共鳴~ピュアな男女の恋物語~

(1)

 「なんだか不思議ね・・・」

 

優子はつぶやいて、

手に取ったCDをそっと撫でた。

スピーカーから

柔らかい女性ボーカルのジャズが流れた。

 

気がついたら入り込まれ、

入り込んでいたわね」

 

今は遠く離れた浩次に語りかけた。

 

浩次は優子の住むK市を去る日の夜、

突然、優子のもとを訪れ、

ぶっきらぼうに言った。

 

「オレがここで聞いてた音楽、

優子にひきついでほしいんだ」

 

不要物でも押し付けるかのように、

100枚近いCDが入った箱を

浩次は優子に差し出した。

 

「今夜の夜行バスで行くよ。

よっぽど気が向いたらまた来るよ、

またな」

 

優子の胸に箱を押し付けると、

浩次は振り返らずに去って行った。

 

「ありがとう」と声に出しかけて黙った。

わかっていた。

「ありがとう」と言えば、

「礼はいらない。

したくてやってるだけだから」

浩次は言うに決まっている。

 

「あなたはいつもそうね。

突然に飛び込んで来て、

そうして突然に去って行くのね」

一度も振り返らず歩く浩次の後姿に

心の中で話しかけた。

 

柔らかな女性ボーカルが心に染み入った。

 

「でもどうして飛び込んで来たりするの!

ガードを高くしてたのに!

どうして私に

閉ざした心を開いたりするの!

「どうして!!」

とだけ声に出してつぶやいて目を閉じた。

 

目を閉ざすと音の世界が広がった。

浩次が優子をいざなった音の世界。

 

音楽に心を傾けると

波立った気持ちが静まった。

柔らかいボーカルの彼方から、

浩次の後姿が浮かんだ。

 

距離も時間も音の世界に解けていった。

その時、優子は自分の魂が浩次の魂と

触れ合っているのを感じた。

 

 

(2)

「むこうでは、しばらくの間、

ネットはつながらない環境だから、

何かあったら連絡はここにして」

 

と言って携帯番号と携帯アドレスだけを

浩次は残して行ったが、

転勤後、一週間経っても二週間経っても、

1ヶ月経っても浩次から連絡がなかった。

親しい友人の電話にも応答しなかった。

 

さして親しいわけでもなく、

差し迫った用事もない優子は、

ためらった末、

浩次の近況を尋ねるメールを送った。

庭に咲いた花の写真と

簡単な近況を書きそえたメールなど、

当たり障りないメールを数回送った。

 

やはり、優子のメールにも返信は来なかった。

知人の一人に過ぎない優子にできることは、

当たり障りのない一方通行のメールを

送ることだけだった。

 

今さらながら優子は、

浩次のことをほとんど知らないことに

気がついた。

知っているのは浩次が音楽に造詣が深く、

それでいてそれを鼻にかけるでもなく、

優子が可笑しな質問をしても、

むしろ自分でもその疑問を楽しむよう

にいろんな話をしてくれた。

いつも洗練された良い曲を紹介してくれた。

 

音楽の話の合間には、

浩次がエンジニアとして勤務した

外国での生活やそこでの失敗談、

時には上司の愚痴話が出ることもあった。

 

しかし世間知らずの優子には、

何度教えてもらっても、

浩次の仕事がよくわからなかった。

 

「エンジニアって

メールも出来ないほど忙しいの…?」

家事を済ませ、

アンプやスピーカーのある部屋に入ると

そんな独り言が出た。

 

このアンプとスピーカーも

浩次が譲ってセッティングしてくれた。

 

少し拗ねたような気持ちで、

浩次のくれたCDを

人差し指で一枚ずつ撫でた。

浩次のお気に入りの一枚を取り出した。

浩次と自分を隔てる距離が、

どうしようもなく寂く感じた。

 

音が一番きれいに聞こえると

浩次が教えてくれた

ポジションに据えたカウチに身をゆだねて

音楽を聞いた。

 

しばらくして、

はっとしたように優子は身を起こして

音楽に聞き入った。

 

「違う!いつもと何か違う!全然違う!」

 

今までは、

一つの音の塊にしか聞こえなかった音が、

楽器ごとに力強く、

あるいは繊細に聞こえてくる。

 

「深い音色、軽い音色、音楽にも陰影が

あるのね」

 

その時、音楽の陰影と

優子の寂しさとが共鳴しているのを感じ、

興奮を覚えた。

 

「このアルバムには影があるよ」

と言った浩次の言葉もよみがえった。

この興奮を浩次に伝えたかった。

 

玄関先でスニーカーに履き替えて、

浩次のアパートに駆け出そうとして、

浩次がもうそこにいないことに気がついた。

 

それでも優子は、

浩次のいたアパートに向かった。

浩次のいたフロアーの壁にもたれて、

メールでできる限りを伝えようとした。
思いの半分も書けないメールを

書き終えると送信ボタンを押そうとする

指が止まった。

 

「バカみたいね私、

恋人でも、夫婦でもないのに」

 

しばらくの間、

浩次が毎日見ていただろう夜景を眺めて、

親指でしっかりと送信ボタンを押し、

電源も切った。

 

