今日は天気が良かったので、西本願寺まで散歩に行きました。堀川通沿いのつつじが、色鮮やかに咲いていていました。新緑に映えてとても綺麗でした。
西本願寺のつつじの写真をSNSに投稿すると、「私も西本願寺のつつじ見ました。毎年、見てた景色が特別で感謝です」とコメントを頂きました。頂いたコメントで私はとてもはっとしました。
私が西本願寺前を散歩していた時、係の方がつつじの世話をされていました。丹精こめて手入れして下さる人がいて、花も綺麗に咲くのです。つつじが綺麗に咲くことが、当たり前になっていました。
西本願寺まで徒歩数分で行けることも、当たり前になっていて、鈍感になっていました。いつでも行けるからと思い、お参りに行ったり、散歩したりしていませんでした。
つつじや銀杏などの身の回りの美しい植物も、綺麗に咲いているのが当たり前でした。目先のことに追われて、その美しさを感じることが、後回しになることもよくあります。
「当たり前」というフィルターを通して、今まで物事を見てきたことに気づきました。「当たり前」というフィルターに遮られて、物事を見るのは怖いことです。「当たり前」は、人の目や心を曇らせてしまいます。
私は、コロナ問題で当たり前だと思っていたことが、決して当たり前ではないと感じました。物事の終わりや死を実感する今だからこそ、心の「当たり前」というフィルターを外せるのです。
世間の騒がしさと関係なく咲いた美しいつつじから、丹精を込めて世話して下さった方々への感謝、世界遺産の側に暮らせる感謝、元気で花を愛でられることへの感謝を感じました。「当たり前」フィルターを外すと、物事は発見に満ちて、特別な美しさを見せてくれるのです。
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