春の別れ~卒業~

 

(一)美少年との出会い

大祐の視線が気になりだしたのは、いつの頃からだろう。授業をしていると、大祐とよく目があった。もともと、授業態度もよく、真面目な大祐は真剣な目をしていた。

                                           

しかし、いつからか私はその視線の強さに戸惑うことが多くなったのだ。

    

大祐は小学生の頃から指導力のある生徒として評判が高かった。端正な顔つきで、態度もきびきびしていた。真面目で責任感も強く、成績も良かった。端正な容姿もあって、まわりの生徒からも一目置かれていた。

  

しかし、大祐に出会った頃、私は面白みのない優等生の大祐を好きになれなかった。

  

その頃の私は教師生活も五年目を迎え、だんだん教師という仕事が面白くなって来た頃だった。特に生徒会活動が活発な大祐たちの中学校に赴任し生徒会の担当になってからは、生徒会活動が面白くて仕方がなかった。

            

一つの行事を企画し、それを実現する過程で、失敗し、苦労し、それでもやり遂げる喜びを知った生徒は、行事の度に自信をつけ大きくなった。

        

生徒と共に何かを創りだす喜びは何物にも代えがたいものだった。

        

ところが、大祐は学校行事や生徒会活動には冷ややかな目を向け、十分にその力を持ちながら、生徒会活動の中心になることを避け続けた。小学生の頃から指導力のある生徒として期待を掛けられ過ぎたからだろうか。

                       

私は大祐にも自分たちの手で何かを作り上げて行く喜びを知って欲しかった。

 

小さな力が結集した時にどんなに大きな力になるか、人間が本気を出して物事に取り組んだ時、どんなに凄い力が出るかと言うことを、私は大祐に知って欲しかった。

       

しかし、どれほど説得しても彼は生徒会行事を拒み続けた。

       

その力を十分に発揮しないまま、勉強だけ出来る生徒になるのだろうか?私はそんな大祐に腹立ちすら覚えていた。

      

そんな大人の期待に反発を覚えていたのか、大祐は所属するバスケット部の活動に熱中していた。

                    

    

ただ、何か引っ掛かるものがあるのか、生徒会を全く無視することは出来ず、少々屈折した表情だった。私は大祐のそんな表情が気になった。

          

私はそれでも次々と新しい企画を立て、忙しいけれど充実した毎日を送っていた。

            

(二)試練の時

大祐たちが二年生の春休みを迎えた頃、私は自分の生き方について考え込むようになった。確かに生徒と何かを創りだすことは大きな喜びでありやり甲斐だった。生徒も大きく成長して来た。

   

でも、私はどうなのだろう?仕事に追われ、家と学校の往復、家に帰ってくるとクタクタで毎日が雪崩のように過ぎて行く。自分を振り返る暇も、なりふりかまう余裕もなかった。

   

私はどんな風に変わったのだろう?成長したのだろう?そんな疑問を抱えていたのだ。

  

私はその頃、自分の恋愛問題でも悩んでいた。その頃付き合っていた男性は、私が生徒会活動に夢中になっていることを理解せず、いつも冷めていた。

          

「どうして自分から波風立ててまで新しい事がしたいのか僕にはわからないよ。自分に与えられた仕事を適当にやればいいんだよ。平穏に楽しく暮らすのが一番さ。真面目なんてクソ食らえだよ」

   

私の悩みを聞いた彼は吐き捨てるように言った。

     

彼が自分を理解してくれると信じたかった。でも、私は以前から薄々彼と自分の生き方が全く違う事を感じていた。次第に彼からの連絡は遠のいた。

        

「君には俺よりもっとしっかりした人がふさわしいよ。重いんだよ、君が!」

       

そんな言葉を残して、彼はお人形のように愛らしく美しい女性に夢中になり、私から遠ざかっていった。

     

大祐たちが三年生になり、私は生徒会担当から離れた。自分の生き方に自信が持てなくなったのだ。何か新しい事をしようという気力が起こらなかった。

     

「今まで私がして来たことは何だったのだろう?」そんな疑問でいっぱいになった。

  

思春期と言う難しい時期の生徒の指導、教科指導、クラス経営、私は心に重い鉛を抱いて毎日を送っていた。出来ることなら何もかも放り出して、何処かへ逃げて行きたかった。私は自分が抜け殻になったように感じた。

