【連載小説】『薫~書の道・愛の道~』その33「存在感」

佐伯の教室から帰宅すると、薫は自室で墨を擦り、筆を取った。初めて佐伯の教室に行った時とは、別人のように上達し、検定試験にも順調に合格していたが、薫は上達の壁にぶつかっていたのだった。

 

薫は一画一画を続けずに、筆を離して書く楷書体の課題の次に加わった行書体に、手こずっていたのだった。楷書体が一画一画をきちんと書いているのに対し、行書体は続け書きが見られ、速筆向きでありながら読みやすいという長所を併せ持った書体である。

 

薫は行書体の課題手本をよく見て、臨書したが、連綿と呼ばれる続け書きが、ぎこちなく手本のような柔らかな線が出なかった。

 

書道展で「群青賞」を取った貴子の作品が薫の心に浮かんだ。西行の和歌を漢字かな混じりで書いた作品だった。優雅で流れるようでありながら、しなやかな強さを感じさせ、見る人の心を捉えて離さない見事な行書作品だった。

 

薫は貴子の圧倒的な存在感を感じた。書道家としても、女性としても。

 

薫の目には、貴子はいつも才能に溢れ自信に満ちていた。書道教室でも、佐伯の生徒と言うよりは、佐伯の書道家仲間と表現する方が正確だったのだ。書道家として目指す方向は違っていても、佐伯は貴子の才能を高く評価していた。

 

また、一人の女性としても、佐伯にとっての貴子の存在の大きさを感じずにはいられなかった。

 

佐伯はずっと以前から、自分の書や書道教室をもっと開かれたものにしたいと考えていたことが薫には感じられた。佐伯が踏み出せずにいた理由は、確かに書道に専念できる環境を捨てられなかったこともあったであろう。

 

しかし、今回のことで、佐伯を押し留めていた一番の理由は、貴子だったのだと薫は感じた。佐伯は、貴子を傷つけることを何より恐れていたのだろう。

 

薫は、佐伯にとっての貴子の存在の大きさを痛感する思いだった。

 

その頃、生徒募集中の色紙を書き終えた佐伯は、急に空腹を覚えたのだった。教室を片づけると、薫たちと食べた昼食を思い出し、キッチンを覗いた。

 

レンジに置かれた鍋の蓋を取ると、佐伯が食べるのに十分な豚汁が残されていた。薫が気を利かせて、多めに作ってくれたのだろう。冷蔵庫を開けると、大根と塩昆布の浅漬もすぐに食べられるように小鉢に入れてラップがけしてあった。炊飯器にはご飯もあった。

 

佐伯は豚汁を温めて、遅い夕食を取った。食事は美味かった。

 

-さあ行動開始だ!-

 

そう決意する一方で、佐伯は、今、薫がここにいないことに、自分でも驚くほど強い寂しさを感じたのだった。

 

つづく

 


「墨の香り」『薫~書の道・愛の道~』その1

「衝動」『薫~書の道・愛の道~』その2

「月光」『薫~書の道・愛の道~』その3

「脱皮」『薫~書の道・愛の道~』その4

「気づき」『薫~書の道・愛の道~』その5

「衝撃」『薫~書の道・愛の道~』その6

「オアシス」『薫~書の道・愛の道~』その7

「疑念」『薫~書の道・愛の道~』その8

「書道講習会」『薫~書の道・愛の道~』その9~

「イルミネーション」『薫~書の道・愛の道~』その10

「カナリーイエローのマフラー」『薫~書の道・愛の道~』その11

「タロット:塔」『薫~書の道・愛の道~』~その12~

「遠い存在」『薫~書の道・愛の道~』その13~

「大掃除」『薫~書の道・愛の道~』その14~

「贈り物」『薫~書の道・愛の道』~その15~

「書き初め」『薫~書の道・愛の道~』その16

「翡翠色の振り袖」『薫~書の道・愛の道~』その17

「若い二人」『薫~書の道・愛の道~』その18

「壁を越えて」『薫~書の道・愛の道~』その19

「プライド」『薫~書の道・愛の道~』その20

「火祭り」『薫~書の道・愛の道~』その21

「濃紺のネックウォーマー」『薫~書の道・愛の道~』その22

「嵐の前の静けさ」『薫~書の道・愛の道~』その23

「闘いの序章」『薫~書の道・愛の道~』その24

「円相(えんそう)」『薫~書の道・愛の道~』その25

「ライバル」『薫~書の道・愛の道~』その26

「殻を脱ぎ捨てて」『薫~書の道・愛の道~』その27

「敷かれたレール」『薫~書の道・愛の道~』その28

「『塔』のメッセージ」『薫~書の道・愛の道~』その29

「江碧鳥逾白」『薫~書の道・愛の道~』その30

「岐路」『薫~書の道・愛の道~』その31

「行動開始」『薫~書の道・愛の道~』その32

「存在感」『薫~書の道・愛の道~』その33

「生徒募集中」『薫~書の道・愛の道~』その34

   

 

作家:村川久夢

 

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