春の別れ

 

(一)視線

 

大祐の視線が気になりだしたのは、

いつの頃からだろう。授業をしていると、

大祐とよく目があった。もともと授業態度も

よく、真面目な大祐は真剣な目をしていた。

しかし、いつからか私はその視線の強さに

戸惑うことが多くなった。

 

大祐は小学生の頃から指導力のある生徒

として評判が高かった。大柄で鼻筋の通った

端正な顔つきで、態度もきびきびしていた。

授業態度も真面目で成績も良かった。

責任感も強く、まわりの生徒からも一目

置かれていた。しかし、私はお行儀のいい

面白みのない優等生の大祐が初めは

あまり好きではなかった。

 

その頃の私は教師生活も五年目を迎え、

だんだん教師という仕事が面白くなって

来た頃だった。特に生徒会活動が活発な

大祐たちの中学校に赴任し生徒会の

担当になってからは、生徒会活動が

面白くて仕方がなかった。

 

一つの行事を企画し、それを実現して行く。

その過程で、失敗し、苦労し、それでも

やり遂げる喜びを知った生徒は行事の度に

自信をつけ大きくなって行った。生徒と共に

何かを創りだす喜びは何物にも代えがたい

ものだった。私は生徒会活動に夢中に

なっていた。

 

ところが、小学生の頃から指導力のある

生徒として期待を掛けられ過ぎて来たのか

中学生になった大祐は、学校行事や生徒会

活動には冷ややかな目を向け、十分に

その力を持ちながら、生徒会活動の中心に

なることを避け続けた。そして生徒会担当の

私の期待に答えてくれなかった。

 

私は大祐にも自分たちの手で何かを作り

上げて行く喜びを知って欲しかった。

小さな力が結集した時にどんなに大きな力

になるか、人間が本気を出して物事に

取り組んだ時、どんなに凄い力が出るか

と言うことを大祐に知って欲しいと思った。

 

しかし、どれほど説得しても彼は生徒会行事

の中心になることを拒み続けた。その力を

十分に発揮しないまま、自分のことしか

考えない、勉強だけ出来る生徒になるの

だろうか?その頃、私はそんな大祐に腹立ち

すら覚えていた。

 

大祐もそんな私に反発を覚えていたのか、

所属するバスケ部の活動に熱中していた。

ただ、何か引っ掛かるものがあるのか、

私たちのすることを心から無視することは

出来ない様子だった。私は彼の少しくすんだ

元気のない表情が気になった。

 

私はそれでも次々と新しい企画を立て、

忙しい充実した毎日を送っていた。

 

 

(二)抜け殻

 

大祐たちが二年生の春休みを迎えた頃、

私はふと考え込むようになった。確かに、

生徒と何かを創りだすことは喜びであり

やり甲斐だった。生徒も大きく成長した。

でも、私はどうなのだろう?生徒会活動に

追われ、家と学校の往復、家に帰ってくると

クタクタで毎日が雪崩のように過ぎて行く。

自分を振り返る暇も、なりふりかまう余裕も

なかった。私はどんな風に変わったのだろう?

成長したのだろう?そう考えると漠然とした

不安を覚えた。

 

私はその頃、恋愛問題でも悩んでいた。

その頃付き合っていた男性は私のそんな

思いを分かってくれなかった。

 

「どうして波風立ててまで新しい事が

したいのか僕にはわからないよ。自分の

仕事を適当にやればいいんだよ。

平穏に楽しく暮らすのが一番だよ。

真面目なんてクソ食らえだよ」

 

私の悩みを聞いた彼は

吐き捨てるように言った。

 

彼が自分を理解してくれると信じたかった。

でも、私は以前から薄々彼と自分の生き方が

全く違う事を感じていた。そして、彼からの

連絡は次第に遠のいた。

 

「君には俺よりもっとしっかりした人が

ふさわしいよ。重いんだよ、君が!」

 

