私の実家には昔「おくどさん」がありました。おくどさんはかまどのことで、おくどさんできるおこげが香ばしくて好きでした。
<「おくどさん」とは?>
実家には昔、「おくどさん」がありました。「おくどさん」はかまどのことです。滋賀県の母方の祖母は、かまどを「へっついさん」と呼んでいたことも覚えています。
「おくどさん」の語源を知りたくて、愛用している『京ことば辞典』で調べてみました。
【おくどさん】
かまどの略称。かまどの神様。かまど信仰にもとづく。(中略)オクドサンはクド(かまど)に、最高尊敬語のオとサンをつけたものにもとづく。それはクドには、荒神サンが宿るとの民間信仰による。クドは火処(ほど)の意。
「おくどさん」そのものも知っていましたし、「おくどさん」と言うことばはもちろん知っていました。でも、その語源は全く知りませんでした。
そう言えば「おくどさん」は清い場所、「お尻を向けたらあかん」と祖母に言われた記憶が薄っすら蘇ってきました。
<おこげのご飯>
実家はとても狭い町家で、通り庭の奥にある「おくどさん」も小さい「おくどさん」でした。小柄な祖母が「おくどさん」に薪をくべて、ご飯を炊いていました。実家で「おくどさん」を使っていたのは、かなり昔のことですが、祖母が現役だった頃は、「おくどさん」も現役でした。
幼い頃、祖母がご飯を炊いているのを見ると、楽しみなことがありました。「おこげのごはん」が楽しみだったのです。祖母はご飯が炊けると、ご飯をお櫃に移した後、「ミーヤン(子どもの頃の私の愛称)、おこげのごはんできたで、たべや~」と私を呼ぶのです。
祖母は邪魔くさがりなので、おにぎりにはしてくれず、おこげは小鉢に入っていました。それでも、少量のお醤油をかけてまぶしたおこげのごはんは、香ばしくてとても美味しかったのを覚えています。
<「おくどさん」の引退>
母が家事の中心になると、実家の台所もだいぶ変わりました。「おくどさん」は使われなくなり、ガス炊飯器が登場しました。
余談ですが、祖母は電気冷蔵庫にも抵抗して、長い間、水屋が現役でした。氷を入れて使う冷蔵庫があったのもかすかに覚えています。
狭いのは相変わらずでしたが、ガス炊飯器、冷蔵庫、湯沸かし器等が登場して、少しは台所も便利になりました。
でも、おくどさんが使われなくなって、おこげのごはんが食べられなくなったことを少し寂しく感じたことも覚えています。
<「おくどさん」も死語に>
とか言いながら、私自身は炊飯器でしか、ご飯を炊いたことがありません。友人は土鍋でご飯を炊いているそうです。おこげもできて、美味しいらしいです。私は何かと言うと電子レンジを使い、手を抜くことばかり考えていますが(汗)
飯盒炊さんに行った時など、おこげのご飯を懐かしく食べたものでした。でも、飯盒炊さんに行く機会も最近はほとんどありません。
「おくどさん」やおこげのご飯に郷愁は感じますが、「おくどさん」はだんだん死語になって行くんやろうなと思います。ことばは時代の変化に伴って、こうして変わって行くのだろうと思います。
他愛のない「おくどさん」とおこげのご飯の思い出話でした。
村川久夢は、京都生まれの京都育ちです。ごく普通の京都人の目を通して、京都や京都人について、新著『ああ、京都人~今を生き抜く知恵おしえます~』に書きました。観光化されていない日常の京都や地元の人に愛されている京都の穴場、食べ物やお店についても新著に書きました。本ホームページで新著の1章1項を無料公開しています。読んで頂けたら嬉しいです。
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