                     

かろうじて自分の責任だけを果たしていた。そんな私の思いを知ってか知らずか、三年生の私のクラスの生徒は私になかなか馴染んではくれなかった。

  

私がすべてに無気力になり、虚無感に悩まされていた頃、三年生になった大祐は生徒総会の議長に立候補したのだった。

    

       

(三)少年期終焉の美しさ

大祐は連日遅くまで学校に残り、生徒会の本部役員と協力し、生徒総会の準備を進めていた。そんな大祐を見て、私はほっとした。嬉しかった。

 

大祐は立派に生徒総会の議長を務めた。議長の大任を果たして自信をつけたのか、彼は次々と学校行事の中心になり活躍した。

   

彼にとって最後になる学校祭では応援団の団長を務めた。自発的に立候補し、心から楽しそうに練習を重ねていた。

     

放課後、遅くまで練習をし、その後も新しい手拍子や振付けを団のリーダーと一緒に考えていた。体育祭が近づくと、彼は早朝練習を申し出て、朝早くから応援の大太鼓の響きが聞かれるようになった。

     

体育祭当日、応援団長の黄色い鉢巻と襷を付け、黄色組応援団を率いて応援する大祐は生き生きと輝いていた。

      

中学三年生の男の子には少年期の終焉にふさわしい美しさがある。一年生や二年生では幼すぎ、高校生になると大人びてしまう。

       

ほんの一時期、生き生きと輝いている少年にだけある移ろいやすい美しさだ。その時の大祐にはそんな美しさがあった。

                                                                                      

                   

私は充実した中学校生活を送り、無限の可能性を秘めている大祐に羨望を覚えた。この少年は何に心奪われ、どんな少女に恋をするのだろう。その幻の美少女に私は軽い嫉妬心を覚えた。

       

修学旅行、学校祭、三年生の大きな行事を終え、進路決定をするころから、大祐はよくとりとめのないことを言って私のところへ話しに来るようになった。

        

一年生の頃から教えている大祐は、急に元気のなくなった私の変化に気付いていたのだろうか、あるいは、大きな行事の中心的役割を果たした自信からか、今までにない人懐っこさで私に接するようになった。

      

それまでは真面目一方で、私がつまらない冗談を言うと軽蔑したような目で私を見て、無視していた大祐が、昼食時間や放課後、私が教室に残っているとしょっちゅうやって来てとりとめもない話をするようになっていた。

                      

(四)美少年のまなざし

ある日、自分のクラスの掃除当番の生徒が掃除をさぼり、荒れ果てた教室で私は惨めな思いを抑えきれずにいた。さりとて、職員室に戻る気にもなれず、私は教室の教卓に向かってぼんやりしていた。

              

   

「先生、どうしたの?当番のヤツ帰ったの?」と言いながら大祐と彼の友人数人が教室に入って来た。

「しょうがないな~生徒に掃除一つさせられないんだから~」と大祐は冗談めかして言った。

「そうね、明日させるから、そのままにしておいて」と私は言ったが、

「でも先生、このままで放っておくのは教育上よろしくないよ。僕らがしてあげるよ」と言って大祐は譲らなかった。

「いいのよ、そのままにしておいて」と私は重ねて言った。

「しかたがないな」と口では言いながら大祐はほうきを持って、掃除を始めた。

大祐が掃除を始めると、彼の友人たち、と言っても大祐に一目置いている彼の子分のような存在なのだが、掃除を始めた。

      

私がいくら「いいのよ…」と言っても彼らは掃除を止めなかった。自分のクラスでさえこうも熱心にしないのではないかと思うほど丁寧に掃除をしてゴミ捨て場までゴミを捨てに行ってくれた。

   

私は大祐の優しさがうれしかったけれど、生徒に掃除一つさせられない指導力のない自分がよけいに情けなくなった。

      

「うちのクラスの生徒が掃除をサボって困っていたら大祐君たちが掃除してくれました」と大祐の担任の先生に報告すると、

         

「あいつらみんな、千葉先生に惚れているからな~」と言って、大祐の担任は笑った。私も適当に笑ってその場を繕ったが、大祐の目が妙に真剣だったことが思い出された。

 

その頃から大祐の視線が気になり始めた。

    

