【連載小説】『薫~書の道・愛の道~』その65「万葉植物園」

深夜まで「全日本芸術展」に応募する作品の制作に取り組んでいて、そのまま眠ってしまったらしい。差し込む朝日で佐伯は目が覚めた。数時間まどろんだだけなので、頭も身体も重かったが、佐伯は身なりを整えた。神社に詣でて、早朝の湧水を汲みたかったからだ。

 

季節はいつしか初夏になっていた。

 

初夏の早朝は爽やかで気持ちが良かった。佐伯は神社に詣で、湧水を汲むと、広大な鎮守の森を散策した。鎮守の森には2本の小川が流れている。清流に木漏れ日が反射して美しかった。初夏の風が薫った。

 

ストイックに作品制作に取り組む佐伯は、離れに引きこもって、作品と向き合っていた。散歩をする心の余裕を失っていることに気づいた。考えてみれば、外気に触れるのも久しぶりだった。

 

木漏れ日の美しさや風の快さを実感して、佐伯は思った。

 

-光の美しさを実感せずに存在感のある『光』と言う字が書けるだろうか。風の快さを体感せずに爽やかな『風』と言う字を書けるだろうか-

 

-書いて練習する時間は大切だ。しかし、それだけでは不十分だ。楽しさや喜びを実感することが絶対に必要なんだ-

 

神社から帰ると、佐伯は薫のことを考えた。真面目な薫は1級の検定試験のために寝食を忘れて練習している。佐伯自身もストイックで余裕に欠けるところがあるが、薫は生真面目過ぎる面がある。

 

-薫にも自然の美しさや快さを感じさせてやりたい。心に余裕を持たせてやりたい-

 

佐伯は特急列車で1時間ほど行った街にある万葉植物園に、薫を連れ出すことを思いついた。万葉植物園は、山野にいのちを芽生えさす草木が多く、なるべく人的な手を加えず、自然のままに生かし、訪れる人々に安らぎを与える場として親しまれている。佐伯は薫に野趣を味あわせてやりたいと思った。

 

万葉植物園に隣接する美術館には書作品が多く展示されている。書も鑑賞させてやりたいと思った。

 

-書の鑑賞は、造形的な美しさだけでなく、作者の心や作者の生きた時代のことにも思いを馳せることができる。多くの作品を目にすることで、薫は気づきを得るだろう。もっと書が楽しくなるだろう。薫なら鑑賞で学んだことを自分の書に生かせるだろう-

 

佐伯は薫と日時を相談して、街の駅で待ち合わせた。特急列車に並んで座ると、佐伯も薫も妙に緊張してしまったのだった。

  

特急列車は長い路線で、旅行に出かける人たちも沢山乗り込んでいた。特急列車が発車すると、彼らは飲み物や食べ物を取り出して、列車の旅を楽しんでいた。

 

「子どもの頃、僕は特急列車に乗ると、ゆで卵を買ってもらうのが楽しみだったよ」

 

飲食を楽しんでいる人たちを見て、佐伯が言った。

  

「先生は、本当に卵がお好きなんですね」

  

「本当だね。薫さんのだし巻き卵は美味しかった」

  

佐伯は車内販売のカートが来ると、ゆで卵と二人の飲み物を買った。

  

「コンビニでもゆで卵を見つけると、つい買ってしまうんだ。どうして塩味をつけているのか不思議だよ」

  

ゆで卵のおかげで、二人は緊張がほぐれ、程よい塩味のゆで卵を二人で美味しく食べたのだった。

 

特急列車は、時間通りに万葉植物園のある駅に到着した。古民家を改装した、カフェやギャラリーのある旧街道は、古都の佇まいを感じさせた。

  

9千坪の万葉植物園は広大だった。万葉集には約180種類の万葉名で詠まれた植物が登場し、現代の植物名とは異なるものも多く、現在は約300種類が万葉植物とされいると言う。

  

「万葉植物は、鑑賞用の植物もあるけれど、多くは目立たずそっと生きているらしいんだ。

  

食用、薬用、衣料、染料など実用的な用途を持って、人の生活に寄り添い生きている。なんとなく、華やかな洋花より万葉植物が好きで、たま~に気晴らしに来るんだ」佐伯が言った。

  

「気持ちが落ち着きますね」と言って薫は深呼吸をした。

  

「この前、神社の鎮守の森を散策して、光の美しさを実感せずに存在感のある『光』と言う字が書けるだろうか。風の快さを体感せずに爽やかな『風』と言う字を書けるだろうかって思ったんだよ。そしたら、ストイックに書に向き合っている薫さんを万葉植物園に連れて来てあげたくなったんだ」

