【連載小説】『薫~書の道・愛の道~』その16「書き初め」

教室の大掃除から自室に戻った薫は、まだ心臓がバクバクしているのを感じた。薫の手を包み込んだ佐伯の手の温もりや感触がまだはっきり残っていたのだ。

 

佐伯は薫の手を包み込んだ時、薫の目をじっと見つめていた。薫には佐伯が何かを訴えているように感じたが、佐伯は何も言わなかった。それでも、薫は佐伯とどこか心が通ったように感じたのだった。

 

薫は自室にいつも用意してる硯に水を差し、墨を擦った。筆を取ると、心の高鳴りを書き表したいと思った。佐伯の温もりを感じた喜びを!

 

その日の薫の書は、愛に溢れていた。佐伯への愛に溢れていたのだった。

 

その年も残り少なくなった数日間、薫は母の手伝いをして忙しく過ごした。母の手伝いを進んでしながらも、薫は時折、突然に佐伯の手の温もりを感じて戸惑った。薫の心は佐伯のことでいっぱいだったのだ。

 

美緒の話では、佐伯は年末年始も郷里に帰らず伯母の家で過ごすようだった。書道教室が休みの間は、離れに籠もって書道三昧に過ごすのだそうだ。

 

-佐伯先生みたいに私も精進しなきゃ!-

薫は時間を見つけては、書道の練習に励んだ。

 

-駄目じゃない。佐伯先生のことばかり考えていては!「群青会」の検定試験も控えている。早く有段者になって、指導者資格も取りたい!-と気持ちを引き締めたのだった。

 

書道三昧の濃い一年が明け、薫は新しい年を迎えた。二日は佐伯の教室で「書き初め」が計画されている。

 

書き初めは、平安時代の宮中における「吉書の奏(きっしょのそう)」という行事がルーツだと言われている。

   

江戸時代になると、この吉書始めが庶民の間にも「おめでたい新年に書道をする」という行事となって広がったのだ。年が明けて最初に汲んだ井戸水(=若水:わかみず)を神前に供えたあと、その若水を使って墨をすり、恵方に向かって詩歌を書くが一般的になった。

  

新年早々に、神聖な若水を使って書くことで、神意にあやかり、字が上手になることを祈願する。おめでたい言葉や詩歌、または今年一年の目標や抱負を書くことで、行動を新たにするという意味が「書き初め」にはあるのだ。

   

書き初めは、書道教室のみんなが新年の最初に集まる日でもあり、男性も女性も着物を着て来る人が多かった。去年、薫はシンプルなワンピースを着て参加したのだが…。

 

薫の頭に去年の書き初めの光景が浮かんだ。大島紬を着て、書に臨む凛々しい佐伯の姿が蘇った。大島紬の濃紺が佐伯にとても似合っていた。

 

そして、茜色の江戸小紋に墨色の名古屋帯を上品に着こなし筆をもつ貴子が、ひときわ美しかったことが胸に突き刺さるように思い出された。

  

元日の夜、薫はクローゼットから一着の着物を取り出した。母が祖母、つまり薫にとっては曾祖母にあたる琴乃からもらった着物だった。翡翠色の地に淡黄や白磁の牡丹が描かれたレトロで美しい振り袖だった。

 

琴乃が女学生の頃に着ていたと聞いている。母がこまめに手入れしていたので、振り袖も振り袖と合わせて着られていた山吹の袴も十分に着ることができる状態だった。

 

琴乃は美しい人だったと幼い頃から聞かされていた。

 

薫は着ていたフリースを脱いで、琴乃の着物を羽織った。恐る恐る鏡を覗き込むと、そこには、翡翠色の着物が似合う、色白で瞳が美しい愛らしい少女がこちらを向いていた。しばらく薫は、それが鏡に映った自分だとは気づかないほどだった。

 

鏡は深夜まで着物を着る練習をした。大島紬を着た佐伯と連れ立って、初詣に出かける妄想が、払い除けても払い除けても、薫の頭に浮かんだのだった。

 

妄想を払いのけると、大掃除をしながら美緒と交わした会話が思い出された。

 

「書き初めの後、佐伯先生は今年も貴子さんのお家のサロンに行くんだろうな」

「そうなの?」

 

「サロンで『群青会』の偉い人たちが新年会をするの。昔は母について私も行ったけれど、私なんかお呼びじゃないしね」美緒は悔しそうに言った。

「美緒は二段で指導者資格も持っているのに?」薫が驚くと、

「ぜ~んぜん、お呼びじゃないのよね!」美緒は肩をすくめた。

 

佐伯を貴子のもとから奪って、翡翠色の着物を着て、大島紬を着た佐伯と初詣に行く妄想が、再び蘇った。そして、思った。

 

-佐伯先生に見て欲しい!翡翠色の着物を着た私を!-

 

 つづく


「墨の香り」『薫~書の道・愛の道~』その1

「衝動」『薫~書の道・愛の道~』その2

「月光」『薫~書の道・愛の道~』その3

「脱皮」『薫~書の道・愛の道~』その4

「気づき」『薫~書の道・愛の道~』その5

「衝撃」『薫~書の道・愛の道~』その6

  「オアシス」『薫~書の道・愛の道~』その7

「疑念」『薫~書の道・愛の道~』その8

「書道講習会」『薫~書の道・愛の道~』その9~

「イルミネーション」『薫~書の道・愛の道~』その10

「カナリーイエローのマフラー」『薫~書の道・愛の道~』その11

「タロット:塔」『薫~書の道・愛の道~』~その12~

「遠い存在」『薫~書の道・愛の道~』その13~

「大掃除」『薫~書の道・愛の道~』その14~

「贈り物」『薫~書の道・愛の道』~その15~

「書き初め」『薫~書の道・愛の道~』その16

「翡翠色の振り袖」『薫~書の道・愛の道~』その17

「若い二人」『薫~書の道・愛の道~』その18

 

作家:村川久夢

  

 

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