【連載小説】『薫~書の道・愛の道~』その85「あふれる思い」

久しぶりの稽古で、「全日本芸術展」応募作品を搬入し終えた佐伯に会うと、薫の中で張り詰めていた緊張の糸が切れた。初段の検定課題に一生懸命に取り組むことが、佐伯への何よりの応援だと自分に言い聞かせて来た緊張の糸が切れてしまったようだった。

   

薫の中で、佐伯に会えなかった間の寂しさ、悲しさ、もどかしさ、切なさ、恋しさが、堰を切ったようにどっと溢れ出た。

   

後かたづけが終わると、薫は佐伯とひと言も話さず帰り支度をして、速足で帰り道を歩いた。ひと言でも何か言ったら、涙が溢れそうだったからだ。

   

「薫さん!待って!」

  

と言って佐伯が追いかけて来た。薫は佐伯に追いつかれないように走ったが、すぐに追いつかれた。佐伯に向き直ると、涙がどっと溢れ出た。

  

「私、寂しかったんです!初段の検定課題に一生懸命に取り組むことが、先生への何よりの応援なんだってわかっていても、もどかしかった!切なかった!先生がとてもとても恋しかったんです!」

  

佐伯は薫に近づくと、力を込めて薫の肩を抱いて言った。

  

「作品『夢』を書くたびに薫さんのことを思った。無意識に薫さんの姿が現れた。いつも『薫さんを全力で守る』と言いながら、薫さんを泣かせてしまうね。でも、もう寂しがらせない」

  

ずっと抑え込んでいた本当の気持ちを佐伯にぶつけ、佐伯に肩を抱かれ、佐伯の存在を身近に感じると、波立っていた気持ちが静かになった。佐伯に甘えた自分を恥ずかしく感じた。

  

「先生に甘えてしまいました。子どもみたいですね」

  

「薫さんは芯が強くて、なかなか甘えてくれないからね。もっと僕に本心をぶつけて欲しい。必ず受け止める。本当に薫さんを守るよ」

  

「先生…」

  

「初段検定に向かって一緒に頑張ろう!全力で応援するよ!」

  

稽古が再開されてから検定試験まで、2週間ほどしか練習時間がなかった。佐伯は稽古日以外も教室を開放し、練習したい生徒が教室を使えるようにした。

  

薫は勿論のこと、師範免許取得を目指す美緒も、指導者資格を目指す陽も、2段の検定試験を受ける昭子も熱心に教室に通った。佐伯は稽古日以外も教室に居て、薫たちを熱心に指導した。

  

佐伯の不在中も薫は懸命に練習した。積み重ねた練習のかいあって、楷書課題、行書課題、草書課題は、着実に仕上がった。かな課題の「いろは」47文字も文字の形は整っていたが、書線の緩急や抑揚と言った筆遣いは、独習では限界があった。

  

佐伯は小筆を取って、薫が書線の緩急や抑揚と言った筆遣いを捉えられるように、何度も書いて見せた。

  

薫はすぐにポイントを捉え、水を得た魚のようにいきいきと「いろは」47文字を書いた。独習で書いてた時には、見られなかった運筆のリズムと線の流れが、薫のかな課題から感じられるようになったのだった。

  

「次の稽古日に検定課題を仕上げよう。美緒、師範免許取得試験は、古典を読む、書道史、歴史的仮名遣い等の理論課題もあることは、勿論知っているだろうが、理論もしっかり勉強するように」

  

「はい!師範免許取得試験が、三段に昇段してすぐに合格するほど、簡単な試験だとは思っていません。でも、受けたいんです!」

  

「そうだ!頑張ろう!」

  

「昭子さんは、コツコツと努力して来た。自信を持って下さい」

  

「はい、先生!前はすぐに『不合格だったらどうしよう…』と緊張してしまいましたが、今は、だいぶリラックスして書けるようになりました」

  

「いいですね。おおらかな気持ちで検定課題にも取り組みましょう」

  

「薫さん、初段検定に向けてやるべきことは全てやりましたね。あとは無心で書くことを楽しんで下さい」

  

「はい、紫式部になったつもりで書きます」

  

「そうだね。書くモチベーションをあげると、不必要な力が緩んで、筆の動きが軽やかになったことを思い出して」

  

「はい、先生」

  

薫は平静な気持ちで佐伯の言葉を聞いていた。

  

-先生は作品「夢」を仕上げた、今度は私が私の「夢」を仕上げる番だ!-

  

薫は静かに闘志を燃やしたのだった。

  

