母との確執を超えた!幼い心を癒し信じた道を行く~インナーチャイルドが解放されるまで

 今日は母の誕生日です。生きていれば90歳でした。母は、2007年に72歳でなくなりました。

私は、「幼い頃に受けた心の傷を癒す」ことをテーマにして活動しています。実は、このテーマは、私と母の関係と深く結びついているのです。

母には母の事情があったのですが、幼い頃から母に無条件に愛されなかったことが、私の心の傷となり、私は長い間、原因不明の生きづらさにずっと悩んでいたのです。

でも今日、母の誕生日には、私が心の傷を癒やして、生きづらさから自由になり、夢に向かって幸せに生きられるようになったことを書きたいと思います。お母さんとの関係に悩む人に読んでほしいです。

母の誕生日に書き残したい!

 

7年前、私は母との問題を解決するために、母が生まれ育った滋賀県米原市を訪れました。叔父(母の弟)が、私を案内してくれました。

母が子どもの頃、遊んだ「湯谷神社」

母は、琵琶湖の干拓地を開拓する農家に生まれました。10人兄弟の三女で、祖父母や年長の兄姉は農作業で忙しかったため、母は小学校の三年生ごろから、家族の食事を調理していました。

私も子どもの頃、夏休みになると干拓にある母の実家を訪れました。子どもの頃は、母の実家を「干拓」と呼んでいたのです。

当時の干拓は、見渡す限り水田が広がっていて、地平線のかなたに琵琶湖畔の松林が見えました。

7年前、叔父に連れられて懐かしい干拓を訪れましたが、すっかり住宅地になっていて、水田のかけらも見られませんでした。

この道にはかすかに昔の面影を感じました

干拓資料館ができていて、人の背丈以上ある大きなポンプが屋外に展示されていました。

そのポンプを見た時、開拓した祖父母や伯父伯母、主婦代わりに食事を作っていた母の苦労が偲ばれるようでした。

 

母は苦労の多い人でした。地元の中学を卒業すると、集団就職で愛知県の一宮市にある紡績工場で働きはじめました。たった15歳だったのに!

母は、干拓地や家を買った祖父母を少しでも助けるために、わずかな小遣い以外は給料の全部を実家に仕送りしていたのです。八年間も一宮市の工場で働いていたそうです。

20代の母(美人だった)

その後、父と結婚して、京都で暮らすことになりました。

父は穏やかで優しい人柄でしたが、父方の祖母は明治の生き方を頑固に守る京女だったのです。

母は手先が器用で手芸が好きでしたが、性格は不器用で、母もまたとても頑固でした。あの祖母と一緒に暮らすことになった不器用な母の苦労が察せられます。

 

不器用で上手にストレスを発散できない母は、幼かった私に行き場のない感情をぶつけたのです。

赤ちゃんだった私と母

幼い頃の記憶に残っている母は、いつも不機嫌で、よく叱られました。なぜ、叱られるのかわからなくて、私は母の顔色を見て、ご機嫌ばかり伺っていました。

今から思うと、私が人の顔色ばかり見てしまい、人の評価ばかり気にするようになったのは、この頃に問題の根があるように思います。

私はまだ子どもでしたが、母の微妙な立場を敏感に察して、お使いに行ったり、お手伝いをしたり、一生懸命に母を手助けしました。母の味方をしているつもりだったのです。

私は手のかからない大人にとって都合の「いい子」でした。

今振り返っても、私に祖母や父の悪口を言わないでほしかったと思います。母にとっては二人とも他人ですが、私にとっては「祖母」と「父」なのですから。

 

母との確執が顕著になったのは、私が高校に進学して、大学を目指すようになった頃でした。

母は学歴に深いコンプレックスがあり、高校ならまだしも、四年制大学に進学する女子が少なかった当時、私が四年制大学進学を望むようになったので、母の感情は複雑だったのでしょう。

大学入学が決まった頃、「大学に行っても生意気になりません」という念書を母に書かされて、「なぜこんなことをさせられるのか!」と納得できませんでした。

今まで身近にいて、何でも話して頼りにしていた私が、自分の望む生き方とは違う、手の届かないところに行ってしまったような寂しさもあったのでしょう。

私が大学を卒業して、中学の教師になると、ますます関係は悪化して、私にとって母はとても窮屈で離れていたい人になってしまいました。

 

