【連載小説】『薫~書の道・愛の道~』その83「それぞれの目標」

新日本美術館に「全日本芸術展」応募作品を搬入し、離れに帰って来ると、夜遅くなっていた。佐伯は背負っていた大きな荷を下ろしたような、非常にほっとした気持ちになった。酷く疲れていて、私室に入ると欲も得も無く眠ってしまった。

 

明け方のまどろみの中で、夢を見た。佐伯は大切な重い荷物を持って、長い道を歩いていた。ずいぶん遠くまで歩いて来たようだった。気がつくと、道の傍らで薫が書に向かっていた。薫は、佐伯が贈った小筆で一心にかな文字の練習をしていた。

 

「薫さん、作品『夢』を搬入して来たよ!」

 

と薫にかけた自分の声で佐伯は目覚めた。朝になっていた。半年近く、作品「夢」の制作に賭けてきた。試行錯誤し、創意工夫し、無我夢中だった。作品「夢」を搬入した今は、「まな板の鯉」の気分だった。

 

佐伯は顔を洗い、朝食を取り、身なりを整えると、いつも湧き水を汲ませてもらっている神社に向かった。神社で「全日本芸術展」応募作品を搬入したことを報告し、湧き水を汲んだ。

 

離れに戻ると、「全日本芸術展」応募作品の制作を続けた教室を片づけて、掃除をした。私室に置いた作品「夢」は今や天井まで届いていた。

 

教室がある程度片づくと、佐伯はかな用の硯と筆を出し、かな文字の基本である「いろは」47文字を書いた。

 

かな文字の丸みを帯びた美しく滑らかな線は「みずくき」と称され、漢字書道や実用書道にはない魅力があった。また、変体仮名や連綿をバランスよく入れることで、美しさの表現は多様になるのだ。

  

運筆のリズムと線の流れを大事にするため、道具もそれに見合ったものが必要になってくる。かなの柔らかい曲線を表現するには柔らかめの筆を使うと書きやすくなる。羊毛筆、兼毛筆等が適しているのだ。かなは、筆の穂先を酷使する書体なので、できるだけこまめに筆を取り替えることが推奨されている。

  

佐伯は、日本の筆造りのルーツがある古都の筆を気に入っていて、数本購入しては少しずつ使っていた。薫に贈った小筆は、佐伯が使っている小筆と一緒に購入したものだった。

   

薫は昨日も初段の検定課題を徹夜で練習していた。初めてのかな文字に懸命に取り組む薫の姿が浮かんだ。

  

「全日本芸術展」応募作品に集中するため、生徒たちの厚意に甘えて、書道教室を約1ヶ月休ませてもらった。

  

-今度は、生徒たちが夢を叶える番だ。薫さん!全力で応援するよ!-

  

佐伯は心に誓った。

  

遅い夏休み一ヶ月間の後、初めての書道教室稽古日が来た。薫は逸る気持ちを抑えきれず、小走りで教室についた。薫が最初だったが、すぐに美緒、陽、美咲がやってきた。上条も昭子も佳苗、生徒全員がいつもよりずっと早く教室にそろった。

  

「みなさん、お久しぶりです。そして、本当にありがとうございました。なんとか無事に作品『夢』を搬入できました。みなさんの応援のおかげです。心からお礼を言います」

  

現れた佐伯が生徒全員に礼を言い、深々と頭を下げた。

  

「佐伯先生、お疲れ様でした。ずいぶん根を詰められたのでしょう。少し痩せられましたね」

  

上条鉄男が進み出て、佐伯の手を取って言った。

  

「上条さん、応援ありがとうございます。今は『まな板の鯉』の気分です」

  

「先生、お疲れ様でした。これからはちゃんと食べて下さいね」美緒が言った。

  

「美緒、君たちのおかげで餓死せずにすんだよ。いろいろ心づかいをありがとう」

  

佐伯は、いつも応援してくれる薫、美緒、陽を見て、礼を述べた。そして、生徒全員に向かって言った。

  

「みなさんのおかげで私は『全日本芸術展』に応募作品を搬入できました。私の目標を一つ果たしました。次は、みなさんの番です。美緒は三段に昇段したので、師範免許取得試験を受ける資格を得ました。陽は今まで興味がなかった指導者資格講座を受けます。昭子さんは三段の検定を、そして薫さんは初段の検定を受験します。それぞれの目標に向かって、力を尽くして下さい。私が全力で応援します!」

  

「先生、頑張ります」

  

生徒全員が声を揃えて言った。久しぶりの稽古は、熱意と活気にあふれていた。

   

薫は、久しぶりの佐伯の稽古に胸弾ませ、佐伯に贈られた小筆で熱心にかな文字の練習をした。

  

-先生、初段の検定試験に全力を尽くします!-

  