  

「ありがとうございます。嬉しいです。本当ですね。部屋に閉じこもって、練習しているだけでは、ダメですよね」

  

「僕も人のことを言えた義理じゃないが…。万葉植物園を散策し終えたら、公園内にある万葉カフェで食事をして、隣接の美術館に行こう。書の鑑賞もきっと薫さんの勉強になるはずだから」

  

薫は、佐伯の優しさと万葉の植物に触れて、心がみずみずしくなるのを感じたのだった。

 

つづく

 

<薫~書の道・愛の道~目次>


「墨の香り」『薫~書の道・愛の道~』その1

「衝動」『薫~書の道・愛の道~』その2

「月光」『薫~書の道・愛の道~』その3

「脱皮」『薫~書の道・愛の道~』その4

「気づき」『薫~書の道・愛の道~』その5

「衝撃」『薫~書の道・愛の道~』その6

「オアシス」『薫~書の道・愛の道~』その7

「疑念」『薫~書の道・愛の道~』その8

「書道講習会」『薫~書の道・愛の道~』その9~

「イルミネーション」『薫~書の道・愛の道~』その10

「カナリーイエローのマフラー」『薫~書の道・愛の道~』その11

「タロット:塔」『薫~書の道・愛の道~』~その12~

「遠い存在」『薫~書の道・愛の道~』その13~

「大掃除」『薫~書の道・愛の道~』その14~

「贈り物」『薫~書の道・愛の道』~その15~

「書き初め」『薫~書の道・愛の道~』その16

「翡翠色の振り袖」『薫~書の道・愛の道~』その17

「若い二人」『薫~書の道・愛の道~』その18

「壁を越えて」『薫~書の道・愛の道~』その19

「プライド」『薫~書の道・愛の道~』その20

「火祭り」『薫~書の道・愛の道~』その21

「濃紺のネックウォーマー」『薫~書の道・愛の道~』その22

「嵐の前の静けさ」『薫~書の道・愛の道~』その23

「闘いの序章」『薫~書の道・愛の道~』その24

「円相(えんそう)」『薫~書の道・愛の道~』その25

「ライバル」『薫~書の道・愛の道~』その26

「殻を脱ぎ捨てて」『薫~書の道・愛の道~』その27

「敷かれたレール」『薫~書の道・愛の道~』その28

「『塔』のメッセージ」『薫~書の道・愛の道~』その29

「江碧鳥逾白」『薫~書の道・愛の道~』その30

「岐路」『薫~書の道・愛の道~』その31

「行動開始」『薫~書の道・愛の道~』その32

「存在感」『薫~書の道・愛の道~』その33

「生徒募集中」『薫~書の道・愛の道~』その34

「最初の日」『薫~書の道・愛の道~』その35

「復帰」『薫~書の道・愛の道~』その36

「理解者」『薫~書の道・愛の道~』その37

「体験授業」『薫~書の道・愛の道~』その38

「春の兆し」『薫~書の道・愛の道~』その39

「揺れる想い」『薫~書の道・愛の道~』その40

「信じる道」『薫~書の道・愛の道~』その41

「夢を伝える人」『薫~書の道・愛の道~』その42

「変わり目」『薫~書の道・愛の道~』その43

「大切な人」『薫~書の道・愛の道~』その44

「抱擁」『薫~書の道・愛の道~』その45

「花吹雪」『薫~書の道・愛の道~』その46

「ナビゲーター」『薫~書の道・愛の道~』その47

「書きたい」『薫~書の道・愛の道~』その48

「克服」『薫~書の道・愛の道~』その49

「変貌」『薫~書の道・愛の道~』その50

「会いたい!」『薫~書の道・愛の道~』その51

「同じ境地」『薫~書の道・愛の道~』その52

「目標達成」『薫~書の道・愛の道~』その53

「作戦会議」『薫~書の道・愛の道~』その54

「腕枕」『薫~書の道・愛の道~』その55

「約束」『薫~書の道・愛の道~』その56

「逞しくなった!」『薫~書の道・愛の道~』その57

「一日書道教室」『薫~書の道・愛の道~』その58

「それぞれの道」『薫~書の道・愛の道~』その59

「焦り」『薫~書の道・愛の道~』その60

「発展途上」『薫~書の道・愛の道~』その61

「夢」『薫~書の道・愛の道~』その62

「約束」『薫~書の道・愛の道~』その63

「自分の力で」『薫~書の道・愛の道~』その64

「万葉植物園」『薫~書の道・愛の道~』その65

「書の鑑賞」『薫~書の道・愛の道~』その66

 

 

作家:村川久夢

 

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