今回、東京行きの目的は、中目黒でインナーチャイルドカードセラピーのプラクティショナー勉強会が開催されたからでした。4月22日は中目黒、23日は恵比寿を散策しました。
実は、中目黒や恵比寿という地名に馴染みがなく、「中目黒? 目白やったら鳥やけど、目黒は何やろう?」とか「なんで恵比寿という地名になったんやろう?」と「なんで魔」の私は、興味津々でした。

▶目黒? 目白やったら鳥やけどな……
セミナー会場の中目黒は、まったく初めてでした。「目黒」と聞くと、「さんまは目黒に限る」というオチの落語が思い出されます。

「目白やったら鳥やけど、目黒の地名由来は何やろ?」と「なんで魔」発動です。そこで、Gemini先生に尋ねて、教えてもらいました。
目黒の由来にはいくつか説があるそうなんですが、最も有力でロマンがあるのは「五色不動(ごしきふどう)」という、目に関係するお不動様のお話です。
《「目」の色をしたお不動様説》
江戸時代のはじめ、徳川家光が江戸の街を守護するために、方位(五行)に合わせて5つの色を冠した不動尊を指定しました。
☑目黒不動(黒)
☑目白不動(白)
☑目赤不動(赤)
☑目青不動(青)
☑目黄不動(黄)
このうち、今の目黒区にある「瀧泉寺(りゅうせんじ)」に安置されていたのが目黒不動だったため、その一帯が「目黒」と呼ばれるようになったという説です。
ちなみに、お隣の「目白駅」の由来も、このペアである目白不動から来ています。
《自然の地形から来た説》
もう一つ、お不動様よりも古い時代からあったことばが由来という説もあります。
☑「馬畔(めぐろ)」説: 牧場などのあぜ道を指すことば。
☑「目(ま)+黒(くろ)」説: 窪んだ湿地(目)が黒々としていた、あるいは奥まっていた。
さて、江戸を護る「五色不動」にまつわる「目赤(めあか)」「目青」「目黄」はというと、地名としては残っていませんが、お寺の名前や通り名として今もしっかり息づいているようです。
「目赤」はどこにある? 現在、「目赤不動(南谷寺)」は文京区の本駒込という場所にあります。
地名そのものは「本駒込」ですが、周辺の商店街が「目赤通り」と呼ばれていたり、地元の人には「目赤不動さん」として親しまれています。
他の色についても、「目青」は、目青世田谷区太子堂の「教学院」にあり、三軒茶屋の近くです。
「目黄」は、江戸川区や台東区など、実は複数箇所に存在します。
首都東京の洗練されたオシャレな地名が、五行に由来しているなんて、とても興味深く、「なんで魔」で、歴史好きの私は、調べていてとてもおもしろいです。
▶恵比寿駅の駅名由来はビールだった!
翌日は、恵比寿を散策しました。七福神の「えべっさん(恵比寿神)」の関係で神社が由来なのかと思っていたのですが、なんと地名の由来は、ビールでした!

一般的には「地名が駅名になり、それが商品の名前になる」という流れが多いと思いますが、恵比寿の場合はその逆で、ビールの名前が駅名になり、さらに地名になったという珍しい歴史を持っていたのです。
《名前の由来と歴史の背景》
✅️ビールの誕生(1890年)
現在の恵比寿ガーデンプレイスがある場所に、日本麦酒醸造会社(現在のサッポロビール)が工場を建設し、「恵比寿ビール」の製造を開始しました。

✅️出荷専用の駅として誕生(1901年)
ビールの出荷量が増えたため、工場から直接積み下ろしができるよう、貨物専用の駅が作られました。その際、商品名からとって「恵比寿停車場」と名付けられました。
✅️旅客駅へ、そして地名へ(1906年〜)
その後、人が利用する旅客駅としての営業も始まりました。駅周辺が発展していくにつれ、1928年(昭和3年)には、ついに周辺の地名も正式に「恵比寿通」という名前になりました。
✅️豆知識
もともとあの辺りは「渋谷村」の一部でしたが、一つのブランドが街の名前を塗り替えてしまったというのは、日本の鉄道史でも非常にユニークなエピソードです。
街の名前にまでなってしまうほど、当時のビールの影響力は凄まじかったのですね。JR恵比寿駅の西口に「えびす像」がありました。

