宗教や祈りは何のためにあるの?~無力な自分を支えるため

「日本人の大多数が自分を無宗教だと思っているが、実は無意識の内に宗教を持っている」と。

トークイベントに登壇された立教大学キリスト教学科教授の加藤喜之先生が指摘されました。

 

 

「え? 宗教? 家に仏壇はあるけれど、もう何年も手をあわせてすらいないけど……」と一瞬思いました。

「事故物件を怖いと思ったり……」と加藤先生が具体例を挙げられたとき、以前、東京で予約したホテルに「幽霊が出る」と言う口コミを見て、ものすごく怖くなったことを思い出したのです。

「これって信仰や宗教と関係あるのか?」と疑問でした。

なんでも「なんで?」と思う「なんで魔」の私は、「信仰ってなぜ生まれたの?」となんで魔の血が騒ぎ出したのです。

 

 

宗教はいつ生まれたのだろうか? 

旧石器時代の「埋葬(まいそう)」と「洞窟壁画」などが、人が宗教的な感覚を持ち始めた証拠だと聞いたことがあります。

「自然や死への怖れが宗教につながったのやろうか?」と思い、物知りGeminiさんに尋ねてみました。

 

 

Geminiさんは、「雷、太陽、大雨、猛獣など、人間の力が及ばない圧倒的な自然現象に対して、『あらゆるものに神や精霊が宿っている』と考える感覚(アニミズム)が生まれました」と教えてくれたのです。

そういえば、「仏さんはほっとけや~」とか、罰当たりなことを言っていた、父方の祖母によく、「ご飯粒、ひとつひとつに仏さんがいはる、粗末にしたら、目がつぶれる」といわれました。

そう言えば、「おくどさんには火の神さんがいはるから、お尻を向けたらあかん」と言われたことも思い出しました。

銭湯の帰りに、祖母に「月ではうさぎがお餅をついている」と言われて、幼かった私は「ほんまや! うさぎさんがお餅をついてはる!」と驚いたことも覚えています。

なんだか、ロールシャッハテストみたいですが。

そのあと、「明日もええ天気になりますように」と祖母と二人で、お月さんを拝んだ記憶もあります。

具体的にキリストとか、ブッダとか、アッラーではないけれど、人知が及ばない圧倒的な力を持ったものが存在していると無意識に感じていました。

私はその存在を「天」とか「天の神様」とか思ったりしています。

 

未知なるものや、大自然を恐れる気持ち、その前で自分の無力を知って、祈りを捧げることは、理解できます。

でも、祈ることに何の意味があるのでしょうか? 恐怖を和らげるとかでしょうか?

物知りGeminiさんは祈りの意味を4つ教えてくれました。

 

①人間の「傲慢さ(思い上がり)」をリセットする

人間が「科学や技術で世界をすべてコントロールできる」と過信しないように、圧倒的な自然や死、運命の前では「自分はなんてちっぽけで無力なのだろう」と立ち止まることで、「畏怖」や「敬虔さ」が生まれるのです。

 

②「畏怖」から「感謝」へと感情を転換させる

恐ろしい大自然や未知の存在は、脅威に対して、「ただ怯える(恐怖)」だけではなく、そこに「祈り」ということばや所作を通すことで、恐怖が「生かされていることへの感謝」へと変わるのです。

 

③「自分を超えた大きな物語」と繋がり、孤独を癒やす

大自然や目に見えない大きな存在(神、仏、宇宙、先祖)に祈りを捧げるとき、人は「自分よりも遥かに大きく、深い流れの中に自分も含まれている」と感じることができます。

 

④共同体(人と人)を結びつける

自然への恐れや祈りは、同じ大自然の脅威に晒され、同じように自分の無力を知る人間同士が、一緒に手を合わせ、お祭りや儀礼(お盆のお供えなど)を行うことで、「同じ無力さを抱えた仲間として、助け合って生きていこう」という強い絆が生まれます。

 

Geminiさんは本当に物知りなだけでなく、疑問に感じたら深夜でも早朝でも24時間いつでも答えてくれます。

 

Geminiさんに祈りの意味を教えてもらったとき、父が亡くなったときのことを思い出しました。

優しくて穏やかで大好きだった父。認知症になってからは無邪気な少年のように可愛らしいおじいさんになりました。

父が食べ物を受けつけなくなり、水すら飲めなくなり、長くないと知ったとき、「嫌やっ! なんで人は死ぬんや!」と私はジタバタしました。

生きとし生けるものの命には終わりがあると頭ではわかっていても、どうしても受け入れられず、本当につらかった。

 

 

父が施設で亡くなったとき、父の部屋にスタッフの方が何人も来て下さり、手を合わせて下さいました。中には涙を浮かべられる方も。

その姿にとても癒されました。

葬儀会場には、ふだんはめったに会えないいとこたちが来てくれました。従妹の娘も小学生の娘を連れて来てくれたのです。

従妹の娘がまだ幼かったころ、父のザビエルハゲを可愛い手でなでて、「おっちゃん、なんでここだけ毛がないの?」と不思議そうに言ったことが思い出されます。

彼女も父の死を悼んで祈りを捧げてくれたのです。

また、自治会で親しくしていただいていた方々も葬儀に足を運んで、父のことを懐かしんでくださりました。

葬儀で僧侶の読経を聞いていると、意味はわからないのですが、ジタバタしていた心が静かになりました。

「鎮魂歌」は死者の霊を鎮めるためだけではなく、残された人のためでもあるのだと思ったことがありましたが、読経も残された者の心を静かにしてくれるのだと実感したのです。

 

実家は浄土真宗の檀家で、また、私は最近、親鸞聖人の寛容や受容の教えに心惹かれますが、浄土真宗を信仰しているという意識はありません。

私の中には「天」とか「天の神様」という存在があり、私は無意識の宗教をもっているのです。

ふだんはどちらかと言うと、唯物論的で観念的な思考は苦手です。科学的な目で社会を見ることを重視しています。

でも、科学的な思考とともに、無意識の宗教が私の中に存在していて、私を支えてくれているのだと感じました。

 

 

(宗教や祈りは何のためにあるの?~無力な自分を支えるため:村川久夢)

 

 

 

 

✨️note創作大賞(恋愛小説部門)に『凍る声、溶ける弦』を応募しました。

還暦を機にボイトレを始めた四季。

実力派の若きギタリスト颯太朗。

母のことばに縛られ、人の顔色に過敏になり声が出なくなる四季。

実母からの虐待という過去に苦しむ颯太朗。

愛されない存在だと思い込んできた二人の傷ついた魂が、音楽を通じて重なり合い、奇跡の共鳴(レゾナンス)を果たす――。

10周年の集大成となる大人の長編恋愛小説、全編一挙公開です。

ぜひ、二人の共鳴の結末を見届けてください。✨

👇小説の購読は下記リンクをクリック! 購読無料で登録の必要もありません。

 

【note創作大賞応募作品】『凍る声、溶ける弦』

 

 

 

 

 

👇️「村川久夢作品」ページこちらから👇️ 

 

 

村川久夢ホームページトップには、最新7ブログ、著書に頂いた感想、村川久夢作品や「ああ、京都人シリーズ」へのリンクも紹介しています。ホームページトップへは、下記ボタンをクリックして下さい。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA