【連載小説】『薫~書の道・愛の道~』その38「体験授業」

書道教室に復帰した佐藤昭子の言葉が佐伯の耳に蘇った。

 

「私が書道を教えていると言っても、知り合いや近所の人ばかり…。それに、私は賞を取ったこともないし。だから、最近の教室の雰囲気が居づらくてお休みしていました。でも、この前、葉茶屋さんで先生の色紙を見て、やっぱり佐伯先生の書が好きだし、習うなら佐伯先生だと思って来たんです。また教えて頂けますか?」

   

昭子がそんな思いを抱いて自分の教室に通っていたことを佐伯は知らなかった。昭子は古くからの生徒でありながら、昭子のことを何もわかっていなかったことに佐伯は気づいたのだった。

   

自分の気持ちを古くからの生徒に伝えることすら出来なければ、「もっとたくさんの人に書道の楽しさを知って欲しい。自分の書道教室は一部の特権的な人だけのものじゃない!」と言う自分の信念は言葉だけのものになってしまうことを佐伯は痛感したのだった。

   

佐伯は墨を擦ると、巻紙を広げて、筆で生徒一人一人に手紙を書いた。教室の運営方針で皆を混乱させたことを詫び、書道をもっと開かれたものにしたいこと、もっと多くの人に書道の楽しさを知って欲しいことを真摯に訴えた。そして、教室に戻る気持ちがあれば、心から歓迎することも書き添えた。

     

そんなある日、佐伯が商店街を歩いていると、

「書道教室の先生~!」と呼び止められた。振り返ると、生徒募集中の色紙を置いてもらったうどん屋の女主人だった。

   

「こんにちは。この前はありがとうございました」佐伯が礼を言うと、

    

「先生!私の甥が今度、家を新築したんです。和風の家なんですよ。甥が『立派な表札を出したい!』って言うんです」女主人が言った。

  

「それはおめでとうございます」

   

「でもね、なかなか気に入った表札がなくてね。で、この前、うちの店に家族で食事に来た時、先生の色紙を見て、甥が『どうしてもこの先生に表札を書いてほしい』って言うんですよ~!」

   

「表札ですか!?」

  

「ですよね・・・先生みたいな偉い先生にお願いするのは気が引けるんですけど、甥が『どうしても!』って聞かないんです。お願いできませんか?」女主人が恐縮そうに言った。

    

「いいですよ。書かせてもらいます」佐伯は答えたのだった。

    

女主人と一緒に店に行き、女主人の甥一家の写真や新築された家の写真を見せてもらった。佐伯は、この一家や家の雰囲気、門出にふさわしい表札を書こうと決意したのだった。

    

佐伯が離れに帰ると、電話が鳴った。見知らぬ電話番号だったが応答すると、

    

「佐伯隆也先生のお電話ですよね?先生に習いたいって言う方が見えているんですが、体験授業は受けられますか?」生徒募集中の色紙を置かせてもらった事務用品店の顔見知りの店員だった。

    

店員は、体験の生徒と電話を替わり、佐伯は体験の生徒と日時の約束をしたのだった。

    

約束の日に現れた体験の生徒は、大人しそうな中年の女性で、山口佳苗と名乗った。佐伯が書道を習いたいと思ったキッカケを尋ねると、

    

「先生、私、和菓子屋に勤めているんです。私が勤めている店は老舗なこともあって、表書きを書かなきゃいけない時がよくあるんです。上手な人が書いてくれるんですが、シフトの関係で私しかいない時もあって・・・私、本当に下手なんです。お習字が苦手なんです。先生のような偉い先生に習うのは、恐れ多いんですが・・・でも、先生の色紙の字を見たら、私も習ってみたくなったんです!」

   

「そうだったんですね。整った字を書かなければいけないと思うと、プレッシャーで緊張しますね。今日は、佳苗さんに『書道は楽しい!』と感じて頂くことが、目標です!」佐伯は言った。

 

「楽しいですか?」佳苗は驚いたが、佐伯は体験授業の準備を始めた。

  

「佳苗さん、好きな文字を1字教えて下さい」佐伯が佳苗に尋ねた。

   

