貧困は遠い国の話ではない~貧乏の苦しさや惨めさから抜け出す道

先ほど『働いても働いても抜け出せない過酷な貧困~報道特集』の動画を見て、他人事とは思えませんでした。

*『働いても働いても抜け出せない過酷な貧困~報道特集』

 

 

動画に出てくる「アンダークラス」やシングルマザーの苦しい食卓を見て、自分の子ども時代を思い出したのです。

 

私の父は勤勉で向学心の強い人でしたが、学生時代に学資が続かなくなり大学を中退しました。製靴の家業を継ぎましたが、大企業の大量生産の時代に仕事が激減して廃業したのです。

 

四柱推命の直伝免許も持っていた父

 

その後、40代になってプラスチック樹脂会社に就職し、その後、鈑金塗装の仕事をしていました。当時の父の収入は動画の中で見た、非正規雇用者の給料と同じくらいでした。

同居している父方の祖父母、二人の子ども(私と弟)を養うために、父は鈑金塗装の工場で働き、母はパートに出て、パート先から内職をもらって、両親は私たちの生活を守るために懸命でした。

私が小学校の5年生くらいのときに、祖母が卒中で倒れ、母は介護のためにパートを辞めました。

父の限られた月収の中で、母が歯を食いしばって家計を切り詰めていたことが思い出されます。

食費は切り詰められるだけ切り詰めていました。お米は「標準米」と呼ばれていた安いお米、牛肉が食卓にならぶことはあまりなく、鶏肉が多かったように記憶しています。

給料前はマルシンハンバーグを刻んで玉ねぎでかさ増しした野菜炒めや肉なし焼きそばが出てくることもありました。

でも、母はちょっとでも美味しく食べさせてあげようと工夫してくれていたので、マルシンハンバーグの野菜炒めも肉なし焼きそばもけっこう美味しかったです。

 

母は安価な素材で美味しい料理を作ってくれた

 

また、総合スーパー(今でいうイオンのようなお店)ができるまでは、百貨店の洋服は高くて買ってもらえませんでした。

せいぜい、特売会場のワゴンのシャツやTシャツを買ってもらえるくらいでした。

年頃の女の子が喜びそうなワンピースなどを見ても、母の財布の中身を知っているので、「べつに欲しくないし」と言ったことも覚えています。

両親が必死で守って暮れたので、ひもじい思いをしたりすることはありませんでしたが、貧乏の苦しさや惨めさは身にしみて知っています。

 

当時、女子は高校か短大を卒業して、数年会社で働き、25歳で寿退職が一般的でした。

でも、私はどうしても貧乏な生活から抜け出したくて、四年制大学に行って経済的に安定した職業につきたいと強く願っていました。

貧乏な生活も嫌でしたが、働いても働いても貧乏から抜け出せない生活は将来に希望が持てませんでした。それは、本当に息苦しくつらかったです。

 

 

大して成績もよくなかったので、高校の先生方には「お前の成績では四年制大学は無理だ」と言われました。

でも、事情をお話して、放課後に教えて下さった先生方もおられて、勉強だけでなく、進路の相談にも乗って頂きました。とても感謝しています。

私は、四年制大学進学を絶対に諦めませんでした。身にしみて貧乏が嫌だったのです。

国公立大学には成績がとっても足りなかったので、私の学力でも合格できる私大を探しました。

当然、学資が問題になりますが、日本育英会や公益財団法人の奨学金制度のお世話になり、なんとか授業料を払えました。

一浪しましたが、英語教師になり、経済的に自立できたのです。

 

昔の苦労話をしたいから、私の経験を書いたわけではありません。なんとか今苦しい人に私の経験を役立ててもらえないかと思ったから書きました。

貧乏は嫌でしたが、「働いても働いても貧乏な将来」はもっとつらくて先が見えずに苦しかったです。

私は日本育英会の奨学金や、いくつかの公益財団法人の支援(奨学金)を受けることができました。

周囲の学習サポートも含め、そうした社会の温かいセーフティネットがあったからこそ、私は諦めずに大学へ進学し、教師への道を開くことができたのです。

受験勉強もたいへんだったし、奨学金を探したり、手続きしたりもたいへんでしたが、私はなんとか貧困から抜け出して、経済的に自立できました。

あのころの私は「経済的に自立して貧困から抜け出ししたい」という小さな灯りだけが頼りだったのです。

 

