【ああ、京都人】「ふるさと京都」あれこれ~父のエッセイより~

父(20歳の新春)

 

 

私の父は昭和3年生まれ、祖父母はともに明治24年生まれ、曾祖母は文久2年生まれの京都人です。父は祖父母や曾祖母から、幕末の京都の話をよく聞いたようで、その話をエッセイ集にまとめています。本ブログは父のエッセイ集から、幕末の京都の様子を書いたエッセイの抜粋です。

 

<父のエッセイ「『ふるさと京都』あれこれ」>

下記の文章は、父のエッセイ集『はるかなりふみのみち』から、父が祖父母や曾祖母から伝え聞いた話をまとめたエッセイ「『ふるさと京都』あれこれ」からの抜粋です。

 

 

【「ふるさと京都」あれこれ】

「ふるさと京都」は、日本の歴史の中心地でもあり、特に江戸末期から明治維新への激動期にまつわる話は、祖母の親から祖母へ、そして母へと伝えられていた。

 

西本願寺に一時、新選組の屯所が置かれ、市中見回りに行き交う隊員の姿は、一般町民にとっては恐ろしい存在であったという話や、鳥羽伏見の戦いの時の落武者狩りの話はよく聞いていた。

 

切り捨て御免の時代に、東本願寺の別邸である枳殻邸(渉成園)の南の通りで、子供たちの遊び道具(かねの輪転がし)のかねの輪が、二人連れの侍の一人の足に絡まり転倒した。

 

怒った侍は大声で、「下郎!そこへなおれっ!」と叫んだ。子供は顔色を失い、その場に立ちすくみ震えていた。

 

それを見ていた朋輩の侍は、「貴公は倒れた、若し、これが敵の謀略であったら、貴公は既に命のないところだ。あんな子河童の仕草、赦されよ」と取り成しがあり、「こらっ、子河童、早く立ち去れっ!」の一言で、その場から一目散に逃げ帰り命拾いをしたというのである。

 

これは父方の古老が子供時代に経験した話で、父が聞き私にも話をしてくれたのであった。この内容は印象深く残っている。

 

また、三十三間堂横の坂道で、身なりの整った若侍二人と、風采の上がらない中年の浪人との間で、些細な事から争いになったが、浪人の方から「許されよ」と土下座して謝った。

 

しかし、若侍の方は声高に「ならぬわ!」と遣り返した。その時、浪人の方は余程の遣い手とみえ若侍の一人を一刀のもとに、切り倒していたという話もあった。

 

それぞれ関わりの在った場所を知っているだけに、その時の緊迫した状態での、やりとりが頭の中に浮かんでくる。

 

私の子供の頃、京都は未だ古い家並みや小さな寺も多くあった。道路も地道で雨が降れば、あっちこっちに水溜まりができ、ぴょんぴょんと跳んだりしながら除けて歩いた。

 

その道も完全舗装され、色んな型の車が行き交って走り、その頃あった古い土塀はなくなり、そこは洒落た観光ホテルになっている。

 

テレビで見る時代劇は、毎日のように斬り合いの場面が映っている。多分に娯楽性が含まれているのだろうが、事実はそんなに多くあったものではないらしい。

 

しかし、辻斬りは恐れられたという。弱い立場の町民は斬られ損の泣き寝入りで、たとえ犯人が判り、ならず者の浪人でも、侍には勝てず番所へ届けても余程の手蔓でもない限り、親身に構ってくれなかったらしい。

 

捕り方の「御用、御用」も映画やテレビのように、うまく運ばなかったようである。町方役人も捕り方も命は惜しいので、誰しも先頭切って踏み込む者はなく、犯人を遠巻きに取り囲み包囲網をじわじわ狭め、精神面で弱らせて観念させるというやり方で、時間が掛かったそうである。

 

「大岡越前」や「遠山の金さん」は「天下万民の為」と町民の味方のように描かれ、見ていて胸のすくような裁きは、全く嘘でないにしても、ごく稀なことで、裁くのはあくまでも武家社会組織の一員である侍であり、身内意識が働き武士階級に有利な裁きであったそうである。

 

(中略)

朝廷、公卿、幕府、奉行、代官という権力組織に組み入れられた支配体制。長い間、絶対権力を握った武家社会が続いていたが、次第にその終焉を告げる時代へと近付きつつあるとはいえ、曾祖母の頃は、まだまだ封建社会の真っ只中であった。

 

特権階級である侍のご無理ご尤もが罷り通り、百姓より以下の町民は道を行くにも、小さくなって端を歩いていたという。この息を潜めたような暮らしぶりは想像するにも余りあり、今から考えるに及びもつかぬ事のようだが、これが僅か母から二、三世代前のこと、祖母や祖母の親達は、その厳しい支配の時代を生きぬいて来たのである。

 

その支配体制の末端で抑えられている一般町民は、絶えず権力支配者の動向を窺い、いつ起こるかも知れない政権交替に具えていた。心の中を見透かされることなく真を明かさず、悟られないよう何れの支配者に替わっても順応し、疑われる事なく新しい体制に沿う努力は惜しまなかった。

 

この手の内を見せない、本心を明かさないのは、絶え間ない権力者の争いによる政権交替があり、各地からやってくる人々が多く、外部の人は本心が判らず特に警戒したという。そして密告と裏切りを恐れた為でもあるらしい。

 

今も京都の人は一見、何を考えているのか分からないとか、外来者には冷たいと評されるのは、根底にこのような事が一因となっているようでもある。生きていくための手段でもあり、長い間に慣わしが性となり、京都人の血となり気質となったのではと私なりに推測している。

 

中でも、自己本位にとられがちだが、人に迷惑を掛けたくないし、自分も掛けられたくないという、人は人、自分は自分といった、当たらず触らずのタイプが少なくない。

 

反面、知り合って心許すまで時間が掛かるが、「この人は」と信じあえば、親戚以上の交際になる事も多い。しかし、だからといってべたべたした交際は疎まれる。背筋をぴんと張った節度のある方が長続きしている。

 

 際立って目立つような事は避け、常々は質素に暮らし、ここ一番、自分に気に入ったものがあれば奮発して逸品を求めるのである。内に秘めた輝きと誇りを大事にしているようでもある。

 

 

<名もない庶民の暮らしを書き残したい>

父のエッセイ「『ふるさと京都』あれこれ」を紹介しました。父が口伝で聞いた、幕末の京都の様子、それを踏まえ、父なりに考察した京都人気質について書いています。

 

昔のことは、忘れ去られるのが普通なのかもしれませんが、私は父が書いてくれたエッセイをブログで紹介して行きたいと思っています。

 

幕末の京都で生きた名もない庶民の暮らしを書き残したいからです。戦乱や政争が絶え間ない京都で生き抜いて来た京都人の知恵を伝えたいと思っています。

 

作家:村川久夢

 

  

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