それまでは単に授業に熱心なのだと思って気にも止めずにいたのだが、意識をしだすと、確かに大祐とよく目があった。

       

授業中、特に大祐を見ようとしているのではないのに、前を向くと大祐と目が合う、廊下ですれ違うと必ず大祐は私と言葉を交わそうとした。

      

大祐の何かを訴えるような視線に出会うと、私は戸惑ったような気分になった。

 

-そんなことはない!気のせいだ!-

     

意識するまいとしている自分が可笑しかった。

          

しかし、何もかもに自信を失い、誰からも拒まれているように感じていた私にとって、大祐の強い視線が私を力づけていうように感じ、心が温かくなるように感じているのも事実だった。私の中で急に大祐の存在が大きくなった。

       

「大祐君、職員室に入ってくると千葉先生を目で探しているわね。すぐにわかる」と冬休みも終わった一月のある日、隣の席の先生に言われた。

      

その頃には、私は大祐の目を見ることが出来なくなっていた。大祐を意識するようになってしまったからだ。自然な態度を取ろうといつも努力し、それでいて大祐から目が離せなくなっていた。

         

私にとって大祐のその眼差しが心の支えだった。私は大祐のクラスに教えに行くと、大祐を見ないようにした。大祐や他の生徒に私の心の動揺を見抜かれるのではないかと不安になって来たからだ。

         

(五)高校入試

私立高校の試験が近づくと、大祐は私と話すことを避けるようになった。それでいて、誰かの肩越しや、物陰から彼の強い視線を感じる事があった。

                         

そっと大祐に目を向けると一瞬目が合い、慌てて視線を逸らせ俯向いた大祐の顔が目に入った。妙に思いつめた横顔が目についた。

 

何かに思い悩んでいるような怒ったような真剣な表情ははっとするほど美しかった。

 

いよいよ、私立高校入試が翌日に迫った。私立入試の事前指導のために体育館に受験者が集合したが、私は大祐に何も言わなかった。

      

冷たい体育館の床の上に胡座をかき背筋を真っ直ぐに伸ばし、目を閉じて説明を聞く大祐にはお座成りな言葉をかけさせない厳しさが漂っていた。

    

その端正な横顔は修行僧のような厳粛な美しさがあった。

     

彼は私から言葉をかけられることを避けるように早々と家に帰って行った。その頑なさを

    

大祐らしいと感じた。試験日はみぞれの混じる寒い日だった。

 

試験の様子を学校まで報告に来た生徒もいた。大祐と同じ学校を受けた生徒も何人かやって来た。試験はかなり難しく、誰もが苦戦している様子だった。

         

大祐は来ないだろう。例えどれほど試験の出来が悪く不安であったとしても、彼は来ないだろうと思った。色白の顔を蒼白にして重い表情で帰宅する大祐の様子が目に浮かぶようだった。私は仕事に気持ちを向け大祐のことを出来るだけ考えないようにした。

             

大祐や多くの生徒のいない私立入試の二日間身体の半分を持って行かれたように寂しかった。

      

緊張した表情で試験を受けている大祐の顔が何度も浮かんだ。この三年間、いつも一緒にいた大祐たちが私のもとを離れて歩き出そうとしている。ただの心配ではない、寂しさの入り混じった複雑な感情だった。

   

私は早く大祐に会いたかった。

       

当たり前のように過ごしていた昨日までの日々が、急に貴重に感じられた。そして、改めて振り返ってみると、三年間も大祐を教えていながら、彼のことを案外何も知らないことにも気づいた。

試験が終わっても、大祐は私のところには来なかった。彼の表情や他の生徒の話から、彼の試験の出来があまり良くなかったことが察せられた。

       

おそらく内心は誰かに励ましてほしいに違いなかった。しかし、彼は意地を張り続けた。私に甘えないことで私と対等の立場にいようとしているかのように感じられた。

                        

                                  

(六)入学試験不合格

発表の日が来た。私立の中でも難関であるといわれている進学校を二校受験した大祐はおそらくは不合格であろう結果を見に行った。

 

職員室で仕事をしていると、次々と生徒たちから連絡の電話がかかってきた。自分のクラスの生徒からの電話を待ちながら、私は大祐のことを思った。

 

クラスの生徒からの連絡が一通りあってからも、私は職員室で仕事を続けた。

  