 

私が勤めていた中学校の近くに区の青少年センターがありました。当時は、学習室があるだけでしたが、調べてみると、現在は「ユースワーカー」と呼ばれる専門の職員が常駐しているようです。

彼らは単なる施設の管理人ではなく、13歳(中学生)から30歳までの若者の身近な相談相手で、進路や学校、家庭の悩みの相談に乗ってくれたり、学習の合間にちょっとしたおしゃべりをしてリフレッシュさせてくれたりするようです。

 

また、日本育英会(現日本学生支援機構)は他の奨学金の多くが「利息をつけて返さなければならない」仕組みになっています。

私が受けていた公益財団法人の奨学金は、利息なしで年2回各9,000円返還という形式でした。

でも、調べてみると公益財団法人や一般財団法人が運営する奨学金は、現在も日本に数多く存在します。

✅️企業の創業者が設立した財団:

似鳥国際奨学財団(ニトリ)、キーエンス財団、柳井正財団(ユニクロ)など。特に近年は経済困窮世帯への手厚い給付型支援を拡大しています。

✅️伝統的な育英財団:

コカ・コーラ教育・環境財団、岩谷直治記念財団など、歴史的に長く学生の修学を支えてきた公益財団。

✅️特定の境遇を支援する財団:

あしなが育英会や遺児育英会など、親を亡くされたり、ひとり親家庭などの経済的な困難に寄り添う財団。

 

私は制度を探してなんとか大学に行き、中学校の教師になり、貧困から抜け出すという小さな灯りをともすことができました。

今の格差社会において、現役世代の賃金を上げること、子どもたちの教育や食べることを国がしっかり保障することは絶対です! 不可欠なんです!

肌感覚で貧困のつらさを知っているし、その中で希望を失わないことがどんなに大変かも知っています。

でも、諦めないで。

まわりを探して利用できるものは利用して下さい。私はみんなが口を揃えて「四年制大学は無理」と言われたとき、私の事情を理解して助けて下さった先生方がいらっしゃいました。

今は、僅かですがプラン・インターナショナル、国連UNHCR、子ども食堂の支援など、小さな居場所づくりを応援しています。

『報道特集』を見て、書かずにはいられずに書いた今日のブログです。

 

 京都在住セラピスト作家:村川久夢

 

 

 

 

 

 

✨️note創作大賞(恋愛小説部門)に『凍る声、溶ける弦』を応募しました。

還暦を機にボイトレを始めた四季。

実力派の若きギタリスト颯太朗。

母のことばに縛られ、人の顔色に過敏になり声が出なくなる四季。

実母からの虐待という過去に苦しむ颯太朗。

愛されない存在だと思い込んできた二人の傷ついた魂が、音楽を通じて重なり合い、奇跡の共鳴(レゾナンス)を果たす――。

10周年の集大成となる大人の長編恋愛小説、全編一挙公開です。

ぜひ、二人の共鳴の結末を見届けてください。✨

👇小説の購読は下記リンクをクリック! 購読無料で登録の必要もありません。

 

【note創作大賞応募作品】『凍る声、溶ける弦』

 

 

 

『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』紹介

 

『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』は、村川久夢がうつ病、夫の急逝、失職など50代で経験したつらい出来事から復活し、「もう年だから」「今さら遅いから」などの「心の制限」を外し、50代で人生を再生させたノンフィクションです。誰かのためではなく、自分の心にしたがって生きるようになった経験を描きました。

  *電子書籍(Amazon Kindle「読み放題」に登録されている方は0円でご購読いただけます。一般価格は550円です)下記ボタンよりお申込み下さい。

  *ペーパーバックは、880円(送料210円)です。下記ボタンよりお申込み下さい。

 

 

 

村川久夢ホームページトップには、最新7ブログ、著書に頂いた感想、村川久夢作品や「ああ、京都人シリーズ」へのリンクも紹介しています。ホームページトップへは、下記ボタンをクリックして下さい。

 

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