向かったのでした。到着すると、父は息を引き取った後で、スタッフに体を拭いてもらっていました。父は苦しまず、静かに息を引き取ったと聞きました。父は眠っているような穏やかな表情をしていました。父は、施設で施設のスタッフに看取られて、亡くなったのです。

 

その後、葬儀社の搬送係が来られるまで、3時間ほど、施設の父の部屋で、父と二人で過ごしました。その間、施設のスタッフの方が、何人も父にお別れを言いに来て下さったのです。みなさん涙を浮かべて、父の死を悼んで下さいました。父は、本当に施設のみなさんに良くしてもらったのです。

 

父の認知症が進み、自宅介護の限界を感じ、施設に入所することになった時は、父を施設に預けることに、抵抗がありました。

 

でも今は「施設でお世話になって良かったな」と実感しています。施設のみなさんは、家族のように、いえ、家族以上に父を大切に介護して下さったのです。みなさんの誠実で温かい介護は、私たち家族の心を慰めてくれました。

 

父が亡くなって、一週間が経ちました。通夜や告別式を終えた今、強く感じることは、「親の介護は子どもがすべき」のような「べき思考」は、介護される方もする方も、苦しめるだけだということです。

 

 

京都在住セラピスト作家:村川久夢(むらかわくむ)

 

 

 

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