先日、通っているミュージックスクールの学内オーディションに落選しました。思い出受験でしたが、やっぱり落ちるのはいい気持ちではありませんね。
オーディションに向けて、毎日、オリジナル曲を練習し、頑張って間食を控えて小綺麗にしようと努力しました。落選したけれど、真面目に努力したことは無駄にはならないと思っています。
何より「もっと若かったら」「もっと早く習っていたら」「もっと上手だったら」という言い訳をして、オーディションを受けることから逃げなかった経験が大事だと感じています。
<言い訳満載>
私は2作本を出版していますが、何か文学賞を受けたことはありません。文学賞に応募して、全然お話にならなくて、落選するのが怖いからなのです。
常々、「言い訳をしない生き方をしよう」と思っていますが、文学に対しては、言い訳タラタラです。「もっと文学に縁のある家庭に生まれていたら」「作家になるのに適した大学を卒業していたら」「文学に縁のある仕事をしていたら」等々、言い訳満載なのです。
<可能性の中に生きていては変われない>
最近、『嫌われる勇気』を読みました。そのなかにこんな1文がありました。「『もし何々だったら』という可能性のなかに生きているうちは、変わることなどできません」
哲人の小説家志望の友人が、小説を書くといいながら、小説を書き上げないでいることに対して、「『やればできる』という可能性を残しておきたいのです」とも言っています。とても耳の痛い言葉でした。
<落選することから学ぶ>
なので、ミュージックスクールのオーディションを受けて、落選したことは、とても貴重な経験でした。逃げずに、受験し、落選して自分を真剣に見つめ直したからです。また、オーディションを受けようと思います。オーディションに挑戦することで、成長できると思うからです。
文学賞も探して応募します。応募することで、真剣になり、落選しても、そこからまた学ぶことがあり、成長できると思うからです。「もし何々だったら」と可能性の中に逃げ込んで、自分に言い訳をしながら生きたくないですから。落ちる勇気を持ちます。
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