みずほが所用を済ませると、夕方になっていた。彼女が好きな春の宵だ。
――清少納言は「春はあけぼの」が良いと言うけれど、私は春の宵が好き。まだ明るさの残る淡いグレーの空の頃が。
少し肌寒かったが春風に吹かれて御池通を歩いた。
街路樹のケヤキが新芽を吹き始めている。烏丸御池あたりはオフィスビルや銀行が多いが、河原町まで足を伸ばすと、洗練されたカフェ、レストラン、ホテルが目につき始めた。
――春の宵、風に吹かれていると、なんか高揚してくる。ちょっと寄り道でもしようかな。
みずほは、お酒が飲みたくなった。軽いお酒ではなく「ちょっと強いお酒」を。
ふらりと入ったのはバリ料理店、「インドネシア料理・ワヤンウブドゥ」とプレートに書かれている。木彫りのレリーフドアは、ヒンドゥー教の神々だろうか、聖獣バロン、ネコやカエルなどの動物をモチーフにした伝統的な彫刻が施されていた。「異文化」の雰囲気でいっぱいだ。
一歩店内に足を踏み入れると、そこは完全にバリだった。
バリ伝統音楽ガムランが流れ、電球色の柔らかい光を放つ照明は伝統的な木彫りで装飾されている。各テーブルにはインドネシア伝統のろうけつ染めバティックが敷かれ、椅子も伝統的彫刻の木製、テーブルの間には大きなヤシの鉢植えが置かれている。
みずほは、一人だったのでカウンターに案内された。バリ風えびせんべいクルップをつまんで、注文したアラックというバリ焼酎を飲みながら、常連客と店の主人の会話を聞くともなく聞いていた。
クルップの食感とクセのないアラックはみずほの気分をほぐし、気がつくと二杯目のアラックを注文していたのだ。
カウンターには数人の仕事帰りの男性がいて、どの人も常連らしかった。その時、みずほとある男の目が合った。なぜかみずほはドキリとした。
一文字の太い眉、二重でくっきりしているが切れ長な目、鼻筋も通ったなかなかの美男子だ。鼻の下にたくわえたヒゲはさりげないが手入れが行き届いているようだ。
――四十代半ばだろうか……。渋いイケメンやわ。
渋いイケメンはスタイリッシュでもあった。オフホワイトのタートルにネイビーのジャケットというシンプルな服装も、彼はシャープに着こなしている。
「ところで先生、どのくらいアメリカにいたんですか?」
「どのくらいになるかな。高校二年のときに一年だけという約束で留学したんだけど、結局、十五年いたかな。大嘘つきだったね。マスターもアメリカにいたんだろ?」
「私は親父の仕事でやむなくついて行ったんです。子どもだったので」
――先生なんだ。中高の先生ではなさそうだし、大学の先生?
「でも、なんで神学を専攻したんですか?」
「向こうでしばらく教会に通っていたんだ、二年くらいかな」
――神学! このスタイリッシュで渋いイケメンが神学の学者?!
みずほは渋いイケメンに気を取られた。
「宗教は日本ではお葬式にはお坊さん、結婚式には牧師さんが来たりするけれど、本当は社会に深い影響を与えていて、けっこうな政治力も持っているんだ」
「話によるとアメリカの大統領は宗教の勢力を上手に利用しているようですね」
みずほは、インドネシアの伝統的な大豆発酵食品「テンペ」のフライとアラックの三杯目を注文して、二人の会話に聞き入った。
「アメリカっていうと、ニューヨークやワシントンのようなクールな都会ばかりが取り上げられているけれど、本当は裏社会もあって、それも重層的なんだ……」
渋いイケメンは学者くさくなく、アメリカの裏社会も実体験で知っているようだ。日本でも移民が問題になっているが、彼は自分が移民として生活していたときのことも話した。
――なるほど、彼は宗教という観点からアメリカを見ているんだ。
彼の話に聞き入っていたからか、みずほの視線を感じたのか、渋いイケメンがみずほを見た。一瞬また目があった。
慌てて戸惑っているみずほに、彼は少し表情を緩めて会釈した。店に入ってずいぶん時間が過ぎている。
イケメンは時計をみると、「あ! そろそろ時間だ……」と呟いた。誰かと約束があるらしい。
――こんな時間に待ち合わせ? 誰だろう……。
渋いイケメンは、マスターや店の人と挨拶をすると席を立った。みずほの横を通るとき、みずほにつぶやくように言った。
「おやすみ」と。
彼がバリ風彫刻のドアを出て行くと、店の温度が少し下がったようで、肌寒い。
――アラックを三杯も飲んでしまったわ。えびせんべいとテンペのフライを食べただけで。温かいものでも頼もう。
エビのスパイシーレモンスープ「スープウダン」を注文した。
――エビのダシが効いる。スパイシーだけど、さっぱりとしたスープ。ライムの風味もいい感じ。
スープを一口食べると、温かいものがお腹に落ちて行き、みずほの耳に「おやすみ」と言った渋いイケメンの声が蘇った。
スープを食べ終えると、バリコーヒーを飲んで店を出た。
すっかり夜になっていたが、みずほはどこまでも、どこまでも歩いていたかった。
春の宵は人をほろ酔いにさせるのかもしれない。
完

(【短編小説】ほろ酔い:村川久夢)

▶書くことで「本当にやりたいこと」が見つかる無料メール講座

この無料メール講座は、「どうせ私には夢なんて見つからない…」「自分のために生きると言われても、本当にやりたいことがわからない……」と思っているあなたが、メールのワークにそって、自分の気持ちを書きます。
書くことで、自分自身と静かに向き合いながら、今まで気づかなかった「やりたいこと」や「本当の私」を見つけていきます。
講座は、無料でメールアドレスだけで登録できます。いつでも解除OKです。高額な商品やサービスの購入勧誘もありません。安心して下さいね。
メール講座の詳細やご登録は、下記ボタンをクリックして案内ページにお進み下さい。
▶村川久夢プロフィール
▶村川久夢作品ページ

村川久夢の作品ページです。心に響く小説や読む人の心に寄り添うエッセイ、書く力を磨く記事など、多数を掲載しています。ぜひ、ご覧ください。
👇️「村川久夢作品」ページはこちらから👇️
▶『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』紹介
『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』

あなたは「どうせ私なんか……」「もう年だから」「今さら遅すぎる!」と思って夢を諦めていませんか?
私は、50代で夫の急死、うつ病の悪化、うつ病のため仕事を失うなど、つらい出来事が重なり、人生の目標を失っていました。
しかし、私が自分の夢を見つけ叶えはじめたのも、また50代だったのです。
「どうせ私なんか……」などの「心の制限」を外して、私が夢を見つけ、叶えてきた経験を本書に具体的に詳しく書いています。
本書を読むと、「50代は夢を実現する年代だ! さあ、やってみよう!」とあなたに実感していただけるはずです。
<『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』購入のご案内>
*電子書籍(Amazon Kindle「読み放題」に登録されている方は0円でご購読いただけます。一般価格は550円です)下記ボタンよりお申込み下さい。
*紙の本は、880円(送料210円)です。下記ボタンよりお申し込み下さい。
▶村川久夢ホームページトップ

村川久夢ホームページトップには、最新3ブログ、著書に頂いた感想、村川久夢作品や「ああ、京都人シリーズ」へのリンクも紹介しています。ホームページトップへは、下記ボタンをクリックして下さい。


