素麺が好きではなかった私

お中元によく素麺を頂きます。

木箱に入った高級素麺です。

高級な素麺は糸のように細く、腰があって、

喉ごしが良いです。

暑い日に素麺は本当に美味しいですよね。

素麺大好きです!

 

でも、子どもの頃は素麺が嫌いでした。

当時、夏のわが家の昼食は

判で押したように毎日素麺でした。

勿論お中元で頂くような

高級素麺ではありません。

安いだけが取柄の素麺でした。

 

安物の素麺は茹でると

すぐにふやけてボテボテになるのです。

他に食べる物がないので

黙って食べていましたが、

「美味しい」とは思えませんでした。

 

たまに他家からお裾分けに

高級素麺を頂くことがあると、

子どもだった私にも

その質の違いがすぐにわかりました。

美味しさも違いました。

 

「毎日こんな上等の素麺が

食べられたら良いな」

と思ったことを覚えています。

 

母について買物に行った時に、

スーパーでその高級素麺を見かけました。

いつも食べている安物の素麺の

半分くらいの量で値段はずっと高かったと

記憶しています。

 

「うちは貧乏でしみったれているから、

上等の素麺が買えないんや・・・」

と妙に惨めに思えました。

 

あまり素麺が好きでなかったこともあり、

成人してからは、

自分から好んで素麺を食べることは

ありませんでした。

美味しくない安物の素麺を

毎日食べさせられた記憶と

自分の家の貧しさへの卑下が

あったのだと思います。

 

そんな私ですが

最近はあっさりしていて喉ごしがいい

素麺をいつの間にか好むようになりました。

年齢のせいでしょうか?

お中元で高級素麺を頂いたりしますが、

買物に行くと高級素麺は買わずに

特売の素麺を買って、

せっせと食べています。

 

子どもの頃、

特売の素麺しか買えないことを

酷く惨めに思っていましたが、

今から思うと普通のことだったと思います。

 

当時、わが家は6人家族でした。

1人2束素麺を食べるとしても

12束の素麺が必要です。

しかもそれがほぼ毎日。

家計を預かる主婦としては

ごく普通の感覚だったのだと思います。

 

実家は裕福ではなく

母はやりくりに苦労していました。

でも、それは特に卑下することでは

ないはずですよね?

素麺にまつわるあの惨めさは

なんだったのでしょう?

 

もしかすると、

「お母ちゃん、

たまには上等の素麺を買って~!」

と言えず我慢していたからかもしれません。

家計を思って我慢した自分の思いと

惨めさがリンクしてしまったのかもしれません。

 

あの頃の母よりずっと年上になった今、

母も大変だっただろうなと

母の苦労が思われます。

私は美味しくない素麺でも

毎日黙って食べていた

我慢強い健気な子だったと思います。

 

そのことが納得できると

素麺への複雑な心境は治まりました。

 

今も私は、高級な素麺を食べるのは

頂いた時だけで、

特売の素麺をそれなりに美味しく

食べています。

 

特売の素麺を美味しく頂きながら、

「我慢強いことが美徳」という雰囲気で

育った幼い頃を思い出します。

今は自分が納得して食べているので、

素麺が特売のものでも美味しく頂いています。

 

美味しく食べることができるのは、

我慢もそれとリンクする惨めさも

なくなったからだと思っています。

 

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*鬱・夫の死を克服した作家&

インナーチャイルドカードセラピスト

村川久夢(むらかわ くむ)

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