共依存を克服するための旅~母は母の私は私のための人生を歩みたい~

こんにちは、村川久夢です。

今日は叔父(母の弟)に

母の故郷に連れて行ってもらいました。

 

 

<母と私の共依存関係>

 

母子関係、

母と私の共依存関係の克服は

私の作品テーマの一つです。

 

私は物心つく頃から、

苦労の多い母を気遣って

良い子であろうとしました。

母の自慢の娘になることが

私の喜びでした。

 

「お母ちゃんのために」

といつも思っていました。

 

母もまた私のために尽し

良い母であることが

喜びであったようです。

「子どものために」

といつも思ってくれていました。

 

一見理想的な私たちの関係は、

本当はとても怖い関係で

私の心を蝕んでいました。

 

私は、現在、57才です。

「自分の生きづらさを

いつまでお母さんのせいにするつもり!」

と批難されたことがありました。

 

 

<母との関係を見つめ直す旅>

 

自分の道を歩き始めた今、

母の生きた足跡を訪ね、

今一度、母との関係を見つめ直そうと思い、

母の故郷を訪ねることを決めました。

 

叔父から母の実家や母の若い頃の話を

聞きながら、滋賀県米原市にある

母の実家に向かいました。

 

米原では母の生家、母が通った小学校、

母が遊んだ神社を訪れ、

祖父母のお墓参りもしました。

 

母が通った小学校は、

今はなく保育園になっていました。

門柱だけがかろうじて残っていました。

*湯谷神社

 

*青岸寺

 

*母が通った小学校の門柱

 

*祖父母の墓がある墓地

 

 

<時代に翻弄された母の人生>

 

1935年生まれの母は、

日本が敗戦を迎えた時、

小学校の3年生だったと言っていました。

先生の指示で

「教科書を墨で塗りつぶした」

と母が言っていたことが蘇ってきました。

 

母は戦前戦中戦後の過酷な時代に

少女時代を過ごしたようです。

 

戦後、母の父(私の祖父)は

国策だった琵琶湖の干拓地の

開拓団に入団を決めました。

 

叔父に連れられ、

昔、「入江干拓」と呼ばれていた

懐かしい祖父母の家があった地域にも

訪れました。

 

近くには干拓記念館があり、

排水を行った大きなポンプが

展示されているのを見かけました。

 

母は開拓作業にあたる家族のために

幼い頃から食事の用意を

任されていたようです。

 

 

<お母ちゃんのために>

 

「お祖母ちゃんが

百姓仕事でたいへんやさかい、

お母ちゃんが代わりに

毎日ご飯を作ったんやで」

とよく母が言っていました。

 

「お祖母ちゃんのために」

と母が度々口にしていたことを

思い出しました。

 

干拓地を買った借金、

家を建てた借金、

祖父や祖母のために、

母は中学を卒業すると

集団就職で実家を離れ、

毎月給料のほとんどを

祖父母に送っていました。

 

「お祖母ちゃんが苦労しているさかい、

ちょっとでも楽にしてあげようと思って、

お小遣い以外給料のほとんどを

家に入れてた・・・」

と母から何度も聞いた覚えがあります。

 

その後、祖父母の決めた相手と

見合いをして、

優しく真面目な見合い相手(私の父)と

結婚しました。

 

父は優しく真面目でしたが、

父の母(私の父方の祖母)は、

たいへん気難しく頑固な人で母は、

苦労していました。

 

すると今度、

母は私にこう言いました。

「あんたら(私と弟)ために

お母ちゃんは辛抱してるねんで」と。

 

父は祖母の言いなりで、

母を守ってあげませんでした。

私は幼い頃から、

敏感にその関係を感じて

いい子になりました。

 

「お母ちゃんのために」と。

 

 

<祖母と母、母と私

同じループを歩んでいる>

 

今日、叔父に連れられて

母ゆかりの地を巡りながら、

つくづく感じたことがあります。

 

「お祖母ちゃんのために」

「娘や息子のために」

「お母ちゃんのために」

 

「祖母と母、母と私、

同じループを歩んでいる!」

と強烈に感じました。

 

若い頃、私は、

「私は絶対に母のような人生を送らない」

と母の生き方に強く反発していました。

 

でも、「同じだったんです!」

 

母も私も自分の人生を

歩んでいなかったのです。

 

母の人生は確かに戦争、

戦後の食料不足への国策であった

琵琶湖の干拓事業、集団就職等々、

時代に翻弄された人生でした。

 

その中で苦労する祖母を

助けようとするあまり

母は自分を失ってしまい、

誰かのために生きることが

自分の存在価値になってしまったのでしょう。

 

 

<母は母の人生を私は私の人生を>

 

私はエッセイや小説を

ブログで発信するようになってから、

私と母のように、

相手を思いやるあまり

自分とお母さんの境目が

はっきりしなくなった女性の苦しみを

感じるようになりました。

 

長い長い間失っていた私の夢、

自分の思いを書いて表現発表する

という自分の夢を取り戻した今、

私は思います。

「自分のために生きよう!」と。

 

そして、母にはこう言いたいと思います。

「ありがとう、お母ちゃん。

言い尽くせないほど心配かけたね。

ホンマにごめん。

でもな、私はもう大丈夫やで。

例え失敗しても、

私は一人で立ち上がれるし。

だから、心配せんと、

お母ちゃんはお母ちゃんの人生を

楽しく生きてな!」

 

 

 

 

*村川久夢プロフィール

村川久夢略歴:人生捨てたもんじゃない

    

*村川久夢著『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』1章をホームページで公開しています。

『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』1章公開中

  

 *村川久夢のエッセイを収録したページです

村川久夢:エッセイ

   

    

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*村川久夢ホームページトップには、新著『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』に頂いた感想を多数掲載しています。

2件のコメント

  1. おはようございます。先日はお疲れ様でした。大変意義深い一日を過ごすことが出来ましたし姪っ子と色々な話をできたことで、記憶を思い起こすことが出来たことは今後の私の脳裏に再インプットされました。短時間で駆け巡りましたので、機会ありましたらじっくりと訪ねて見たいところがありましたらいつでも連絡ください。私は毎日サンデーです。喜んでお付き合いします。ブログで残してくれたので保存しておきます。ありがとうございました。私も精進して古川家を守っていきたいと思っています。どうぞご支援をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

    1. 先日は本当にありがとうございました。
      忘れることが出来ない一日になりました。
      母の人生は苦労の多い人生でしたが、
      叔父様と母ゆかりの地を訪れ、
      真摯に生きた母の姿を感じました。
      そして、私たち姉弟が成人して、
      母が自分の人生を楽しんだ時期のことも
      思い出しました。ホッとしました。
      伯母様、叔母様、叔父様、
      従兄弟・従姉妹の皆様にもまたお会いしたいです。

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