【共依存の克服】いいお母さんでなくてもいいやん

<いいお母さんのイメージは?>

「いいお母さん」と聞くと、あなたはどんなイメージを持ちますか?

 

朝早くから起きて、家族の朝食やお弁当を作る。洗濯もばっちり。料理は手作り。片付け上手で家はピカピカ。その上、上手にやりくりして貯金をする。手先も器用で子どものために手作りの衣類や雑貨をつくる。でも、どんなに忙しくてもこざっぱり身ぎれいにしている。

 

 

なんだか息が詰まりそうですが、私が抱く「いいお母さん」のイメージです。

 

実は、私の母がこの通りの人でした。母は子どものため夫のため自分を犠牲にして尽くす典型的な「昭和のいいお母さん」でした。私は知らず知らずの内に、こんな「いいお母さん像」を持っていたんですね。

 

<典型的ないいお母さんだったけれど>

こんなことを言って、一生懸命だった母には悪いですが、典型的ないいお母さんの子どもでいるのは本当にしんどかったです。

 

母の母、つまり私の母方の祖母は、苦労人でとても出来た人でした。貧しい農家の主婦として、10人の子の母として身を粉にして働いていました。祖母はとても情愛の深い優しい人でもありました。母は、農作業で忙しく苦労の多い祖母を助けるために、幼い頃から家事を担ったと聞いています。

 

母は、祖母を助けることに自分の生きがいや自分の存在価値を見出していたようです。

 

私が母の気に入らないことをした時など、母は「お母ちゃんは、お祖母ちゃんを怒らすようなことを一回もしたことがないで!」とよく言っていました。

 

本当だったのだと思います。母はよい子で、祖母を困らせることはもちろんのこと、甘えたこともなかったのでしょう。

 

 

<自分の人生を生きられなかった母>

母は、親の勧めるお見合いで、父と出会い結婚しました。父は誠実で優しい人ですが、父の母、私の父方の祖母は、強烈に気難しく頑固な人でした。父は、自分の母に頭が上がらず、祖母が横車を押しても立場の弱い母を守ってあげることが出来ませんでした。

 

私と弟が生まれると、母の生きがいは、私と弟になりました。母は、本当は情愛の深い人でしたが、人に甘えた経験がありません。

 

れに母は、「女の子は、いずれ他家にお嫁に行くから、嫁ぎ先で恥をかかないように厳しく躾けなければならない」と硬く信じていたようです。私にはとても厳しかったです。

    

母はとても律儀な人だったので、自分が信じる「よいお母さん像」に忠実であろうとしました。「お母ちゃんは、あんたらのために辛抱しているんやで」と苦労の絶えない母から言われると、私は、幼い日の母のコピーのような「よい子」に育ちました。母を喜ばせることが、私の存在価値だと思うようになってしまったのです。私たちは、絵に描いたような共依存母娘でした。

    

母と久夢(旧東ベルリンのホテルにて)

 

<母が母の人生を歩み始めた>

そんな母でしたが、同居していた父方の祖父母が亡くなり、私も弟も就職すると、パートタイムの仕事をするようになりました。社員食堂の調理補助の仕事をするようになったのです。

 

母は、料理が得意で手先も器用だったので、職場で重宝されるようになりました。パート仲間にも信頼され、仲良くなりました。気の合うパート仲間と食事に行ったり、カラオケに行ったり、積立をして小旅行に行ったりもするようになったのでした。

   

また、母は手芸が大好きで、パートに出るようになった頃は、クロス刺繍に夢中でした。驚くような根気の良さと集中力と緻密さで、見事な作品をいくつも作っては、友だちやパート仲間にプレゼントしていました。

   

母のクロス刺繍作品

 

そんな母の姿を見るのが、私は本当に嬉しかったです。心からホッとして安心しました。母が母の人生をやっと生き始めたからです。

 

 

<いいお母さんでなくてもいいやん>

私には、子どもがいないので、子どもの立場しかわかりませんが、自分の夢を持って生きる母の姿を見るのが子どもには本当に嬉しいことなのです。

 

一般的固定概念的な「いいお母さん」に縛られるのは、不幸だし虚しいですよね。母は長い間、私たち子どもの為に生きてきました。私もそんな母を喜ばせるために必死でした。一見美しく見える関係ですが、本当にしんどかったです。

 

母は母の人生を、私は私の人生を歩むようになって、母も私も自由に幸せになりました。紋切り型の「いいお母さん像」に縛られる必要は、全くありません。

 

あなたはあなたの夢を叶えるために、あなたの人生を歩めばいいのです。あなたのお子さんは、そんなあなたの姿を見て、きっと誇らしく思い、安心されるはずですよ。

(『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』3章より) 

    

村川久夢

 

拙書『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』から3章1項を抜粋しました。「女はこうあるべき」「母はこうでなければならない」等の制限がいかに人を苦しめるのか、その制限から自由になり、自分の夢をもつことの大切さを、同書ではこの項以外でも描いています。

   

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*共依存克服の旅~母は母の人生を私は私の人生を生きたい~

*村川久夢プロフィール

*村川久夢著『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』1章無料公開中

*村川久夢著『大丈夫、きっと乗り越えられる~鬱・夫の死を克服した私からのエール~』

 

 

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