大祐からの連絡を、私にかかってくるわけではない電話を待ち続けた。一校目の発表の後、二校目の発表を見に行った大祐からの連絡は他の生徒より遅かった。

    

大祐は二校とも不合格だった。

       

暗い表情で帰って来る大祐にひと目会って、一言でいい言葉をかけたかった。それでも大祐は学校には来なかった。

     

私は帰り支度をした。七時近かった。何度も何度も暗い表情の大祐の顔が心に浮かんだ。

     

「大祐の意地っ張り!馬鹿ね!」

      

そこにはいない大祐がそこにいるかのように呟いた。

      

偶然にも、翌日の一時間目の授業は大祐のクラスだった。

      

「昨日は発表でした。合格した人おめでとうございます。残念ながら不合格だった人に一言いいたいと思います。

   

私は、高校入試では幸い志望校に合格しました。でも教員採用試験を受けた時、同じように教師を目指して一緒に勉強していた仲間の中で、私だけが不合格だったことがありました。

                           

その時はとても辛く苦しかったけれど、でもそこから立ち直って次の第一歩を踏み出した時、ストレートに合格した人とはまた違った貴重な経験をしたと思いました。

     

そして、自分がそれまでより強くなったと感じました。

 

挫折は確かに辛いことです。でも一生懸命やって駄目だった時、挫けない強さを持っていることがとても大切であることを知って下さい。

     

負けた兵士は強くなると言います。どうかその経験を大切にして下さい。では授業に入ります。」

       

私が話しをしている間、大祐は俯いていた。大祐が私の言葉をどのように受けとめたか私にはわからなかった。でも、私が心から大祐にかけたい言葉だった。大祐が私に甘えることを避けることで成長しようとしているなら私はこういう形で大祐に応えたかった。

          

その日、会議を終え人影のなくなった階段を歩いていると、偶然に大祐たちに出会った。その時、大祐は素直に嬉しそうな顔をした。そして、両手を広げて通せんぼをして私を遮った。

  

「何してるの大祐君?」

       

私が立ち止まると、大祐は以前のように無邪気に笑い「さよなら」と言って帰って行った。

      

私は大祐のうれしそうな横顔を何度も思い浮かべた。

        

(七)思春期の美少年

毎日が慌ただしく過ぎて行った。私立高校入試が済むとすぐに公立高校の受験手続が始まった。私は神経を尖らせいつも緊張していた。連日、会議がもたれ遅くまで準備作業に追われた。

       

そして、公立高校の願書出願も無事に終わった。

      

久しぶりに明るい内に校門を出ることが出来たその日、私はデパートに寄って、卒業式に着る洋服を探した。淡いピンクのスーツを買った。

 

雑貨売場には流行しているカチューシャがたくさん並んでいた。私は立ち止まり、白いカチューシャを手に取った。鏡の前で付けると私の顔は急に若々しく見えた。

       

翌日、私はその白いカチューシャをつけ、ベージュのフレアースカートを着た。そのスタイルが私を少女のように若々しく見せることを知っていたからだ。

     

でも若く見えれば見えるほど、私は実際の年齢とのギャップを感じ落ち着かなかった。特に白いカチューシャを取ってしまいたかった。

          

その落ち着かなさと裏腹に、私には大祐にその姿を見て欲しい気持ちが強くあった。

       

         

普段の私の印象と違っているのか何人もの生徒から、

      

「先生、可愛い!どうして今日はそんなに若い格好をしているの?」と言われた。

       

その度に自分の欠点を指摘されているような苦痛を感じた。妙に後ろめたい気持ちだった。

    

大祐はなかなか私の前に現れなかった。授業が終わり、掃除をし終わっても大祐は私の前に現れなかった。

 

-絶対に来る-

    

なぜか確信があった。私は教室を離れずにいた。クラスの生徒はみんな帰ってしまったが私は待った。

「先生!今日は若いヘアスタイルをしていますね。」大祐は突然教室に現われ、ふざけたふりをしてそう言った。

「年がいもなく若い格好しているなって自分でも思うわ」私が笑って言うと、大祐はやっと私の方に向きを変えた。そして、顔を上気させ思い切ったように私に視線を向けた。

「すごく良く似合ってる。若く見える」大祐は赤くなりながらそう言った。

   

