【連載小説】『薫~書の道・愛の道~』その20「プライド」

年賀のパーティーが行われているサロンを抜けて、貴子は自室に戻った。貴子が生まれる前から田口家に仕えている家政婦の志津が貴子に付き従った。

 

田口邸は高台にあり、バルコニーからは街が一望できた。この家の一人娘貴子の部屋の大きな窓からも街を見下ろすことができるのだった。貴子は着物姿のまま街の夜景に見入った。

 

「お嬢様、お着替えになっては・・・」志津が遠慮がちに言った。

 

貴子は街の灯から目を離して、今度は窓に映った自分の姿に目を移した。紅緋地に更紗模様が描かれた小紋を着て、黒い艷やかな髪を結い上げた美しい女がこちらを見つめていた。

 

その女の肌は白磁を感じさせ、大きな目は濃く長いまつ毛に縁取られていた。鼻筋が通った鼻は気品を感じさせ、口角がきゅっとあがった形のいい唇は意志の強さを感じさせた。

 

しかし、その美しい顔には、深い憂いの影が漂っていた。

 

貴子の脳裏に終始浮かない顔をして、そそくさと帰って行った佐伯隆也の端正な横顔が浮かんだ。虚しさと悲しさで胸がいっぱいになるのを感じたのだった。

 

貴子は赤ん坊の頃から、愛くるしく美しかった。父雄一郎と母月子の愛を一身に受け、美しく、賢く、健康に育った。

 

貴子は幼少期から自分の美しさが武器になることを本能的に悟ってしまった。貴子が相手の目を見て微笑むと、両親はもちろんのこと、大人も子どもも、男も女も自分の思い通りに動くことを知ってしまったのだ。

 

貴子が我儘を言うことはなかった。と言うのも、貴子が望むことを口にするより先に、貴子の望みを察知した誰かによって、望みは叶えられていたからだ。

 

誰もが貴子の虜だった。貴子は田口家の幼い女王になったのだった。

 

そんな貴子が佐伯隆也に出会ったのは、貴子が小学校の5年生の時だった。

 

ある日、貴子が部屋から出ると、普段は静かな階下の和室が賑やかなのだ。和室は父の雄一郎が書道の練習用に使うだけなのにと貴子が不思議に思って、和室を覗くと、品のいい老人が筆を取っていた。

 

その時、老人の横にいた青年が貴子に気づいたのだった。貴子は青年と目が合うと、胸がドキッとしたのを感じた。青年はスラリと長身で、日焼けした肌に切れ長の目が涼やかだった。

 

その青年が佐伯隆也だった。

 

貴子に気づいた雄一郎は、

「貴子、入りなさい。『群青会』の八雲蒼風先生だ。自分の筆を取ってきて、蒼風先生に見て頂きなさい」と言った。

 

小学校に入学すると、様々なお稽古ごとを始めた貴子は、書道教室にも通っていた。書道教室の先生に「筋がいい」と褒められ、展覧会に入選したこともあったのだ。

 

貴子は得意げな様子はおくびにも出さなかったけれど、内心は大得意で筆を取った。

 

蒼風は「なかなか整った字を書くね」と褒めたが、佐伯隆也は自分の練習に夢中で、貴子には何の関心も示さなかった。

 

蒼風の指導が終わると、佐伯隆也は片づけを始めた。貴子は隆也に近づいて言った。

 

「片づけは志津にさせるから、しなくてもいいですよ」

「自分の道具は自分で片づけるものだよ。大事な道具だ。自分で大切に扱ってあげないとね」

と隆也が貴子の目を見て優しく言った。

 

貴子はまた胸がドキドキするのを感じた。

 

「シズという方はどなたなの?」隆也が尋ねた。

「家のお手伝いさんよ」

「そうなんだね。でもね、目上の人を呼び捨てにしてはダメだよ。ちゃんと『さん』をつけて呼ばないと」と隆也はまた貴子の目を見て優しく言ったのだった。

 

貴子の胸がドクドク高鳴り、その音が隆也に聞こえるのではないかと思えたほどだった。貴子は戸惑った。今まで人を魅了することはあっても、自分の方がドキドキすることなど一度もなかったからだ。

 

窓に映った自分の姿を見つめていた貴子は、視線を家政婦の志津に向けると、

「着物を脱がせて、志津」いつものように命令口調で志津を呼び捨てにした。

 

貴子も年賀のパーティーで佐伯の伯母の家が売却されるらしいと言う噂を聞いた。噂を聞いた佐伯の重苦しい表情も目にした。

 

初めて会った時から、佐伯は貴子を「貴ちゃん」と呼んで優しかった。貴子が成人すると「貴子さん」と呼び方を変えたけれど、相変わらず優しかった。

 

佐伯と貴子の結婚の噂が流れ出した頃から、次第に佐伯はそっけなくなり、二人の関係はギクシャクするようになったのだった。

 

-隆也さん、そんなに私が嫌い?そんなに私と結婚したくないの?-

 

絶対に口には出さないけれど、もう何度も反芻した言葉が胸をよぎった。部屋の窓に、いつも強気で我儘な貴子とは別人のような、気弱で傷つきやすい貴子の姿が映っていたのだった。

 

つづく


「墨の香り」『薫~書の道・愛の道~』その1

「衝動」『薫~書の道・愛の道~』その2

「月光」『薫~書の道・愛の道~』その3

「脱皮」『薫~書の道・愛の道~』その4

「気づき」『薫~書の道・愛の道~』その5

「衝撃」『薫~書の道・愛の道~』その6

  「オアシス」『薫~書の道・愛の道~』その7

「疑念」『薫~書の道・愛の道~』その8

「書道講習会」『薫~書の道・愛の道~』その9~

「イルミネーション」『薫~書の道・愛の道~』その10

「カナリーイエローのマフラー」『薫~書の道・愛の道~』その11

「タロット:塔」『薫~書の道・愛の道~』~その12~

「遠い存在」『薫~書の道・愛の道~』その13~

「大掃除」『薫~書の道・愛の道~』その14~

「贈り物」『薫~書の道・愛の道』~その15~

「書き初め」『薫~書の道・愛の道~』その16

「翡翠色の振り袖」『薫~書の道・愛の道~』その17

「若い二人」『薫~書の道・愛の道~』その18

「壁を越えて」『薫~書の道・愛の道~』その19

「プライド」『薫~書の道・愛の道~』その20

「火祭り」『薫~書の道・愛の道~』その21

 

作家:村川久夢

 

 

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