つづく

<薫~書の道・愛の道~目次>


「墨の香り」『薫~書の道・愛の道~』その1

「衝動」『薫~書の道・愛の道~』その2

「月光」『薫~書の道・愛の道~』その3

「脱皮」『薫~書の道・愛の道~』その4

「気づき」『薫~書の道・愛の道~』その5

「衝撃」『薫~書の道・愛の道~』その6

「オアシス」『薫~書の道・愛の道~』その7

「疑念」『薫~書の道・愛の道~』その8

「書道講習会」『薫~書の道・愛の道~』その9~

「イルミネーション」『薫~書の道・愛の道~』その10

「カナリーイエローのマフラー」『薫~書の道・愛の道~』その11

「タロット:塔」『薫~書の道・愛の道~』~その12~

「遠い存在」『薫~書の道・愛の道~』その13~

「大掃除」『薫~書の道・愛の道~』その14~

「贈り物」『薫~書の道・愛の道』~その15~

「書き初め」『薫~書の道・愛の道~』その16

「翡翠色の振り袖」『薫~書の道・愛の道~』その17

「若い二人」『薫~書の道・愛の道~』その18

「壁を越えて」『薫~書の道・愛の道~』その19

「プライド」『薫~書の道・愛の道~』その20

「火祭り」『薫~書の道・愛の道~』その21

「濃紺のネックウォーマー」『薫~書の道・愛の道~』その22

「嵐の前の静けさ」『薫~書の道・愛の道~』その23

「闘いの序章」『薫~書の道・愛の道~』その24

「円相(えんそう)」『薫~書の道・愛の道~』その25

「ライバル」『薫~書の道・愛の道~』その26

「殻を脱ぎ捨てて」『薫~書の道・愛の道~』その27

「敷かれたレール」『薫~書の道・愛の道~』その28

「『塔』のメッセージ」『薫~書の道・愛の道~』その29

「江碧鳥逾白」『薫~書の道・愛の道~』その30

「岐路」『薫~書の道・愛の道~』その31

「行動開始」『薫~書の道・愛の道~』その32

「存在感」『薫~書の道・愛の道~』その33

「生徒募集中」『薫~書の道・愛の道~』その34

「最初の日」『薫~書の道・愛の道~』その35

「復帰」『薫~書の道・愛の道~』その36

「理解者」『薫~書の道・愛の道~』その37

「体験授業」『薫~書の道・愛の道~』その38

「春の兆し」『薫~書の道・愛の道~』その39

「揺れる想い」『薫~書の道・愛の道~』その40

「信じる道」『薫~書の道・愛の道~』その41

「夢を伝える人」『薫~書の道・愛の道~』その42

「変わり目」『薫~書の道・愛の道~』その43

「大切な人」『薫~書の道・愛の道~』その44

「抱擁」『薫~書の道・愛の道~』その45

「花吹雪」『薫~書の道・愛の道~』その46

「ナビゲーター」『薫~書の道・愛の道~』その47

「書きたい」『薫~書の道・愛の道~』その48

「克服」『薫~書の道・愛の道~』その49

「変貌」『薫~書の道・愛の道~』その50

「会いたい!」『薫~書の道・愛の道~』その51

「同じ境地」『薫~書の道・愛の道~』その52

「目標達成」『薫~書の道・愛の道~』その53

「作戦会議」『薫~書の道・愛の道~』その54

「腕枕」『薫~書の道・愛の道~』その55

「約束」『薫~書の道・愛の道~』その56

「逞しくなった!」『薫~書の道・愛の道~』その57

「一日書道教室」『薫~書の道・愛の道~』その58

「それぞれの道」『薫~書の道・愛の道~』その59

「焦り」『薫~書の道・愛の道~』その60

「発展途上」『薫~書の道・愛の道~』その61

「夢」『薫~書の道・愛の道~』その62

「約束」『薫~書の道・愛の道~』その63

「自分の力で」『薫~書の道・愛の道~』その64

「万葉植物園」『薫~書の道・愛の道~』その65

「書の鑑賞」『薫~書の道・愛の道~』その66

「小野道風の蛙」『薫~書の道・愛の道~』その67

「出会い」『薫~書の道・愛の道~』その68

「三体千字文」『薫~書の道・愛の道~』その69

「八雲蒼風先生」『薫~書の道・愛の道~』その70

「佐伯の母」『薫~書の道・愛の道~』その71

「喜び」『薫~書の道・愛の道~』その72

「夏が来た!」『薫~書の道・愛の道~』その73

「屏風祭」『薫~書の道・愛の道~』その74

「半双の屏風」『薫~書の道・愛の道~』その75

「送り火」『薫~書の道・愛の道~』その76

「古都の筆」『薫~書の道・愛の道~』その77

「追い込み」『薫~書の道・愛の道~』その78

「みんなの応援」『薫~書の道・愛の道~』その79

「お互いの姿」『薫~書の道・愛の道~』その80

「人生の質」『薫~書の道・愛の道~』その81

「応募作品搬入」『薫~書の道・愛の道~』その82

「それぞれの目標」『薫~書の道・愛の道~』その83

「恋のかな文字」『薫~書の道・愛の道~』その84

「あふれる思い」『薫~書の道・愛の道~』その85

「初段検定作品」『薫~書の道・愛の道~』その86

 

 

作家:村川久夢

 

 

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