私は自分の心を見抜かれたのではないかと思った。

          

それにしても、大祐はなんと綺麗な顔をしているのだろう。男にしておくのがもったいないような色白、大きな目、彫りが深く、美貌の少年と呼ぶにふさわしい整った顔をしている。

   

顔立ちの一つ一つは女性のように美しいけれど、体格は大柄で肩幅も広くガッチリしている。

    

整った顔立ちだけでは出てこない、さわると手の切れそうな、張り詰めた、きらめくような美しさが、その時の大祐から溢れていた。

    

私に反発し、私を無視していた大祐が、私という人間を、そして私が彼にどれほど期待していたかを分かってくれたのだろうか。

     

あの幼かった大祐が、15歳も年上の私を戸惑わせたり、切ない思いをさせたり、なんと大人びたものを持つようになったのだろう。その大祐が私に愛情を感じているならば、それはなんと光栄なことだろう。

     

大祐と同年代になり大祐の気持ちに応えられる立場ならどんなにいいだろう。気後れや後ろめたさもなく、この胸に抱かれることができたらどんなにいいだろうと思った。

はっきりと大祐に愛情を感じた。

「ありがとう。うれしいわ」

  

大祐は私の気持ちを察したのだろうか、うれしさと戸惑いの入り交じった顔をした。

  

「でも、いくら若く見えても30歳は30歳だもんね」私は大祐から視線を外してそう言った。

     

「でも、すごく若く見える」少し寂しそうに言うと、大祐は教室から出て行った。

     

その後、大祐は私の教室の前でいつまでも友だちと取っ組み合いをしてふざけていた。私は笑いながらそれを見ていた。

      

(八)試練を越えて

その日以後、大祐の表情から思い詰めた暗さや悲壮感が消え、大祐は意地を張らなくなった。

私立の志望校が二校とも不合格であったことは、今まで優等生と見られてきた大祐にとってかなりショックであったに違いない、しかし大祐はそんな素振りを見せず、次の目標に向かって淡々と勉強を続けた。

 

私は大祐との残り少ない日々を大切にしたいと思った。そして大祐たちに自分の持てる力の全てを注いでやりたかった。

   

私には大祐たちと過ごす残り少ない日々が何物にも代えがたい貴重なものに思えた。

    

公立高校の試験前日、大祐は素直に私のところにやって来た。

      

「先生、今から下見に行って来る。今度は頑張るよ」

「頑張ってね」

「先生はいいな。もう試験なんてないから」

「そうね」

「だって30だもんな」

大祐はそれだけ言うと帰って行った。

     

その夜、私は高熱を出した。インフルエンザに罹ったのだ。熱に浮かされながら大祐たちのことを

思った。

  

公立高校の試験が終わった。

しばらく私は寝込んだ。なんとか起きられるようになり学校に行くと、「千葉先生、風邪の具合はどうですか?」と言って大祐がやって来た。

   

自分が守ってやらねばならない者を労るような頼もしさで言った。その大祐の様子から、彼が自信を取り戻したことが感じられた。

   

自信を取り戻し、試験の緊張から解き放された大祐は、卒業行事に熱心に取り組んだ。私も最後の通知票つけ、卒業式練習、答辞の指導など、仕事に目を向け、もうすぐ大祐たちが居なくなるのだということを忘れようとした。

   

卒業式前日、今度は大祐がインフルエンザに罹った。

 

私は答辞の仕上げに心を向け、大祐のことを考えないようにした。しかし、大祐たちと過ごした三年間の思い出が次から次に心に浮かび、答辞はなかなかまとまらなかった。何かと闘うような気持ちで答辞を仕上げた。

  

やっと答辞ができ、職員室に戻ると、大祐の担任の先生が大祐の様子を聞くために、彼の家に電話をしているところだった。

  

「ああ、そうですか、そんなにお悪いようでしたら、あまり無理なさらないで下さい」と言って彼女は受話器を置いた。

  

「大祐、三十九度も熱を出して、今、点滴しているんだけど熱が下がらないらしいわ。明日は無理かな…可哀想ね。こんな日に」と言った。

  

私は黙って職員室を出た。雪が舞っていた。

  

-大祐は来る。這ってでも来る-

熱に浮かされている大祐の様子が目に浮かぶようだった。私は、何も考えないようにして事務的に翌日の用意をした。

  

