成人式の振り袖で母と大喧嘩––人生で何が幸せなのか?

 

成人の日が来るたび、思い出すのは母との大喧嘩です。「振り袖を着るべき」という母と、「ヨーロッパ旅行に行きたい」という私の意見は、まったく相容れませんでした。

 

 

 

成人式が近づいた頃、友人が「一緒に行こうよ!」と学生向けのヨーロッパ格安ツアーを勧めてくれました。憧れのヨーロッパを訪れるチャンスに、私は胸を躍らせました。

 

ところが、その計画は母の一言で一蹴されました。

 

「ヨーロッパ旅行? お金はどうするつもりなの?」

「振り袖なんていらないから、そのお金で旅行に行かせてほしい!」

 

私のことばに母は烈火のごとく怒り、私と大喧嘩になったのです。母は私の言い分をまったく聞いてくれませんでした。

 

 

この経験は、私が「自分の人生を生きるとはどういうことか?」を考えるきっかけになりました。

 

 

大学卒業が近づいてきた頃、友人が学生向け春休みヨーロッパ格安ツアーに私を誘ってくれました。

 

 

私が「成人式の振り袖を買うお金でヨーロッパ旅行に行きたい」と言ったら母は烈火の如く怒り、私の申し出を即刻却下しました。

 

 

「人並みに振り袖を着せるのが親の務め」という母の強い思いに、私は押し切られました。

 

母は「◯◯さんの娘さんが百万円の振り袖を仕立てた」「△△さんは老舗呉服店で作られた」と、振り袖の話ばかりを口にしましたが、私にはそれが大事だとは思えませんでした。

   

母にとって「成人式で振り袖を着ること」は、親としての義務であり、娘への愛情の証だったのでしょう。

 

そして、母は「いらない!」と言う私を無視して、成人式用の振り袖を買ったのです。私は押し切られて、振り袖で成人式に出席しました。

 

母が、私の願いを自分の価値観で受け入れないことに、私は激しい反発を覚え怒り心頭だったのです。

 

 

振り袖に袖を通した瞬間、「私の意志なんて何一つ認められへんのに、なにが成人式や! これでは七五三の子どもやわ!」と不機嫌全開の私に母は気づいていたのか、いなかったのか……。

 

母は満足げな顔で「こんなに立派な振り袖を仕立ててもらって、成人式に参加できるなんて、あんたはホンマに幸せな娘や」と言ったのです。

 

 

私の仏頂面に気づいた母は、「何が気にいらんのか、ちっとも喜ばへん! 罰当たりな」と母も複雑な表情になりました。

 

 

私は「これは私のためと違うやん!」と思い、悔しさで胸がいっぱいになりました。

 

昭和10年生まれで保守的な家庭で育った母は、「子どもは親に従うもの」という意識が強く、母自身も親の言う通りに生きてきたのです。

 

私はそんな母に反発しながらも、親の言う通りに生きざるをえませんでした。好きなことを選べない、自由に自分の意思を表現できない。常に重い何かに縛られているようで、心が晴れることがなかったのです。

 

 

 

成人式に参加した女子は、みんな判で押したように振り袖を着て、白いファーの襟巻きをしていました。

 

    

私は七五三の子どものように着飾って、成人式とは名ばかりの自分をとても惨めに感じていました。

 

 

成人式では、バス会社の新成人ガイドさんたちが、制服姿で颯爽と参加していました。その姿に「これこそが新成人だ」と眩しく思った一方で、振り袖姿の自分がますます七五三の子どものように思えてなりませんでした。

 

今振り返っても、無理やり押しつけられた振り袖は苦痛でした。私の気持ちを尊重してほしかったと悔しい思いがよみがえってきます。

 

たとえ一生懸命に育ててくれた親であっても、合わない価値観を押しつけられることは、本当に苦痛そのものだったのです。

 

私には子どもがいませんが、たとえ自分の子どもでも考え方や価値観を押しつけてはいけないと思います。

 

 

母との葛藤は、私に「自分の意志で生きること」の大切さを教えてくれました。

 

あの時は無理やり押し付けられた振り袖が苦痛でしかありませんでしたが、冷静に考えると、母自身も「自分の人生を生きられなかった人」だったのだと理解できます。

 

成人式の振り袖のエピソードを通して、成人式を迎えられた新成人の皆さんにも、このブログを読んで下さっているあなたにも、伝えたいことがあります。

 

それは、親が言うからとか、周りがしているから自分もするというのではなく、自分の意志で自分の人生を生きる大切さを知ってほしい。それが幸せな生き方ではないでしょうか?

 

 

64歳になった今、私は自分の意志で生きられる今という時間ほど貴重なものはないと思っています。

 

新成人でも、私と同年代のシニアでも、自分の人生の主人公として、自分の意志で自分の人生を歩んでください。

 

人生のどんな段階でも、遅すぎることはありません。たとえ新成人でなくても、自分の意志で歩む選択は、いつでも始められます。

 

 

だから、もし今あなたが「どうしたらいいか迷っている」と思うなら、一歩立ち止まって自分の意志を考えてみてください。それが、あなたの幸せへの第一歩になるのです。

 

 

 

 

 

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