「確かめなくともわかっているじゃない。

浩次もきっと私がわかったこと、

わかってくれてるわ」

 

(3)

その日、携帯の電源は入れないで眠った。

 

翌朝、電源を入れたが、

浩次からの返信はなかった。

 

「当たり前よね、

私はただの知り合いだもの…」

 

ベッドサイドに携帯を置くと、

ベッドカバーを勢いよく外し、

寝具やパジャマ等を抱えて寝室を出た。

洗濯機に洗濯物をセットすると、

洗面所やベランダの窓を開け放した。

掃除機を隅々までかけ、

床は雑巾を絞って水拭きした。

額には汗が滲んだ。

 

「私は、ただアンプやスピーカー、

CDをもらっただけなの、もう忘れよう!」

 

もう何度も繰り返した言葉を繰り返し、

洗濯物を干し始めた。

 

洗濯を終えると、

趣味の手芸材料が入った箱を開いた。

箱にはリメイクに使えそうな

洗濯済みの古布が、

きれいにたたんで並べられていた。

 

緑のギンガムチェックの布を選び、

同じ箱からネコの小さなぬいぐるみの

型紙を出して、

緑のギンガムの布を裁断し始めた。

裁断が終わるとピースを縫い始めた。

 

一針一針集中して縫いながら、

優子は製作途中の人形に話かけた。

 

「ねえ浩次君、

なぜ私にアンプやスピーカーをくれたの?

なぜお気に入りのCDを私にくれたの?

なぜ何も言ってくれないの?

あなたは本当に気まぐれで自分勝手ね」

 

テーブルの上に、

出来上がった人形のパーツをならべ、

パーツを確認すると袋に入れ、

手芸道具と一緒に箱に片付けた。

 

夕食どきが迫っていた。

優子は台所に立ち、エプロンをつけ、

手を洗い 調理台に肉や野菜をならべると、

手際よく野菜を洗い、根菜類の皮をむき、

材料を切った。

鍋に材料や調味料を入れ調理すると

いつもの優子の味になった。

 

「夫の食事を用意しながら、

私はずっと一人の男のことを考えている」

優子は途方もない悪企みをしているような

居心地の悪さを感じた。

 

 

(4)

翌日、朝の家事を終えると、

パーツをつなぐだけになった

ネコのぬいぐるみのパーツを

念入りにつないだ。

 

ネコ好きの優子は、

ネコのアレンジをした雑貨をよく作った。

作り方は雑誌などを参考にしたが、

作り方通り作ったことはなく、

優子なりのアレンジを加えた。

 

優子の作るネコ雑貨は、

何か悪さでも企んでいそうな、

いたずらぽい表情をしていた。

緑のギンガムのネコも上目づかいで

不満げな表情に仕上がった。

 

「何か文句あるの、浩次君?」

とネコの頭を軽く小突いて、

ベッドサイドのチェストの上に置いた。

 

優子は、人あたりがよく、

大抵のことはそつなくこなした。

家事・家計全般、親戚・近所の付き合い、

半年前まで務めていた会社でも

目立たなかったが、

仕事ができない方ではなかった。

 

子どももなく好きなネコを飼い、

手芸やガーデニングに精を出す優子は、

有閑マダム風に見えるらしかった。

 

しかし、生真面目で完璧症ともいえる

几帳面な性格や、人間関係の摩擦を避け

溜め込んだストレスは、

気づかぬうちに優子の心を蝕んでいた。

表向きは自律神経失調症だったが、

優子はうつ病を患って休職していた。

 

浩次のことも、

自分の心の病による執着ではないかという

不安も打ち消せなかった。

 

数日間、優子は携帯をベッドサイドに

置きっぱなしにした。

オーディオセットやCDを見ることも避けた。

 

そんな夜、入浴を終え、

ベッドに横になって寛いでいると

月の光が美しく見えた。

窓辺に移り、

久しぶりに夜空をしみじみ眺めた。

 

「月が美しい夜は、このアルバムが良いよ」

という浩次の言葉と曲が耳に蘇った。

 

浩次との距離が

どうしようもなく腹だしく悲しかった。

 

その時、携帯メールの着信音がなった。

 

「メッセージありがとう。

ろくに返事出来なくてごめんね。

こっちもいろいろあってさ。

ところで、あの曲は確かに影があるね。

わかるようになったんだね、

優子も耳が肥えて来たんだ。

いっぱい聞くといいよ。じゃあ、またね」

浩次からだった。

 

「本当に勝手なんだから、

浩次にとって私って一体なんなの?」

と泣き笑いのような表情をして、

緑のギンガムのネコに言った。

 

「そんなこともわからないのかよ~」

上目遣いのぬいぐるみのネコの目が、

そう言っているような気がした。

 

 

(5)

「今度いっしょに食事しない?