私が34歳の時、一級建築士の夫と結婚すると、母は人が変わったように優しくなりました。

母と久夢(ベルリンのホテルにて)

私たちの新居が実家に近かったこともあって、母は私たちの好物を作っては、新居に持って来てくれたのです。

一度、母が料理を持って来てくれると、二三日は調理せずにすむほどたくさん作ってくれました。

しかし、平和な時はあまり長くつづかず、母は60代になるとパーキンソン病にかかり、父一人では介護しきれなくなったのです。

私たち夫婦は、二世帯住宅を買って、両親と同居することになりました。母は、小さな庭があることとロフトから五山の送り火「大文字」が見えることをとても喜んでいました。

母は私をとても頼りにしていたのです。

今ならわかってくれるかと、母に感情をぶつけられてつらかったこと、父や祖母の悪口を聞きたくなかった私の気持ちをわかってくれるかと、母に打ち明けました。

ところが、母は病人とは思えない声で「そんなことはしていない! あんたは根性が曲がっている!」と私を怒鳴りつけたのです。

「母のために」と二世帯住宅を買ったのに、母はそこに一年ちょっと住んだだけで、誤嚥性肺炎であっけなく亡くなってしまったのです。2007年でした。

   

母が亡くなってからも、いえ、亡くなってからの方がむしろ強く母を恨みました。

「亡くなったお母さんを悪く言うなんて! だれがあなたにお乳をくれて、オシメを替えてくれたの!」とよく批難されました。

でも、一時は憎悪と言っていいほど母を憎みました。もちろんそんな自分に罪悪感を覚え、後ろめたく、本当に苦しみました。

その時、自分も両親と関係がよくなかった人が「ああ、わかる! その気持ち!」と言って、毎日のように私の話を聞いてくれたのです。

自分の気持ちをすっかり吐き出すと、「もういいかな……」と思えてきました。母に対する恨み言を言えば言うほど、どれほど母に愛してほしかったかを感じたのです。

割り切れるようになった

母に理解してもらえなくても「もういい」「親子でもわかりあえないこともある」と割り切れるようになりました。

少し寂しかったですが、ホッとしました。

 

母は、「女性でも自分の個性を発揮して社会で認められたい」という私の生き方を理解してくれませんでした。

でも、私は「自分の信じた道を進もう」と決意しました。

すでに還暦を数年過ぎていましたが、「小説を書いて、私の経験を必要としてくれる人に届けたい」と思い、ライティングゼミや小説家養成ゼミなどに積極的に参加して、小説を書くようになりました。

幼い頃、無条件に愛されなかった。

親に進路を強く批判された。

母に理解されなくてつらかった。

そんな自分の分身が、自分の信じる道を進むことで、心の傷を癒やして、自分を認め信じるようになる。夢中でそんな小説を書きました。

私の中で燃え盛っていた母への怒りや恨みが静かに消えていきました。

最近、母の夢をよくみます。たいてい場面は実家の台所なんです。母が私の好物の小アジの南蛮漬けや筑前煮を作ってくれていたり、果物の皮を剥いてくれていたり。

私も母も笑顔で他愛のない話をしていて、母はとても優しい顔をしています。夢から覚めると、母をとても懐かしく感じるのです。

 

母の誕生日を迎えて、「こんな個人的なことをブログに書いてもいいのだろうか?」と迷いました。

でも、私の今までの人生で一番重かった母との問題を超えたことを、ブログに書き残したいと思ったのです。

私は、幼い私の心の傷を自分でやっと癒し、私自身を信じて、無条件の愛を注げるようになったのです。

幼い頃の心の傷を癒せた!

このことを母の誕生日である今日のブログに書き残します。

自分の信じる道を進むことで、心の傷を癒し、夢に向かって生きられるようになったのです。私は、もう母との確執に悩むことはありません。

自分の人生を生きられるようになった!

私は、私の人生を生きているからです。

 (母との確執を超えた!幼い心を癒し信じた道を行く~インナーチャイルドが解放されるまで:村川久夢)

 

 

 

 


 

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