そんな言葉を残して、彼はお人形のように

愛らしく美しい女性に夢中になり、私から

遠ざかっていった。

 

大祐たちが三年生になり、私は生徒会担当

から離れた。自分の生き方に自信が持てなく

なったのだ。何か新しい事をしようという

気力が起こらなかった。

「今まで私がして

来たことは何だったのだろう?」

そんな疑問でいっぱいになった。

 

思春期と言う難しい時期の生徒の指導、

教科指導、クラス経営、私は心に重い鉛を

抱いて毎日を送っていた。出来ることなら

何もかも放り出して、何処かへ逃げて

行きたかった。私は自分が抜け殻になった

ように感じた。かろうじて自分の責任だけを

果たしていた。そんな私の思いを知ってか

知らずか、三年生の私のクラスの生徒は私に

なかなか馴染んではくれなかった。

 

私がすべてに無気力になり、虚無感に

悩まされていた頃、三年生になった大祐は

生徒総会の議長に立候補した。

 

 

(三)少年期の終焉

 

大祐は連日遅くまで学校に残り、生徒会の

本部役員と協力し生徒総会の準備を

進めた。そんな大祐が嬉しかった。

大祐は立派に生徒総会の議長を務めた。

 

議長の大任を果たして自信をつけたのか、

彼は次々と学校行事の中心になり活躍した。

 

彼にとって最後になる学校祭では応援団の

団長を務めた。自発的に立候補し、心から

楽しそうに練習を重ねていた。放課後、

遅くまで練習をし、その後も新しい手拍子や

振付けを団のリーダーと一緒に考えていた。

体育祭が近づくと、彼は早朝練習を申し出、

朝早くから応援の大太鼓の響きが聞かれる

ようになった。

 

体育祭当日、応援団長の黄色い鉢巻と襷を

付け、黄色組応援団を率いて応援する

大祐は生き生きと輝いていた。

 

中学三年生の男の子には少年期の終焉に

ふさわしい美しさがある。

一年生や二年生では幼すぎ、

高校生になると大人びてしまう。

ほんの一時期、

生き生きと輝いている少年にだけある

移ろいやすい美しさだ。

その時の大祐にはそんな美しさがあった。

 

私は充実した中学校生活を送り、無限の

可能性を秘めている大祐に羨望を覚えた。

この少年は何に心奪われ、どんな少女に

恋をするのだろう。その幻の美少女に

私は軽い嫉妬心を覚えた。

 

修学旅行、学校祭、三年生の大きな行事を

終え、進路決定をするころから、大祐は

よくとりとめのないことで私のところへ

話しに来るようになった。

 

一年生の頃から教えている大祐は、急に

元気のなくなった私の変化に気付いていた

のだろうか、あるいは、大きな行事の中心的

役割を果たした自信からか、今までにない

人懐っこさで私に接するようになった。

 

それまでは真面目一方で、私がつまらない

冗談を言うと軽蔑したような目で私を見て、

無視していた大祐が昼食時間や放課後、

私が教室に残っていると

しょっちゅうやって来ては

他愛のない話をするようになっていた。

 

 

(四)教室掃除

 

ある日、掃除当番の生徒が掃除をさぼり、

荒れ果てた教室で私は惨めな思いを

抑えきれずにいた。さりとて、職員室に戻る

気にもなれず、私は教室の教卓に向かって

ぼんやりしていた。

 

「先生、どうしたの?

