オトーチャンと久夢の会話

父が入院して約2ヶ月経ちました。

圧迫骨折も治療のおかげで

痛みもずいぶんましになったようです。

 

リハビリの効果もあって、

立ち上がって少し歩けるようになりました。

ベッドの脇のポータブルトイレで一人で

用を足すこともできるようになりました。

 

それでも気分はまちまちで、

私や弟が夕食時間に面会に行くと、

食べさせて欲しがることもあります。

また、起きているのが

しんどい様子のことがほとんどで、

食事が済むとすぐに横になりたがります。

 

父の気力の衰えを見ると、

私も沈んだ気分になってしまいます。

 

でも今日、父は気分が良かったのか、

夕食前に起きました。

ヒゲを剃ってほしいというので

ヒゲを剃りました。ヒゲを剃ると

さっぱりして気分がいいと言って

嬉しそうな様子でした。

 

夕食も一人で完食しました。

 

父は長年人の世話ばかりして来たからか、

私の夕食が気になるようで、

自分の夕食を私のために残そうとするのです。

 

「朝はパンが3つ出てな、

おまえにと思って残しておいて

看護師さんに『そんなことしたらアカンよ』と

言われた」と真面目な顔で言っていました。

父らしいなと思いました。

 

夕食後も珍しく「寝る」とは言わなかったので

しばらく父の昔話しを聞きました。

 

父は昭和3年(1928年)生まれで、

敗戦当時は17才でした。

 

戦時中、

日本はドイツやイタリアと同盟国だったので、

ヒットラーやムッソリーニが英雄だったと

父が話してくれて驚きました。

 

父は軍国少年ではなかったので、

「このオッサン(ヒットラーやムッソリーニ)、

調子のええこと言うてるけどホンマかいな?」

と思っていたそうです。

 

戦後、事実を知った時も

「やっぱりな~!

なんでもかんでも全部信じたら

アカンねんな・・・」と思ったと言っていました。

 

私は父とよく話しをする方ですが、

この話しは聞き初めでした。

 

父は真面目で一生懸命な人ですが、

どこか冷めているところがあって、

熱くなることのない人です。

昔は、父のそんな面が嫌いでしたが、

父のそんな懐疑的な傾向は、

戦争の時代を生き抜いてきた

結果なのかもしれないです。

 

90才になって入院している身なのに、

娘の食事を気づかう父は父らしいと思い。

ヒットラーやムッソリーニの話しは初耳でした。

 

父と話したのは1時間弱でしたが、

穏やかな時間でした。

父は入院して元気になってきましたが、

なんと言っても90才の高齢です。

いつまでこの穏やかな時間を

持てるかわかりません。

親子の時間を大切にしたいと思います。

 

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*鬱・夫の死を克服した作家&

インナーチャイルドカードセラピスト

村川久夢(むらかわ くむ)

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