かりん糖の思い出~9点だった数学のテスト~

私は算数が嫌いでした。数学はもっともっと嫌いでした。特に進学校だった高校の数学の授業は、私の頭には難解で苦痛でしかありませんでした。

 

高1の数学担当の先生は、定年後も講師をされている女性教諭でした。予習しない生徒には、ビシビシ厳しく指導されていました。私はどうだったかと言うと、予習しようと教科書を開いてみるのですが、ちんぷんかんぷんで全く理解できませんでした。そして次第に予習するのを止めてしまったのです。

 

  

<行き詰まって>

毎回の授業は「当てられたらどうしよう…」とドキドキの連続でした。指名された時は、隣の生徒のノートを見せてもらって、何とかしのいでいたのです。本当に数学の授業は、苦行でした。次第に行き詰まって、2時間連続で数学の授業がある日は、授業をサボって家に帰りました。母には「授業が休講になった」と嘘をつきました。

欠課時数がどんどん増えて行ったのです。出席日数が足りずに、進級できなかったという先輩の話が、頭をかすめるようになりました。数学が嫌いで嫌いで学校に行きたくない日が続きました。

 

<唯一の救い>

一生懸命に勉強して入学した高校ですが、やめたい気分全開でした。それほど数学が嫌いでプレッシャーでした。唯一つ救いだったのは、数学の先生を嫌いではなかったことでした。厳しいけれど、数学の先生には、どこか温かみが感じられたのです。

 

ある日の放課後、私は思い切って、数学の教科書を持って先生を訪ねました。先生は職員室で仕事をされていましたが、私の悲愴な顔を見て、椅子にかけるように言われたのです。

 

私は数学が全くわからず予習できないこと、授業に全然ついていけないことを話しました。私の話を聞いた先生は、「じゃあせっかく来たのだから、教科書を出しなさい。一緒に問題をやってみよう」と先生は言われたのでした。

<小さな希望>

先生は教科書を開いて、私がつまずいている箇所を探りながら説明して下さったのです。先生と一緒に例題を解くと、少し理解できました。

「ここで勉強した例題のノートを見て、他の問題もやって持って来なさい」と先生は言われたのでした。こうして私の補習授業が始まったのです。放課後の補習にしばらく通うと、少しずつ授業が理解出来るようになって来ました。

 

授業は相変わらず難しくついて行くのが大変でしたが、気分が違いました。「少し分かって来た」と言う小さな希望のようなものが持てたからでした。

 

 

<小テスト>

そんなある日、先生が小テストをされることになりました。私は張り切って、小テストに向けて試験勉強をしました。小テストは、出来たように思えました。

 

「小テストのことですが、教室でテストを受け取るのが嫌な人は、職員室まで来なさい」と試験後、先生が言われました。

 

私はドキドキしながら、職員室に行きました。先生は、まだ採点されていない私の答案用紙を出して赤ペンを持って、採点を始められたのです。先生の顔がどんどん険しくなりました。

 

答えを導く過程は合っていても、その過程で私は計算ミス等を重ねていたのです。先生は難しい表情で私の答案用紙を返して下さいました。

 

「9/100点」

 と答案に書かれていました。

 

<かりん糖>

私は絶句でした。放課後、職員室に通い、家でも一生懸命に頑張って勉強していただけにショックは大きく、私は泣き出してしまったのです。

 

困惑しきった表情で、しばらく黙って私を見ていた先生は、机の引き出しからかりん糖の袋を出し、泣いている私の手を取って、私の手のひらにかりんとうを一握り乗せて下さった。そして、「泣かないでお願いだから」と言われたのでした。

しばらく職員室で呆然としていました。帰ろうと思った時、手のひらのかりん糖に気づきました。一口かりん糖を食べると、かりん糖は甘く美味しく、元気が出たのでした。

 

   

<気を取り直す>

先生は9点だった小テストについては、何も言われませんでした。私はなんとか気を取り直して、また、放課後、先生のところに通うようになりました。

9点の小テスト以来、私は試験勉強をする時は、必ずかりんとうを用意しました。勉強に疲れた時、諦めそうになった時、かりんとうを食べると不思議に力が出ました。

結局、数学は好きになれずじまいでしたが、定期テストで赤点を取ることはなく、無事に高校を卒業することができたのでした。

 

<すぐに成果が出るわけではない>

私が小テストで9点を取った時、きっと先生もガッカリされたと思うのです。その後も私の数学の成績は芳しくありませんでした。

私は教えても教えても、目に見えた成果を出せない生徒でした。でも、先生は「あんなに教えてあげたのに、こんな点数なの?」とは、一度も言われませんでした。むしろ、私が補習をサボると、「もう補習はやめなの?」と言われたくらいでした。

あれから40年以上の歳月が流れました。私はテストの点数で成果を示すことは出来ませんでした。でも、私はすぐに成果が出なくても簡単に諦めない粘り強さという点数に表れない成果を得ました。

私は 奇遇にも教師になりあの頃の先生の年齢になりました。今でも、かりん糖を見ると数学の先生を思い出します。そして、教育とはすぐに成果が出るわけではないのだなとしみじみ思うのでした。

   

 

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