興味津々で写真を撮っていたのは私だけでしたが😅よく待ち合わせ場所にされるそうです。
▶五反田の由来の「なんで?」を紐解くと…
山手線で移動していて、「五反田」という地名にも「なんで魔」が刺激されました。

「五反って田んぼの広さを表す言い方やんな? 五反の田んぼを持っている人がいたんやろうか?」と気になって、Gemini先生に尋ねてみました。
《五反田の由来の「なんで?」を紐解く》
五反田という地名の由来は、まさに「五反(ごたん)という面積の田んぼがあったから」だと言われています。
「五反」ってどのくらい?
「反(たん)」は昔の面積の単位で、一反は約300坪(約990平方メートル)です。つまり「五反」は約1,500坪(約5,000平方メートル)。
今の感覚でいうと、サッカーコートより少し小さいくらいの広さの田んぼが一区画としてドーンとあった、ということになりますね。
なぜそこだけ名前がついたの?
江戸時代、あの辺り(目黒川沿いの低地)は一面の田園地帯でした。周囲は小さな田んぼが多かった中で、そこだけ「五反」もある大きな田んぼが目立っていたため、「五反田(五反の田んぼがある場所)」と自然に呼ばれるようになったそうです。
地名になったのは「駅」のおかげで、もともとは大崎村という大きな村の中の「小さな字(あざ)」に過ぎない名前でした。ところが1911年(明治44年)に山手線の駅ができて、駅名に採用されたことで、一気に有名な地名として定着しました。
ちなみに、世の中には「一反田」から「九反田」まで、数字のついた田んぼの地名が全国に実在します。でも山手線の駅名にまでなったのは「五反田」だけ。
私は京都人だからか、「一反」とか「反」ということばを聞くと、着物の生地の単位(一反:いったん)が思い出されますが……。土地の広さも同じ漢字で数えていたのが面白い共通点ですよね。
▶「なんで?」で見えてくる逸話や歴史的エピソード
以前、京都の難読地名、たとえば「不明門(あけず)」や「皀莢(さいかち)」などについて書いたことがあります。
よろしければ、下記の記事もあわせてご覧ください。京都の地名の不思議に迫っています。京都の難読地名は本当に奥が深いです。
*【ああ、京都人】京都の難読な地名~難読な地名には逸話や歴史が!~
京都の難読地名は本当に奥が深いです。それぞれの名前に、秀吉の都市改造(天正地割・てんしょうのじわり)や平安時代の植物「皀莢(さいかち)」が層のように重なっていることこそが、京都に千年の歴史がある所以(ゆえん)でしょう。
《東京と京都の地名の特徴》
京都の地名: 貴族文化や寺社、歴史的な事件、職人街など「縦の歴史」が色濃い。
東京の地名: 五反田のように「農村の風景」や、目黒のように「江戸の防衛(結界)」、恵比寿のように「近代産業」が由来になっていることが多く、ダイナミックな変化の歴史が感じられます。
あなたがお住まいの地名も、「なんで?」と掘り下げてみると、逸話や歴史的エピソード、他都市との意外な共通点や違いが見えてくるのではないでしょうか?
「なんで(なぜ)」というアンテナを張っていると、いつもの景色が物語のように動き出す瞬間は本当に面白く、あなたの人生の舞台を掘り下げてくれますよ。
(東京の地名由来に興味津々~「なんで魔」山手線界隈を行く:村川久夢)

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*村川久夢は京都生まれの京都育ち。一人の京都人の目を通して、京都や京都人について、拙書『ああ、京都人~今を生き抜く知恵おしえます~』に書きました。
戦争や政争が絶えなかった京都で、生き抜いて来た京都人の知恵を、また、観光化されていない日常の京都や地元の人に愛されている京都の穴場、食べ物やお店についても新著に書きました。
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