私の共依存克服記~お母さんとの関係に悩むあなたへ~

こんにちは、作家の村川久夢です。

先日、母の故郷の母ゆかりの地を

訪ねて来ました。

母と私の関係を

もう一度見つめ直すためです。

 

母の故郷を訪ねたことで、

私はやっと母との関係を

整理出来ました。

母との共依存関係を

やっと克服出来ました。

 

お母さんとの関係に悩むあなたに

私の共依存克服記が

少しでも役立ってくれることを

望んでいます。

 

   *母と久夢(母53才、久夢28才)

 

<私の鬱の根っこ>

 

私は鬱が酷かった頃、

2週間に1度臨床心理士の

カウンセリングを受けていました。

その頃、「私の鬱の根は

母との関係にあるのだろうな」

と薄々感じていました。

 

最近よく「毒親」

と言う言葉を聞きます。

私の母は決して

「毒親」ではありませんでした。

 

愛情表現は下手でしたが、

情の深い人で

私たちのことは自分を犠牲にしてでも

大切にしてくれました。

 

<お母ちゃんのために>

 

母は苦労の多い人生を歩んでいました。

戦前に生まれ、

戦中戦後の厳しい時代を生きました。

また世の中が豊かになった頃は、

父方の祖父母の介護に

明け暮れていました。

 

母が少女時代のことを話す時、

「おかあちゃん(私の母方の祖母)が

苦労してるから、

助けてあげたくて一生懸命に働いた」

と言う言葉が度々出て来ました。

 

母は苦労の多い祖母のため、

幼い頃から一家の主婦代わりを

務めていたようです。

また、中学を卒業すると、

実家を離れて10年近く

紡績工場で働いていました。

給料のほとんどを

実家に送金していました。

「お母ちゃんを助けるために」と。

 

<子どものため、お母ちゃんのため>

 

母は結婚して私と弟が生まれると、

「お母ちゃんのために」が、

「子どものために」に変わりました。

 

私は物心つくと、

律儀で働き者の母の苦労を

敏感に感じ取るようになりました。

 

同居していた一家の権力者である

父方の祖母に私が叱られると、

嫁である母は

祖母の無言の叱責や圧力を

感じていたようです。

 

私は「お母ちゃんのために」

意識的かつ自発的に

聞き分けのよいいい子になりました。

 

母は手芸全般が得意で

「子どものために」

特に女の子の私のために、

手作りの服や雑貨を作ってくれました。

 

私は自分のことは自分でし、

進んでお手伝いをする

真面目で大人しい「いい子」になりました。

 

母は私たちのために生きることに

自分の存在価値を見出していたようです。

わたしも母をよろこばせることが

私の存在価値でした。

 

「娘のため」「母のため」

一見美しいこの関係は、

本当はとても怖い関係でした。

私も母も自分を失っていました。

 

  *母が作ってくれたブラウス

 

<人の評価でしか

自分の存在価値を見いだせない>

 

私は「人の自分に対する評価」でしか、

自分の存在価値を見いだせなくなりました。

 

どんなに頑張っても

充足感がありませんでした。

得体の知れない生きづらさに

悩んでいました。

 

中学の教師になって、

母をはじめ家族を喜ばせました。

教師の仕事は

やり甲斐のある仕事でしたが、

私はいつも

「なにか違う」と感じていました。

 

<こんなに誠実に生きてなぜ鬱なの?>

 

教師になって20年目の年に

過労とストレスが引き金になって、

私は鬱を患うことになりました。

 

今思うと、

人の評価に自分の存在価値を

見出していたツケが

回ってきたのだと思います。

 

でも「こんなに一生懸命に生きて来て、

なぜ私が鬱になるの?!」

憤懣やるかたない思いでした。

 

<お互いの病が共依存を助長した>

 

その頃、母はパーキンソン病を発症し、

病気がジワジワ進行していました。

私は「母のため」と

二世帯住宅に移転しました。

 

お互いの病気が、

「娘のため」「母のため」という

自分を失った共依存関係に

拍車をかけました。

 

ところが同居して2年足らずで、

母はあっけなく亡くなってしまいました。

 

母が亡くなって10年以上経ちました。

母の死の2年後、

今度は私の夫が亡くなりました。

 

私は一時、人生を投げて

荒んだ生活をしていました。

 

<自分の本当の願い>

 

幸いにも私は、

信頼できる医師に出会い、

熱心なヨガの先生に出会い、

インナーチャイルドカードセラピーの

師に出会い、

セルフブランディング塾の塾長に出会い、

私は投げていた人生を

何度も見直すことになりました。

 

偶然に出会ったように見えますが、

私の内側で

息をひそめてじっと生きていた

「自分」がその出会いを

求めたのだと思います。

 

私は自分の思いや考えを書いて

表現発表することを望む

「自分の声」を聞きました。

自分の心が本当に望んでいることが

何であるのかを知りました。

 

 

<自分の人生を自分の意志で生きる>

 

それは、「母のため」、

人から評価されるためでなく、

自分の人生を自分の意志で生きることです。

 

先日、懐かしい母の実家があった

「干拓」を訪れました。

母の生きた軌跡をたどるためでした。

 

その旅で、母と私は

お互いのことを思いやるあまり、

お互いが「自分」を失っていたことに

気がつきました。

 

でもそれは過去のことです。

今の私は自分の道を自分の足で

歩き出しました。

誰かのためでなく、

私のための人生を今私は生きています。

 

 

 

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