「ぼんさんが屁をこいた」が集合的無意識の手がかりに!〜人とAIの共創

最近のAIの発展には、目を見張るものがあります。日々の進化に驚かされる一方で、「AI時代における人間の学びとは何だろう?」と考えることが多くなりました。

そんなとき、哲学者・谷川嘉浩さんの動画に出会いました。

動画の冒頭で語られていた「たくさんの視点(ものの見方)を持っているほうが、物事は面白い」ということばが、私の心に強く響きました。

たくさんの視点を持ち、AIを活用したからこそできたことがあったのです。

それは、ユング心理学の「集合的無意識」という概念でした。

 

私が初めて「集合的無意識」ということばを耳にしたのは、2017年のインナーチャイルドカードのセミナーでした。以来、専門書を読んだり調べたりしたものの、頭ではなんとなく理解できても、心にピタッと落ちてこない感覚がずっと続いていました。

鏡リュウジ先生の著書『タロットの秘密』の中に、集合的無意識を「海に浮かぶ島々」に例えた名解説があります。

 

 

海面に出ている島が「顕在意識」、海中に隠れた部分が「個人の無意識」、そして海底で地球全体とつながっている土台こそが「集合的無意識」である、と。

交流のない遠く離れた地域でも、若者がドラゴンを倒して故郷に錦を飾るような「英雄神話」が共通して存在するのは、人類が底の底で同じ無意識を共有しているからだというお話です。

「なるほど」と頭では分かりつつも、どこか遠い神話の世界のお話のように感じていました。

 

ある日、イギリスの作家ダフネ・デュ・モーリアの名作『レベッカ』を読んでいたときのことです。

 

 

作中で主人公が、少女時代の遊びを回想する場面がありました。ひとりの子が木に目隠しをして鬼になり、ことばを唱える間に他の子たちがそろりそろりと近づいて背中をタッチする……。

 

 

その描写を目にした瞬間、ひらめきが走りました。

「いや~! この遊び『ぼんさんが屁をこいた』と同じやわ~!」と。

関西では「ぼんさんが屁をこいた」、関東では「だるまさんがころんだ」と呼ばれるあの遊びです。

 

 

調べてみると、イギリスには「おばあさんの足音」、フランスには「1、2、3、太陽」、韓国やアメリカにも、ルールが瓜二つの遊びが自然発生的に存在していました。

「海を隔てた遠い外国の子ども遊びと、昭和の京都の遊び。世界中の子どもが同じ遊びをしていたのか? もしかして、これって『集合的無意識』……?」と推測したのです。

 

とはいえ、「でも、これってホンマに集合的無意識なんやろうか?」という迷いもあり、そのままになっていました。

先日、ふと思い立って「物知りGeminiさん」にこのことを尋ねてみたのです。

 

 

「『ぼんさんが屁をこいた』と同じような遊びが世界各地にあるのは、集合的無意識と言えますか?」と。

すると、さすが「物知りGeminiさん」です! その回答はものすごく理にかなっていて、しっくりきたのです。

 

【遠い昔、人が狩猟をして生きていたころ、茂みなどに隠れて気配を消して、そっと獲物に近寄り、獲物が気づきそうになったらピタッと動きを止める。

そんな生存本能の記憶が国や文化を超えて、子どもたちの遊びとして自然発生したのでしょう。まさに細胞レベルに刻まれた集合的無意識と言えます】

 

「なるほど~!」と納得できて、「集合的無意識」をスカッと理解できたのです。

子どもの頃、近所の友だちと遊んだ「ボンさんが屁をこいた」には、人類共通の太古の記憶が流れていたのです!

 

この体験を通して、私は「AI時代の本当の学び」を実感しました。

もし私がAIに「集合的無意識とは何ですか?」と尋ねるだけだったら、抽象的で難しい解説が返ってきて終わっていたでしょう。

世界各地の遊びのデータや狩猟時代の知恵をAIが知っていたとしても、AIは息を潜めて遊んだことはないし、小説を読んで「これ『ボンさんが屁をこいた』と同じ遊びや!」と気づくこともないのです。

 

・昭和の遊びの身体の記憶

・幼いころからの読書経験

・セラピーで触れたユング心理学

 

この3つの視点を持っていたからこそ、私の中に「もしかして?」という直感が湧き起こったのでしょう。

「もしかして?」という直感をAIに投げかけたからこそ、AIは世界中の情報を駆使して、人類史のスケールへと補助線を引けたのです。

AIに丸投げするのではなく、自分自身の生きた経験と直感で問いを立て、AIと共に新しい理解を生み出す。

これこそが、谷川さんの言う「複数の視点を持つ面白さ」であり、人とAIの「共創(共に創る)」の姿なのだと確信しています。

 

 

(「ぼんさんが屁をこいた」が集合的無意識の手がかりに!〜人とAIの共創:村川久夢)

 

 

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