当番のヤツ帰ったの?」

と言いながら大祐と彼の友人数人が

教室に入って来た。

「しょうがないな~生徒に掃除一つ

させられないんだから~」

と大祐は冗談めかして言った。

「そうね、明日させるから、

そのままにしておいて」

と私は言ったが、

「でも、このままで放っておくのは

教育上よろしくないよ。

僕らがしてあげるよ」

と言って大祐は譲らなかった。

「いいのよ、そのままにしておいて」

と私は重ねて言った。

「しかたがないな」

と口では言いながら大祐はほうきを持って、

掃除を始めた。

 

大祐が掃除を始めると、彼の友人も、

と言っても大祐に一目置いている彼の

子分のような存在なのだが掃除を始めた。

 

私がいくら「いいのよ…」と言っても彼らは

掃除を止めなかった。自分のクラスでさえ

こうも熱心にしないのではないかと思うほど

丁寧に掃除をしてゴミ捨て場までゴミを

捨てに行ってくれた。

 

私は大祐の優しさがうれしかったけれど、

生徒に掃除一つさせられない指導力のない

自分がよけいに情けなくなった。

 

「うちの生徒が掃除をサボって困っていたら

大祐君たちが掃除してくれました」

と大祐の担任の先生に報告すると、

「あいつらみんな、千葉先生に惚れている

からな~」と言って、大祐の担任は笑った。

私も適当に笑ってその場を繕ったが、

大祐の目が妙に真剣だったことが

思い出されて気になった。

 

その頃から大祐の視線が気になり始めた。

 

それまでは単に授業に熱心なのだと思って

気にも止めずにいたのだが、意識をしだすと

確かに大祐とよく目があった。授業中、特に

大祐を見ようとしているのではないのに、

前を向くと大祐と目が合う廊下ですれ違うと

必ず大祐は私と言葉を交わそうとした。

大祐の何かを訴えるような視線に出会うと、

私は戸惑ったような気分になった。

 

-そんなことはない!気のせいだ!-

自分に言い聞かせる自分が可笑しかった。

 

しかし、何もかもに自信を失い、誰からも

拒まれているように感じていた私にとって、

大祐の強い視線が私を力づけていうように

感じ、心が温かくなるように感じているのも

事実だった。私の中で急に大祐の存在が

大きくなった。

 

「大祐君、職員室に入ってくると千葉先生を

目で探しているわね。すぐにわかる」

と冬休みも終わった一月のある日、

隣の席の先生に言われた。

 

その頃には、私は大祐の目を見ることが

出来なくなっていた。大祐を意識するように

なってしまったからだ。自然な態度を取ろう

といつも努力し、それでいて

大祐から目が離せなくなっていた。

 

私にとって大祐のその眼差しが心の支え

だった。私は大祐のクラスに教えに行くと、

大祐を見ないようにした。大祐や他の生徒に

私の心の動揺を見抜かれるのではないかと

不安になって来たからだ。

 

 

(五)私立入試

 

私立高校の試験が近づくと、大祐は私と

話すことを避けるようになった。それでいて

誰かの肩越しや、物陰から彼の強い視線を

感じた。そっと大祐に目を向けると

一瞬目が合い、慌てて視線を逸らせ俯向いた

彼の顔が目に入った。妙に思いつめた横顔が

目についた。何かに思い悩んでいるような

怒ったような真剣な表情ははっとするほど

美しかった。

 

いよいよ、私立高校入試が翌日に迫った。

私立入試の事前指導のために体育館に

受験者が集合したが、私は大祐に何も

言わなかった。冷たい体育館の床の上に胡座

をかき背筋を真っ直ぐに伸ばし、目を閉じて

説明を聞く大祐にはお座成りな言葉を

かけさせない厳しさが漂っていた。

その端正な横顔は修行僧のような

厳粛な美しさがあった。

彼は私から言葉をかけられることを

避けるように早々と家に帰って行った。

その頑なさを大祐らしいと感じた。

 

試験日はみぞれの混じる寒い日だった。

 

何人かの生徒は試験の様子を学校まで

報告に来た。大祐と同じ学校を受けた生徒も

何人かやって来た。試験はかなり難しく、

誰もが苦戦している様子だった。

 

大祐は来ないだろう。例えどれほど試験の

出来が悪く不安であったとしても、彼は

来ないだろうと思った。色白の顔を蒼白にし

重い表情で帰宅する大祐の様子が目に

浮かぶようだった。私は仕事に気持ちを向け

大祐のことを考えないようにした。

 