(最終章)春の別れ~卒業

私はピンクのスーツを着て丁寧に化粧をして登校した。できるだけ大祐のことを考えないようにいつも通りに振る舞おうとした。

 

最後の出席を取るために教室に向かった。出席を取り、クラスの生徒を廊下に並べ、卒業生の召集場所に向かった。

  

召集場所に行き、改めてクラスの生徒を整列させた。また雪がちらつき始めた。私は大祐を目で捜した。黒い制服の群れの中でなかなか大祐の姿が見つけられなかった。

  

大祐は蒼白の顔をして夢遊病者のように立っていた。立っているのがやっとのようで、とても言葉をかけられる様子ではなかった。

   

卒業生入場のサインが出た。クラスの生徒を先導して拍手の中を会場に入った。生徒を着席させ自分も職員席に着き、卒業生全員が着席した。一同に会した生徒を見て

   

-ああ、ついにその日が来たのだ-

   

と思った。卒業証書授与。私は自分のクラスの生徒の名前を一人一人読み上げた。

    

コールを終えて席に着いた私の前を通って、大祐は卒業証書を取りに行った。雲の上を歩いているような頼りない足取りだった。それでも大祐はきりっとした顔つきだった。私を一瞥すらしなかった。

  

卒業式は無事に終わった。

  

拍手に送られて卒業生が会場を出た。ブラスバンドの演奏に送られて校庭に出ると女の子たちが泣き出した。生徒に囲まれ、私は握手をしたり、言葉をかけられたり、一緒に写真を撮ったりしていた。

   

大祐は校庭の隅で友だち数人と一緒に立ちすくんで私に近づいては来なかった。

 

-馬鹿ね、また意地張ってる-

 

私は大祐たちの所に歩いて行った。

「おめでとう。いよいよ卒業ね」と私が声をかけると、

「お世話になりました」

「ありがとうございました」

と大祐の友人たちは口々に行った。

「千葉先生と会うのも今日が最後ですね」と大祐がポツリと言った。

「そんな永遠の別れみたいに、いつでも中学校に来て。みんなを待っているわ」と私はわざと明るく言った。

「千葉先生は来年もまだこの学校にいるんでしょ?」と誰かが尋ねた。

「うん、いるよ、いつでもみんなのことを待っている」

「なんだ、いるのか…」とまた大祐がぽつりと言った。

「ずいぶんな言われかたね」と私が答えると、

「僕は千葉先生がいつまでも居てくれたら嬉しいなんて素直に言えないんだ。インフルエンザだから今は…」と照れたように言い横を向いて座り込んだ。

    

私はいつまでもそこに居ていつものように大祐たちと話しをしていたかったけれど、思い切って言った。

   

「みんな元気でね。高校での活躍を期待しているわ。いろんなことに挑戦してね。勉強しかしない、自分の事しか考えない人には絶対ならないでね」

   

大祐たちは黙ってうなずいた。

   

      

私は校庭を後にして教室に戻った。卒業式が終わって誰も居なくなった教室にひとり立ち無我夢中で過ごした三年間を思った。

   

自分の考えを持ち自分に正直に精一杯やった三年間だった。

    

初め私に反発し冷ややかな目を向けていた大祐が私の生き方を認め、力を尽くし、生き生きと輝いていた。

  

そして私に年齢の差や立場を忘れさせるようなひたむきな思いを寄せてくれた。

  

大祐と私がお互いに愛情を持っているとしても、それを口に出して言うことは決してないだろう。

  

私たちの愛情は口に出せば、すぐに消えてしまうような、純粋で、繊細で、はかない、ダイヤモンドダストのような感情のきらめきだった。

    

それは、ひたむきに正直に同じ時を生きた者同士でなければ持つことのできない貴重な感情だった。

   

私たちは、卒業と言う春の別れを迎えた。

  

しかし、自信を失くし投げやりに生きようとしていた私に、人生で始めての試練高校入試を乗り越えて、思春期の通過儀礼を越えて、立派に成長した大祐が、思いを尽くし、大切なことを教えてくれた。

私は大祐を決して忘れないだろうと思った。私の心に大祐の端正な横顔がいつまでも残っていた。

   

        

 

<完>

 

作家:村川久夢(むらかわくむ)

 


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