【連載小説】『薫~書の道・愛の道~』その4「脱皮」

定期書道展の課題に取り組むことで、薫は心を書で表現することを知った。薫が新たな境地に至った日であり、薫の苦しみが始まった日でもあった。

   

-書けない!本当に苦しい!-薫は、思った。

   

憑かれたように薫は練習した。アルバイトも時間を大幅に減らしてもらい、一日10時間は筆を持つように決めた。書道教室のある佐伯の伯母夫婦の離れに可能な限り通った。離れに通えない日は、狭い自宅の部屋を片付けてなんとか練習した。

   

書いた、書いた、書いた、それでも薫は心に浮かぶ光景を表現することが出来なかった。カレンダーに印をつけた書道展の日を重圧に感じ、筆を持つことが苦痛になった。それでも薫は練習に励んだ。

 

-あの美しい月光を表現するには、今の私の技量では、駄目だ。練習せねば!-

-上手くならなければ!-

薫は祈るように練習に取り組んだ。

 

だが、書いても、書いても、薫の書は心のイメージから遠のくばかりだった。心に重い塊を抱えているようで、何をしても気が晴れなかった。

 

「薫、目の下に隈が出ているわよ。それになんだか頬がこけてきたわ。ちゃんと食事しているの?」と教室で出会った成田美緒が言った。

   

美緒は薫と同じ年だったが、母親が有名な書道家で書道教室を開いている。その関係で小学生の頃から書を学び、現在は、母の教室で子どもたちの書道指導にあたりながら、書道家を目指している。優秀な生徒だが、さっぱりした性格で、同じ年の薫とは自然に親しくなったのだ。

   

美緒に連れられて洗面所に行き、洗面所の鏡で自分の顔を見ると、確かに美緒の指摘通り、目の下には隈が出て、頬がこけていた。練習に夢中になるあまり、食事が面倒になることや、食べること自体を忘れていることすらあった。

   

薫と美緒が教室に戻ると、美緒はまた熱心に課題の練習に戻った。幼い頃から鍛錬を積み、書道展出展を何度も経験し、実力のある同じ年の美緒に、薫は劣等感と焦りを感じた。

   

一方、貴子は確実に練習し、着々と書展の準備をしている様子だった。

 

「ねえ薫、知ってる?貴子さんは自宅に書道専用の部屋を持っているのよ」

「え、そうなの!」

「それにね、貴子さんが生まれる前から貴子さんの家にお手伝いさんいてね。その人が貴子さんの美貌や才能に惚れ込んでいて、貴子さんの身の回りのお世話をしているんだって」

「なんだか小説のような世界ね」

「そのお手伝いさんが、貴子さんが書道に専念できるように書道練習の準備や片付けも全部しているんだって」

「どうしてそんなこと知っているの?」

「母から聞いちゃった。内緒にしてね」

 

と洗面所で美緒は内緒話をしたのだった。美緒の話では、貴子の父は会社の経営者で、書道に造詣が深く、若い頃は書道会「群青」の創立者から書を習っていた時代もあった。佐伯の才能を深く買っているらしかった。

 

そんな背景もあり、貴子は幼いころから自然に書道に親しみ、佐伯とも交流するようになったのだ。

 

薫が佐伯から李白の漢詩「静夜思」を課題として与えられたのに対し、仮名を好む貴子は短歌を選ぼうとしているようだった。

 

流れるように美しく、それでいて力強く張りのある貴子の作品を前にして、真剣に話し合う佐伯と貴子の姿は、一幅の絵のように美しかった。

 

書展に出す作品は表装に出さなければならない。表装に出す日が近づいて来たある日、離れで練習していた薫の集中力が、ついに途切れた。

 

-練習を止めたい。止めてどこかに逃げて行きたい!-

-こんなに苦しい思いをしてまで、なぜ書を書かなければならないの?-

-書展への出品を辞退しよう。こんなに苦労してきたけれど-涙が溢れた。

 