「え?好きな字ですか?考えたこともなかった。そうですね、『花』。私の花を咲かせたいです」佳苗は言った。

   

「いいですね!花とこの筆で書いて下さい」

   

佐伯は、乾いた筆を取ると空で「花」と大きく何度も書いて、今度は佳苗に筆を持たせると、佳苗にも花と大きく書かせた。佳苗は、初めは怪訝そうに、次第に楽しそうに乾いた筆を運んだ。

    

佐伯は筆に墨を含ませると、半紙を置いて、端から端まで線を書かき、佳苗にも同じことをさせた。佳苗の線は途切れたり、曲がったりしながらも、慣れると、線からぎこちなさや硬さが、少しずつ影を潜めた。

   

「線がイキイキして来ましたね」佐伯が言うと、

「本当ですか~」佳苗も嬉しそうだった。

   

縦の線や払いも同じ要領で何度も練習した後、佐伯が「花」と楷書で手本を書いた。

  

「佳苗さん、この通りに書こうと思わなくてもいいです。佳苗さんの『花』を書いて下さい」と言って、佐伯は佳苗に手本を渡した。

   

佳苗は、一度、空で「花」と書くと、筆に墨を含ませ半紙に向かって、佳苗の「花」を書いた。佳苗が書いた「花」は、整った形ではなかったが、線が伸びやかで、いかにも楽しげだったのだ。

   

「わ~!変な『花』!でも、先生、楽しかったです!」佳苗が感慨深げに言った。

   

「そうですか!今日の目標は達成ですね!習いごとは、楽しいから続けられて、続けられるから上達するんです。私の教室は、このように進めます。良かったら、私の教室に習いに来て下さい」佐伯は佳苗に言った。

   

佐伯は少しずつ自分が進むべき書の道が見えて来たのを感じたのだった。

  

つづく

 

<薫~書の道・愛の道~目次>


「墨の香り」『薫~書の道・愛の道~』その1

「衝動」『薫~書の道・愛の道~』その2

「月光」『薫~書の道・愛の道~』その3

「脱皮」『薫~書の道・愛の道~』その4

「気づき」『薫~書の道・愛の道~』その5

「衝撃」『薫~書の道・愛の道~』その6

  「オアシス」『薫~書の道・愛の道~』その7

「疑念」『薫~書の道・愛の道~』その8

「書道講習会」『薫~書の道・愛の道~』その9~

「イルミネーション」『薫~書の道・愛の道~』その10

「カナリーイエローのマフラー」『薫~書の道・愛の道~』その11

「タロット:塔」『薫~書の道・愛の道~』~その12~

「遠い存在」『薫~書の道・愛の道~』その13~

「大掃除」『薫~書の道・愛の道~』その14~

「贈り物」『薫~書の道・愛の道』~その15~

「書き初め」『薫~書の道・愛の道~』その16

「翡翠色の振り袖」『薫~書の道・愛の道~』その17

「若い二人」『薫~書の道・愛の道~』その18

「壁を越えて」『薫~書の道・愛の道~』その19

「プライド」『薫~書の道・愛の道~』その20

「火祭り」『薫~書の道・愛の道~』その21

「濃紺のネックウォーマー」『薫~書の道・愛の道~』その22

「嵐の前の静けさ」『薫~書の道・愛の道~』その23

「闘いの序章」『薫~書の道・愛の道~』その24

「円相(えんそう)」『薫~書の道・愛の道~』その25

「ライバル」『薫~書の道・愛の道~』その26

「殻を脱ぎ捨てて」『薫~書の道・愛の道~』その27

「敷かれたレール」『薫~書の道・愛の道~』その28

「『塔』のメッセージ」『薫~書の道・愛の道~』その29

「江碧鳥逾白」『薫~書の道・愛の道~』その30

「岐路」『薫~書の道・愛の道~』その31

「行動開始」『薫~書の道・愛の道~』その32

「存在感」『薫~書の道・愛の道~』その33

「生徒募集中」『薫~書の道・愛の道~』その34

「最初の日」『薫~書の道・愛の道~』その35

「復帰」『薫~書の道・愛の道~』その36

「理解者」『薫~書の道・愛の道~』その37

 

作家:村川久夢

 

 

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