「時の繋がり」(父のエッセイ集より)

*2年前、父の米寿のお祝いに

父のエッセイ集を再出版しました。

原稿自体は平成5年に書いたものですが

2年前にエッセイ集再出版のために

紙の原稿をスキャンして編集しました。

私が読んで面白く感じたものを

私のブログで紹介させて頂きます。

 

「時の繋がり」(父のエッセイ集より)

(1)維新前後

優しかった母方の祖母は、

喜寿を越えての往生で、

当時としては長命な方で

私の小学校低学年の頃であった。

位牌に印されている死去の日から

享年を逆算すると、

明治、慶応、元治を越えて、

文久二年(1863年)の生まれという事になる。

 

年表を繰ると、あの「桜田門外の変」の

翌々年生まれで、

歴史で教わった水戸、薩摩の藩士による

井伊大老襲撃という史実は、

そう手の届かない大昔でもないように思えた。

 

そして鳥羽伏見の戦いがあり、

明治維新となった。

この時の祖母は六、七歳位の頃の経験で、

これにまつわる話は母に語られ、

そして母から私たち子供へと

何時とはなしに伝えられていた。

 

それは鳥羽伏見の戦いのとき

落ち武者(幕府方)が逃げ込んだという事で、

官軍方が大砲(おおづつ)を

祖母等が住んでいる集落に向けて、

「一発ぶちかます」という隊長の命令に、

町の長役はびっくり仰天、まかり出て、

「そのような者は一人もおりませぬ」

を繰り返し深々と地面に額をすりつけ、

「万一、落ち武者が現れました時は、

手前どもの方から必ず必ず

お届けいたします」

という言葉と米つきバッタの土下座で、

官軍の隊長は漸くにして

赤鞘から抜き払った刀を鞘に納め、

部隊を引き上げさせたという。

町の住民たちは

木っ端微塵という災厄を免れ

「やれやれ!」

と安堵の胸を撫で下ろしたという内容だった。

 

昭和初期の生まれの私が、

物心ついた頃から平成5年の今日まで、

その間に様々な形で知り得た事と、

明治24年生まれの母から聞いていた

色々な話、

そして、祖母からの経験談など

順に繋いで行くと、

約百三十年ほど遡ることになる。

時は切れ目なく時代の移り変りを

絡ませながら流れていく。

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*鬱・夫の死を克服した作家&

インナーチャイルドカードセラピスト

村川久夢(むらかわ くむ)

 

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