その時、自転車が停まる音がした。書道教室では最年少で高校3年生の陽(はる)が、離れにやって来た。差し入れを持って来たのだ。陽は散乱する書き損じを一枚手に取って言った。

 

「あれれ、薫さんらしさが全く感じられないよ~」

「・・・」

「俺はね『書が好きで好きでしかたがない』と言う薫さんの思いが溢れている、伸びやかで、爽やかな作品が好きなんだ。『失敗したらどうしよう』『書きたくない』と思いながら書いたら、身体が固くなって、書も萎縮しちゃうよ」

 

陽は、泣き顔の薫を見てハンカチを差し出した。

「薫さん、おにぎり食べない。いや、食べなさい!どうせ何にも食ってないんだろ?」

「うん・・・」

「俺、おにぎりでは高菜おにぎりが好きなんだ。美味しいよ。食べて」

 

陽はコンビニの袋から食べ物や飲み物を取り出し、高菜おにぎりを薫に勧めた。

 

薫は陽のくれた高菜おにぎりを一口食べると、またどっと涙が溢れた。陽の優しさも嬉しかったが、「薫さんの伸びやかで、爽やかな作品が好きだ」と言う陽の言葉が胸に染みた。

 

-私の作品でも好きだと言ってくれる人がいるのだ―

と思うと、心が温かくなった。

 

空腹で疲れきっていた薫には、高菜おにぎりは染み入るように美味しく感じた。おにぎりのかけらが胃に落ちていく度に力が湧くようだった。陽は、他のおにぎりも薫に勧め、薫は立て続けに3個ガツガツとおにぎりを食べた。

  

「もう大丈夫みたいだね」

と陽は笑いながら言った。陽の言葉とおにぎりで薫は気力を取り戻したのだった。

 

―私の心のイメージを今の私に出来る最善の技量で表そう。どんなに背伸びしても、私以上でも、私以下でもないもの-

 

あんなに重く苦しかった心が、いつの間にか晴れ渡っていた。久しぶりの感覚だった。

 

「薫さん、あんまり遅くなったらだめだよ」と言って陽は自転車で帰って行った。

 

薫は散乱する書き損じの紙を集め、周りを整頓し、書く準備をした。墨液も僅かになっていたので、硯をきれいにして、心を落ち着けるためにも墨を磨った。半切を下敷きの上に置き、筆に墨液を含ませて、書に臨んだ。心のイメージに集中し、筆を下ろした。筆が力強く、リズミカルに運んだ。

 

「脱皮」~オムニバス「薫」:その4~

「気づき」~オムニバス「薫」:その5~

「衝撃」~オムニバス「薫」:その6~

「オアシス」~オムニバス「薫」:その7~

    

作家:村川久夢

 

 

<関連記事>

*村川久夢著『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』1章無料公開中

*村川久夢プロフィール

*村川久夢著『大丈夫、きっと乗り越えられる~鬱・夫の死を克服した私からのエール~』

*村川久夢さんを知る!<突撃!注目の起業家インタビュー>

       

*----------*

【村川久夢ホームページ】

村川久夢著『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』✿

 

新著『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』は、村川久夢が「年だから」「今さら遅いから」など様々な心の制限を外し、他の誰かのためではなく、自分の心が望むことにしたがって生きるようになった軌跡を描きました。私が自分軸で生きられるようになった成長の課程を描いています。

  *電子書籍(Amazon Kindle「読み放題」に登録されている方は0円でご購読いただけます。一般価格は550円です)下記ボタンよりお申込み下さい。

*紙書籍は、¥880(送料¥180)です。下記ボタンよりお申し込み下さい。

 

*----------*

✿心の制限を外す講座✿

 心の制限を外せば、いろいろなことにチャレンジして、人生を楽しめるのです。「心の制限の正体とは何か?どうして心の制限を外すか?心の制限を外せばどんなことが起こるのか?」を9通のメールに込めた「心の制限を外す無料メール講座」を是非お読み下さい。

*----------*

*村川久夢ホームページトップには、新著『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』に頂いた感想を多数掲載しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA