もったいないでしょ!~それって誰が言ったの?~

「私はダシを取ったことがありません。

ダシを取るのもダシがらの処分も面倒だし。

たま~~に出汁を取った時も

ダシがらは結局いつも捨ててしまいます」

とSNSに投稿したことがありました。

 

すると、「もったいないでしょう!

僕の母はいつもダシがらを取っておいて、

佃煮にしてくれますよ」

とある男性からコメントが来ました。

 

「はい、ごもっともです!」

とは書きませんでしたが、

何だか複雑なイヤな気分になりました。

 

亡くなった私の母は、

いつも昆布と鰹節でダシを取って、

美味しい料理を作ってくれました。

ダシがらも冷凍保存して、

美味しい佃煮を作ってくれました。

母が今の私くらいの年齢の時でした。

 

「ダシやダシがらのことで

複雑なイヤな気分になるのは

なぜなんだろう?」

と疑問に感じました。

 

ダシを取った方が美味しいし、

身体にも良いことはわかっていますが、

私は面倒さに負けて

粉末のだしの素専門です。

 

ダシがらはひと手間加えれば

美味しい佃煮や箸休めになることは

知っていても、それもできません。

 

たま~~にダシを取った時には、

ダシがらを即捨てるには抵抗があって、

冷凍保存することはするのですが、

冷凍焼けしてパサパサになるまで手付かずで、

結局は捨ててしまうのです。

 

でも、考えてみると

人それぞれでライフスタイルも価値観も

違いますよね。

 

母はダシを取ったほうが美味しいから、

家族が美味しいと喜んでくれるから、

張り切って鰹節やだし昆布を買い、

丁寧に出汁をとって料理してくれました。

ダシがらも上手に活用して

無駄にはしませんでした。

美味しかったし、ありがたかったです。

 

ダシを取って、

ダシがらも上手に活用している人は、

偉いなと思います。

 

でもだから

「私もそうしなければならない」

ということにはならないと思うのです。

 

「マメにダシを取らないのは無精者」

「物を粗末を粗末にするとバチが当たる」

 

何となくそんな風潮を感じて

責められているような気持ちになり、

罪悪感を抱いたりするのです。

 

私はダシを取ることや

ダシがらのことを考える時、

ちょっとオーバーかも知れませんが、

「罪悪感」「自責の念」「後ろめたさ」

が頭をかすめ通ります。

 

ちょっと煩わしいです。

 

それに本当のところ、

「ダシを取らないなんて無精者でしょ!」

「物を粗末にしてもったいないでしょ!」

なんて誰が言ったのでしょうね?

 

それは一般的な風潮のようであって、

本当は自分が思い込んで

自分を責めている気もするのです。

 

ダシを取らないで

だしの素を愛用している私には

私の都合があり、価値観があるのです。

 

ダシを取って料理したい時は

ダシを取ります。

やる気になれない時や時間がない時は、

だしの素を使います。

 

それだけのことなんですよね。

 

どこかの説教オジサン、

説教オバサンが何か言っても

適当に受け流すとしましょうか。

イヤな気分になることなんかないんです。

 

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*鬱・夫の死を克服した作家&

インナーチャイルドカードセラピスト

村川久夢(むらかわ くむ)

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