無理することないけど、

たまには外で食事もいいかもよ。

哲也や典子も来るから来ない?」

 

電話は佳織からだった。

 

佳織・哲也・優子は、

浩次の昔からの知り合いだった。

浩次を通して優子も仲良くなった。

 

「そうね。行ってみようかな?」

 

「その日に調子悪かったら

言ってくれたらいいからね、

じゃあまた連絡するね」

 

心を患って以来、

優子はめったに外出しなくなった。

外食も今ひとつ気が進まなかったが、

付き合いの長い彼らなら、

転勤後の浩次のことを

何か知っているのではないか

と言う期待が優子の背中を押した。

 

「だいたい浩次は水くさいんだよ!

電話は無理でも

メールの返事くらいできるだろう!」

哲也は不満げに言うとワイングラスを傾けた。

 

「昔から浩次はそういうとこあったね。

なんて言うのかな~?

人に対して壁を作るって言うか…」

典子も哲也に同調した。

 

「なんせ繊細な男だからね~

まあ、何かあったら連絡来るよ!

まあいいじゃん、飲もうよ~!」

酒豪の佳織は一気にワインを飲み干した。

 

「ねえ、また女かな? 浩次って恋すると

他は何も見えなくなるでしょ!?」

 

「やめなよ典子!いない人の噂話は!」

 

「でも、前の彼女の時も大変だったじゃん。

すっかりのぼせちゃって、

俺は本当の愛を初めて知ったとか、

そんで、結局分かれちゃって…」

 

「まあ、確かに浩次は、恋多き男よね。

でも、あんなに気難しくて

繊細な男と付き合う女も大変よね~」

 

「親友だ!親友だ!って言うなら

もっと心開いてほしいよな~!」

と哲也はまだ不満げな表情だった。

 

三人の会話を聞きながら、

優子は複雑な気分になった。

浩次に離婚歴があることも、

その後の恋愛がうまく行かなかったことも

浩次から聞いていたが、

詳しい事情は知らなかった。

 

またこの雰囲気の中では、

浩次からメールが来たことを

言い出しそびれた。

 

店を出て一人になると

久しぶりに人中に出た緊張がほぐれ、

ワインの酔いがまわり始めた。

 

浩次が「初めて愛を知った。」

と感じた女性に微かに嫉妬心を抱いた。

 

「優ちゃん!」

いつの間にか佳織が肩を並べていた。

 

「優ちゃん、

最近、浩次と仲良くしてるんでしょ?」

「…」

「浩次はいい奴だよ。

私も浩次好きだし、

浩次のこと悪く言いたくないけど、

浩次は危ない男だよ。

浩次とは長いつきあいで、

いろいろ見てきたけど、

浩次は今の優ちゃんみたいに、

ちょっと弱っている女の人を

ほうっておけないの。

 

それで最後までうまく行けば良いけど、

大抵うまくいかないの…

突然、急に音信不通になっちゃったり、

気がついたら、

別な女の子と仲良くなっていたり。

そうなったら、どうする?

優ちゃんの今の精神状態にはきつくない?

だからお願い、

大人の女として賢く付き合ってね。

嫌なこと言ってごめんね。

浩次のことで優ちゃんに忠告するのは、

これが最後だからね。じゃあ、おやすみ~」

佳織は足早に去って行った。

 

 

(最終章)

家に着くとオーディオの部屋に行き、

チェロオムニバスを出して聞いた。

 

浩次がアンプやスピーカーを譲ってくれ、

セッティングしてくれた時、

初めて一緒に聞いたアルバムだった。

 

まだ少し酔いのまわっている耳に

チェロの響きが快く、

熱心にセッティングする

浩次の姿がよみがえった。

 

浩次からオーディオセットを譲ってもらうまで、

優子はラジカセで音楽を聞いていた。

 

オーディオセットで音楽を聞くのは、

浩次がセッティングしてくれた

その時が初めてだった。

 

浩次が選んでくれた

チェロオムニバスのCDを一緒に聞いた。

ピアソラ、タイスの瞑想曲と

アルバムに聞き入るうちに、

優子は自分が陶酔して行くのを実感した。

 

ドボルザークのチェロ協奏曲の演奏が

終わった時、浩次からも優子からも

同時に深い感嘆が出た。

 

浩次も優子も高揚した顔つきをしていた。

 

至福の時を分かち合えた気がした。

何物にも変えることができない、

至福の時だった。

 

あの高揚を思い出しながら、

なぜか、学生時代に音叉を使って、

共鳴の実験をしたことを思い出した。

振動数の等しい二つの音叉の

一方を叩いて鳴らせば、

他方も激しく鳴りはじめたことを。

 

「あの時、心が共鳴したのね」

 

至福のひと時を分かちあった。

それだけで良いではないか。

 

今更、浩次の過去の恋愛やその破綻を

聞いたところで、

 

何をうろたえることがあるだろ。

 

そして、至福のひと時を

分かちあったからと言って、

浩次との関係に

何の保障を得たわけでもない。

 

優子は自分が再び浩次に会えない運命に

あるような気がした。

たとえ会うことがあったとしても

至福の時間を分かちあうことは

もうないだろうと思った。

 

あの日と同じドボルザークの曲を

一人聞きながら、心と心が共鳴するのは、

生涯にただ一度なのだと思った。

 

・・・・・・(完)・・・・・・