今日は母の誕生日です。生きていれば91歳でした。母は、2007年に72歳で亡くなりました。
私は、「幼い頃の心の傷が制限となって生きづらい人が、心の制限を外し、夢を叶える」をテーマにして活動しています。実は、このテーマは、私と母の関係と深く結びついているのです。
幼い頃から母に無条件に愛されなかったことが、私の心の傷となり、私は長い間、原因不明の生きづらさにずっと悩んでいたのです。
でも、母の誕生日の今日、私が幼い頃の心の傷を癒やし、生きづらさから自由になって、夢に向かって夢に向かって生きていることを書きたいです。
お母さんとの関係に悩むあんなたに読んでほしいです✨️

▶10歳で家族の食事を調理していた母
2018年、私は母との問題を解決するために、母が生まれ育った滋賀県米原市を訪れました。叔父(母の末弟)が、私を案内してくれました。

母は、琵琶湖の干拓地を開拓する農家に生まれました。10人兄弟の三女で、祖父母や年長の兄姉は農作業で忙しかったため、母は小学校の三年生ごろから、家族の食事を調理していました。
私も子どもの頃、夏休みになると干拓にある母の実家を訪れました。子どもの頃は、母の実家を「干拓」と呼んでいたのです。
当時の干拓は、見渡す限り水田が広がっていて、地平線のかなたに琵琶湖畔の松林が見えました。
8年前、叔父に連れられて懐かしい干拓を訪れましたが、すっかり住宅地になっていて、水田のかけらも見られませんでした。

干拓資料館ができていて、人の背丈以上ある大きなポンプが屋外に展示されていました。
そのポンプを見た時、開拓した祖父母や伯父伯母、主婦代わりに食事を作っていた母の苦労が偲ばれるようでした。
▶母の過酷な生い立ち
母は苦労の多い人でした。地元の中学を卒業すると、集団就職で愛知県の一宮市にある紡績工場で働きはじめました。たった15歳だったのに!
母は、干拓地や家を買った祖父母を少しでも助けるために、わずかな小遣い以外は給料の全部を実家に仕送りしていたのです。八年間も一宮市の工場で働いていたそうです。

その後、父と結婚して、京都で暮らすことになりました。
父は穏やかで優しい人柄でしたが、父方の祖母は明治の生き方を頑固に守る京女だったのです。
母は手先が器用で手芸が好きでしたが、性格は不器用で、母もまたとても頑固でした。あの祖母と一緒に暮らすことになった不器用な母の苦労が察せられます。
▶幼い私と不器用な母
不器用で上手にストレスを発散できない母は、幼かった私に行き場のない感情をぶつけたのです。

幼い頃の記憶に残っている母は、いつも不機嫌で、よく叱られました。なぜ、叱られるのかわからなくて、私は母の顔色を見て、ご機嫌ばかり伺っていました。
今から思うと、私が人の顔色ばかり見てしまい、人の評価ばかり気にするようになったのは、この頃に問題の根があるように思います。
私はまだ子どもでしたが、母の微妙な立場を敏感に察して、お使いに行ったり、お手伝いをしたり、一生懸命に母を手助けしました。母の味方をしているつもりだったのです。
私は手のかからない大人にとって都合の「いい子」でした。
今振り返っても、私に祖母や父の悪口を言わないでほしかったと思います。母にとっては二人とも他人ですが、私にとっては「祖母」と「父」なのですから。
▶高校・大学で深まった母との溝
母との確執が顕著になったのは、私が高校に進学して、大学を目指すようになった頃でした。
母は学歴に深いコンプレックスがあり、高校ならまだしも、四年制大学に進学する女子が少なかった当時、私が四年制大学進学を望むようになったので、母の感情は複雑だったのでしょう。
大学入学が決まった頃、「大学に行っても生意気になりません」という念書を母に書かされて、「なぜこんなことをさせられるのか!」と納得できませんでした。
今まで身近にいて、何でも話して頼りにしていた私が、自分の望む生き方とは違う、手の届かないところに行ってしまったような寂しさもあったのでしょう。
私が大学を卒業して、中学の教師になると、ますます関係は悪化して、私にとって母はとても窮屈で離れていたい人になってしまいました。
▶母を恨んだ日々
私が34歳の時、一級建築士の夫と結婚すると、母は人が変わったように優しくなりました。

私たちの新居が実家に近かったこともあって、母は私たちの好物を作っては、新居に持って来てくれたのです。
一度、母が料理を持って来てくれると、二三日は調理せずにすむほどたくさん作ってくれました。
しかし、平和な時はあまり長くつづかず、母は60代になるとパーキンソン病にかかり、父一人では介護しきれなくなったのです。
私たち夫婦は、二世帯住宅を買って、両親と同居することになりました。母は、小さな庭があることとロフトから五山の送り火「大文字」が見えることをとても喜んでいました。
母は私をとても頼りにしていたのです。
今ならわかってくれるかと、母に感情をぶつけられてつらかったこと、父や祖母の悪口を聞きたくなかった私の気持ちをわかってくれるかと、母に打ち明けました。
ところが、母は病人とは思えない声で「そんなことはしていない! あんたは根性が曲がっている!」と私を怒鳴りつけたのです。
「母のために」と二世帯住宅を買ったのに、母はそこに一年ちょっと住んだだけで、誤嚥性肺炎であっけなく亡くなってしまったのです。2007年でした。
▶「わかり合わなくてもいい」と思えた瞬間
母が亡くなってからも、いえ、亡くなってからの方がむしろ強く母を恨みました。
「亡くなったお母さんを悪く言うなんて! だれがあなたにお乳をくれて、オシメを替えてくれたの!」とよく批難されました。
でも、一時は憎悪と言っていいほど母を憎みました。もちろんそんな自分に罪悪感を覚え、後ろめたく、本当に苦しみました。
その時、自分も両親と関係がよくなかった人が「ああ、わかる! その気持ち!」と言って、毎日のように私の話を聞いてくれたのです。
自分の気持ちをすっかり吐き出すと、「もういいかな……」と思えてきました。母に対する恨み言を言えば言うほど、どれほど母に愛してほしかったかを感じたのです。

母に理解してもらえなくても「もういい」「親子でもわかりあえないこともある」と割り切れるようになりました。
少し寂しかったですが、ホッとしました。
▶自分の信じた道を進もうと決意
母は、「女性でも自分の個性を発揮して社会で認められたい」という私の生き方を理解してくれませんでした。
でも、私は「自分の信じた道を進もう」と決意しました。
すでに還暦を数年過ぎていましたが、「小説を書いて、私の経験を必要としてくれる人に届けたい」と思い、ライティングゼミや小説家養成ゼミなどに積極的に参加して、小説を書くようになりました。
幼い頃、無条件に愛されなかった。
親に進路を強く批判された。
母に理解されなくてつらかった。
そんな自分の分身が、自分の信じる道を進むことで、心の傷を癒やして、自分を認め信じるようになる。夢中でそんな小説を書きました。
私の中で燃え盛っていた母への怒りや恨みが静かに消えていきました。

その小説を改稿した『凍る声、溶ける弦』を、今年7月5日「note創作大賞」に応募したのです。幼いころ、心に深い傷を負った主人公の四季が、凍りついた自分の声を、同じ心の傷を持つ若きギタリストの颯太朗のギターと共鳴させて、凍りついた声を溶かし、四季も颯太朗も心を解放するのです。
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『凍る声、溶ける弦』
最近、母の夢をよくみます。たいてい場面は実家の台所なんです。母が私の好物の小アジの南蛮漬けや筑前煮を作ってくれていたり、果物の皮を剥いてくれていたり。
私も母も笑顔で他愛のない話をしていて、母はとても優しい顔をしています。夢から覚めると、母をとても懐かしく感じるのです。
▶幼い私の心の傷を自分でやっと癒せた
私は幼い私の心の傷を自分でやっと癒し、私を信じて、私自身に無条件の愛を注げるようになったのです。

このことを母の誕生日である今日のブログに書き残します。
自分の信じる道を進むことで、心の傷を癒し、夢に向かって生きられるようになったのです。私は、もう母との確執に悩むことはありません。

私は私の人生を生きているからです。
(お母さんに愛されたかったあなたへ~心の傷を癒し信じた道を進む:村川久夢)

▶note創作大賞に応募しました✨️
✨️note創作大賞(恋愛小説部門)に『凍る声、溶ける弦』を応募しました。
還暦を機にボイトレを始めた四季。
実力派の若きギタリスト颯太朗。
母のことばに縛られ、人の顔色に過敏になり声が出なくなる四季。
実母からの虐待という過去に苦しむ颯太朗。
愛されない存在だと思い込んできた二人の傷ついた魂が、音楽を通じて重なり合い、奇跡の共鳴(レゾナンス)を果たす――。
10周年の集大成となる大人の長編恋愛小説、全編一挙公開です。
ぜひ、二人の共鳴の結末を見届けてください。✨
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【note創作大賞応募作品】『凍る声、溶ける弦』
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