父の抵抗~雪の日に消えた背中~

 

 

外は雪が激しく降っている。「あの日」も今日のように雪が激しく降る日だった。父が初めて自分の運命に抗った日。そして、その日、父は雪の中へ姿を消した……。

 

響子は「あの日」の記憶からわれに返り、粕汁を調理した。

 

「お父さんは、粕汁好きだったから、お祖母ちゃんはよく作っていたね。お祖母ちゃんはお父さんには甘かった」

「でも、昔からお父さんに言うことを聞かせてたんでしょ? 」

「ええ。法学部に行けって譲らなかったらしいよ……お父さんの気持ちなんて考えもせずにね」

 

母が少し眉をひそめながら言った。響子の胸に父の面影がまた浮かんだ。優しくて、響子の話を聞き、本を読み聞かせ、宿題も教えてくれた大好きだった父。

 

——でも、私たちを捨てた人だ……。

 

響子の胸に父の運命を左右した祖母信乃が浮かんだ。

 

信乃は旧家兵藤家の跡取り娘だった。婿養子の夫とは早くに死別し、女手ひとつで一人息子明彦を育てた。息子の未来だけを支えに生きた信乃は、家族にとって支配的な存在であった……。

 

温和な明彦は信乃のいうことをよく聞き、成績優秀だった。信乃は明彦を弁護士にすることを望んでいた。すべて信乃の思い通りに運んだかに見えた。明彦が高校三年生になるまでは……。

 

「お母さん、僕は文学部に進学したいんだ……」

「文学部なんかに進学してどうするつもり! あなたは弁護士になるのよ!」

 

信乃は、明彦の文学部進学に猛反対した。ところが、明彦はまるで別人のように、断固として自分の意志を変えなかった。信乃は明彦が読書好きなことが忌々しかった。

 

「女手ひとつで僕を苦労して育てたお母さんの意志を尊重していたんだ」

「だったら法学部に進学して弁護士になって!」

「「お母さん……僕には文学しかないんだよ!」

 

明彦は信乃の反対を押し切って文学部に進んだ。大学入学と同時に文学サークル「歩」に参加したことも信乃を激怒させた。

 

信乃は「歩」をやめるように何度も迫った。しかし、明彦は頑として聞き入れず、サークルの同人誌に熱心に投稿を続けたのだ。

 

信乃は明彦が生活の安定しない作家になって苦労するのが目に見えるようだった。そして、作家くずれになって、兵藤家の名に傷がつくのを恐れた。明彦はそんな信乃の心を見抜いて宣言したのだ。

 

「お母さん、大学を卒業したら教師になるよ」

 

彼はことば通り、大学を卒業すると、高校の国語教師になった。明彦は就職して忙しくなっても、文学サークル「歩」をやめず、今まで以上の熱心さで創作を続けたのだった。

 

「お父さんはね、お母さんと結婚したくなかったのよ……」

 

響子は母のことばで現実に引き戻された。また「向坂みずほ」の話かとうんざりした。みずほは文学サークル「歩」のメンバーであり、明彦のライバルで恋人でもあった。

 

「お祖母ちゃんは何度もお父さんに別れるように迫ったけど、お父さんは聞かなかったらしいよ」

「お祖母ちゃんがみずほさんに手紙まで書いたんでしょ?」

 

響子は母から何度も向坂みずほの話を聞かされていた。

 

「みずほさんは両親が離婚して、お母さんは女手一つでみずほさんを育てたらしいよ」

「彼女は奨学金と掛け持ちのアルバイトでなんとか大学に通っていたんでしょ」

 

響子は母の先回りをして言ったのだった。

 

「お祖母ちゃんは何度もお父さんに別れるように迫ったらしいんだけれど、お父さんは聞く耳を持たなかったそうよ」

 

その話はこう続くのだ。明彦と裕福な医者の娘貴子との縁談が持ち上がったのを機に、信乃は明彦とみずほを引き裂くための実力行使に出た。

 

最初は電話や手紙で明彦と別れるように迫った。ところが、みずほは信念の強い女性で、信乃の理不尽な要求を聞き入れなかった。

 

「お祖母ちゃんはみずほさんの部屋に押しかけて『明彦と別れないならば死ぬ』と脅したのよ」

 

「お祖母ちゃんならやりかねない……」と響子は思った。みずほは信乃の脅しには屈しなかった。しかし、明彦は母に対して何一つ抵抗できなかったのだ。

 

明彦は優しすぎた。信乃は強引だが、内面は脆いことを明彦は知っていた。信乃にとって明彦がすべてなのだ。「もし、自分が母に逆らえば、母は生きていけないだろう」そう思うと、どうしても彼は母に抗うことができなかった。

 

「みずほさんはお父さんに失望して、去っていったのよ」

「お父さんと結婚する前の話なのに、お母さんよく知っているのね」

「『こうして二人を別れさせたんだよ。そして、あんたたちを結婚させてあげたんだよ』と何度もその時の苦労話を聞かされたんだよ。お母さんは知りたくなんかなかったけれどね」

 

「お父さんはね、みずほさんが去って行った時、『歩』をやめ、書くこともやめてしまったのよ」

「そうなのね……」

「お父さんは、その時、魂を失ってしまったんだわ」

 

複雑な表情で貴子が言った。響子はまた「あの日」のことを思い出した。「あの日」も今日のように雪が降る寒い日だったのだ。「あの日」も家族三人で粕汁を食べていた。祖母信乃が亡くなって間もない頃だったのだ。

 

ニュース番組で高名な文学賞受賞者が報道され、インタビュー映像が流れた時、明彦が映像に釘づけになった。

 

向坂みずほが受賞インタビューに答えていたのだ!

 

明彦は顔色を変え、好物の粕汁を残して、逃げるように自室に去った。「何事があったのか?」響子は父の様子に胸騒ぎを覚えたのだ。

 

響子が片づけをしていると、夕食後に外出することなどない明彦がコートを着て立っている。しかも、外では雪が激しく降っているのだ。明彦は玄関の戸を開け外に出た。響子は胸騒ぎを抑えることができずに父の後を追った。

 

「お父さん! どこへ行くの!」

 

響子はこらえきれず、明彦の背中に向かって叫んだ。明彦は振り返ると寂しそうに微笑んだ。そして何も言わず激しく降る雪の中へ消えて行った。「あの日」の父の後ろ姿が響子の目に焼きついて、消そうとしても消えない。

 

明彦は消息を断った。

 

「あの日」の父を思うと響子は胸を締めつけられるような悲しみを感じる。

 

——お父さん、どんな気持ちで私やお母さんを捨てられたの!

——あの笑顔は私たちが哀れだったから? 未練だったから?

 

優しくて大好きだった父。しかし、響子は優しい父の笑顔には、何かを諦めてしまった翳りがあるのを感じていた。

 

——創作はお父さんの魂、みずほさんは同志だったのね。

 

父にとって、みずほが創作を続け受賞したことは、強烈な衝撃だったのだろう。明彦が初めて、信乃が決定していた運命に抵抗し、自分の意志で歩き始めたのが「あの日」だった。

 

今の響子は父を理解できる。

 

響子は父の影響で読書好きだった。幼い頃、父が響子に読んでくれた物語は、面白く、時には哀しく、響子の心で宝石のように輝いていた。

 

響子は読書感想文や作文のコンテストで何度も入賞した。父も学生時代、文学に没頭していたと聞いていたのだ。

 

父の蔵書を読み漁り、創作を始めた響子は父から受け継いだ文学好きの血が、自分の中で力強く脈打っているのを感じる。

  

 

<完>

   

 

 

京都在住セラピスト作家:村川久夢(むらかわくむ)

 

 

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