薫は心に誓ったのだった。

つづく

<薫~書の道・愛の道~目次>


「墨の香り」『薫~書の道・愛の道~』その1

「衝動」『薫~書の道・愛の道~』その2

「月光」『薫~書の道・愛の道~』その3

「脱皮」『薫~書の道・愛の道~』その4

「気づき」『薫~書の道・愛の道~』その5

「衝撃」『薫~書の道・愛の道~』その6

「オアシス」『薫~書の道・愛の道~』その7

「疑念」『薫~書の道・愛の道~』その8

「書道講習会」『薫~書の道・愛の道~』その9~

「イルミネーション」『薫~書の道・愛の道~』その10

「カナリーイエローのマフラー」『薫~書の道・愛の道~』その11

「タロット:塔」『薫~書の道・愛の道~』~その12~

「遠い存在」『薫~書の道・愛の道~』その13~

「大掃除」『薫~書の道・愛の道~』その14~

「贈り物」『薫~書の道・愛の道』~その15~

「書き初め」『薫~書の道・愛の道~』その16

「翡翠色の振り袖」『薫~書の道・愛の道~』その17

「若い二人」『薫~書の道・愛の道~』その18

「壁を越えて」『薫~書の道・愛の道~』その19

「プライド」『薫~書の道・愛の道~』その20

「火祭り」『薫~書の道・愛の道~』その21

「濃紺のネックウォーマー」『薫~書の道・愛の道~』その22

「嵐の前の静けさ」『薫~書の道・愛の道~』その23

「闘いの序章」『薫~書の道・愛の道~』その24

「円相(えんそう)」『薫~書の道・愛の道~』その25

「ライバル」『薫~書の道・愛の道~』その26

「殻を脱ぎ捨てて」『薫~書の道・愛の道~』その27

「敷かれたレール」『薫~書の道・愛の道~』その28

「『塔』のメッセージ」『薫~書の道・愛の道~』その29

「江碧鳥逾白」『薫~書の道・愛の道~』その30

「岐路」『薫~書の道・愛の道~』その31

「行動開始」『薫~書の道・愛の道~』その32

「存在感」『薫~書の道・愛の道~』その33

「生徒募集中」『薫~書の道・愛の道~』その34

「最初の日」『薫~書の道・愛の道~』その35

「復帰」『薫~書の道・愛の道~』その36

「理解者」『薫~書の道・愛の道~』その37

「体験授業」『薫~書の道・愛の道~』その38

「春の兆し」『薫~書の道・愛の道~』その39

「揺れる想い」『薫~書の道・愛の道~』その40

「信じる道」『薫~書の道・愛の道~』その41

「夢を伝える人」『薫~書の道・愛の道~』その42

「変わり目」『薫~書の道・愛の道~』その43

「大切な人」『薫~書の道・愛の道~』その44

「抱擁」『薫~書の道・愛の道~』その45

「花吹雪」『薫~書の道・愛の道~』その46

「ナビゲーター」『薫~書の道・愛の道~』その47

「書きたい」『薫~書の道・愛の道~』その48

「克服」『薫~書の道・愛の道~』その49

「変貌」『薫~書の道・愛の道~』その50

「会いたい!」『薫~書の道・愛の道~』その51

「同じ境地」『薫~書の道・愛の道~』その52

「目標達成」『薫~書の道・愛の道~』その53

「作戦会議」『薫~書の道・愛の道~』その54

「腕枕」『薫~書の道・愛の道~』その55

「約束」『薫~書の道・愛の道~』その56

「逞しくなった!」『薫~書の道・愛の道~』その57

「一日書道教室」『薫~書の道・愛の道~』その58

「それぞれの道」『薫~書の道・愛の道~』その59

「焦り」『薫~書の道・愛の道~』その60

「発展途上」『薫~書の道・愛の道~』その61

「夢」『薫~書の道・愛の道~』その62

「約束」『薫~書の道・愛の道~』その63

「自分の力で」『薫~書の道・愛の道~』その64

「万葉植物園」『薫~書の道・愛の道~』その65

「書の鑑賞」『薫~書の道・愛の道~』その66

「小野道風の蛙」『薫~書の道・愛の道~』その67

「出会い」『薫~書の道・愛の道~』その68

「三体千字文」『薫~書の道・愛の道~』その69

「八雲蒼風先生」『薫~書の道・愛の道~』その70

「佐伯の母」『薫~書の道・愛の道~』その71

「喜び」『薫~書の道・愛の道~』その72

「夏が来た!」『薫~書の道・愛の道~』その73

「屏風祭」『薫~書の道・愛の道~』その74

「半双の屏風」『薫~書の道・愛の道~』その75

「送り火」『薫~書の道・愛の道~』その76

「古都の筆」『薫~書の道・愛の道~』その77

「追い込み」『薫~書の道・愛の道~』その78

「みんなの応援」『薫~書の道・愛の道~』その79

「お互いの姿」『薫~書の道・愛の道~』その80

「人生の質」『薫~書の道・愛の道~』その81

「応募作品搬入」『薫~書の道・愛の道~』その82

「それぞれの目標」『薫~書の道・愛の道~』その83

「恋のかな文字」『薫~書の道・愛の道~』その84

 

作家:村川久夢

  

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