誰かに「負けない!」と思うことは、時には動機づけになるかも知れません。でも、誰かと比較している間は、決して幸せになれないのです。
<負けず嫌い>
私の祖母は大変な負けず嫌いでした。働き者で器用だった祖母は、腕のいい髪結でした。東本願寺前にあった小さな旅館を買う話が出るほど、髪結でお金を貯めたそうです。
私の高祖父、(祖母から見ると祖父)は商売に成功して財を築きました。曾祖母(祖母の母)の男兄弟は財産を分与され豊かでしたが、曾祖母は離婚して女手一つで、大伯母と祖母と大叔父を育てたのです。離婚後、曾祖母は自分の兄弟の借家を管理したり、魚の行商をしたりして、生計を立てていたと聞いています。
祖母には同年代の豊かな従妹がいました。彼女らが上等の絹の着物を着て女学校に通ってた時、祖母は木綿の着物を着て曾祖母の仕事を手伝っていたのでした。
祖母は勝ち気だったので、口には出しませんでしたが、豊かな従妹たちに強烈な劣等感を持っていたようです。
それは「貧しく育っても、従姉妹たちに私は負けない!」と言うバネになりました。祖母は評判の腕の良い髪結になったのでした。明治生まれの女性には珍しく、祖母には経済力があったのです。
<プライド>
祖母の苦労は、貧しい母子家庭に生まれ育ったことだけではありませんでした。息子が(私の伯父)が聴覚に障害を持って生まれたのです。その上、末の娘(私の叔母)もはしかをこじらせ聴覚を失い、戦争で物資不足のさなか10代で命を落としてしまったのです。
戦中戦後を生き抜いた祖母でしたが、コツコツと貯めたお金は、戦後のインフレーションで価値を失ってしまいました。
そんな祖母を支えたのは「貧しく暮らしても、私は成功した一族の一員だ。そこらの普通の貧乏人とは違うのだ!」と言う虚しいプライドだったのです。
<笑顔の祖母を見たことがない>
祖母は死ぬまで「貧しく暮らしても、私は成功した一族の一員だ。そこらの普通の貧乏人とは違うのだ!」と言う虚しいプライドにすがっていたのです。孫の私の目に、そんな祖母は幸せそうには見えませんでした。
祖母は明治、大正、昭和の激動の時代を本当に力強く生き抜いて来ました。私は祖母の強さを尊敬します。
でも、祖母を支えて来た「貧しく暮らしても、私は成功した一族の一員だ。そこらの普通の貧乏人とは違うのだ!」と言う虚しいプライドは、祖母や家族を不幸にするだけでした。
おばあちゃん子だった私は生まれた時から、祖母が息を引き取るまで、祖母の側にいましたが、祖母が心から楽しそうに笑っている姿を思い出すことが出来ないのです。
<祖母の笑顔を見たかった>
誰かに「負けない!」と思うことは、時には動機づけになるかも知れません。でも、それだけが目的になるのは虚しいことです。誰かと自分を比較している間は、満足感を得られず、決して幸せになれないのです。
自分が心から「楽しい!」と感じて充足感を得られることが幸せだと、私は自分の経験から思います。人目や世間体ではなく、自分の心を自分で満たし、心を自由にすることこそが幸せだと思うのです。
逆境をバネに生きた祖母は偉かったと思います。でも私は、虚しいプライドを捨てて、心から楽しそうに笑っている祖母を見たかったと感じます。
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