大祐や多くの生徒のいない私立入試の

二日間身体の半分を持って行かれたように

寂しかった。緊張した表情で試験を受けて

いる大祐たちの顔が何度も浮かんだ。

この三年間、いつも一緒にいた大祐たちが

私のもとを離れて歩き出そうとしている。

ただの心配ではない、寂しさの入り混じった

複雑な感情だった。

 

私は早く大祐に会いたかった。

 

当たり前のように過ごしていた昨日までの

日々が、急に貴重に感じられた。そして、

改めて振り返ってみると、三年間も大祐を

教えていながら、彼のことを案外何も

知らないことにも気づいた。

 

試験が終わっても、大祐は私のところには

来なかった。彼の表情や他の生徒の話から

彼の試験の出来があまり良くなかったことが

察せられた。おそらく内心は誰かに励まして

ほしいに違いなかった。しかし、彼は意地を

張り続けた。私に甘えないことで私と対等の

立場にいようとしているかのようだった。

 

 

(六)通せんぼ

 

発表の日が来た。私立の中でも難関である

といわれている進学校を二校受験した大祐は

不合格であろう結果を見に行った。

 

職員室で仕事をしていると次々生徒から

連絡の電話がかかってきた。自分のクラス

の生徒からの電話を待ちながら、私は大祐の

ことを思った。クラスの生徒からの連絡が

一通りあってからも、私は職員室で仕事を

続けた。大祐からの連絡を私にかかってくる

わけではない電話を待ち続けた。

一校目の発表の後、二校目の発表を

見に行った大祐からの連絡は

他の生徒より遅かった。

 

大祐は二校とも不合格だった。

 

暗い表情で帰って来る大祐にひと目会って

一言でいい言葉をかけたかった。それでも

大祐は学校には来なかった。

 

私は帰り支度をした。七時近かった。何度も

何度も暗い表情の大祐の顔が心に浮かんだ。

 

「大祐の意地っ張り!馬鹿ね!」

 

そこにはいない大祐が

そこにいるかのように呟いた。

 

偶然にも、翌日の一時間目の授業は

大祐のクラスだった。

 

「昨日は発表でした。合格した人おめでとう

ございます。残念ながら不合格だった人に

一言いいたいと思います。

私は高校は幸い志望校に合格しました。

でも教員採用試験を受けた時、

同じように教師を目指して一緒に

勉強していた仲間の中で私だけが

不合格だったことがありました。

その時はとても辛く

苦しかったけれど、でもそこから立ち直って

次の第一歩を踏み出した時、ストレートに

合格した人とは違った貴重な経験をしたと

思いました。そして自分がそれまでより強く

なったと感じました。挫折は確かに辛いこと

です。でも一生懸命やって駄目だった時、

挫けない強さを持っていることがとても大切

であることを知って下さい。負けた兵士は

強くなると言います。どうかその経験を

大切にして下さい。では授業に入ります。」

 

私が話しをしている間、大祐は俯いていた。

大祐が私の言葉をどのように受けとめたか

私にはわからなかった。でも、私は心から

大祐にそう言いたかった。

大祐が私に甘えることを避けることで

成長しようとしているなら

私はこういう形で大祐に応えたかった。

 

その日、会議を終え人影のなくなった階段を

歩いていると、偶然に大祐たちに出会った。

その時、大祐は素直に嬉しそうな顔をした。

そして、両手を広げて通せんぼし

私を遮った。

 

「何してるの大祐君?」

 

私が立ち止まると、大祐は昔のように無邪気

に笑い「さよなら」と言って帰って行った。

 

私は大祐のうれしそうな横顔を

何度も思い浮かべた。

 

 

(七)カチューシャ

 

毎日が慌ただしく過ぎて行った。私立高校

入試が済むとすぐに公立高校の受験手続が

始まった。私は神経を尖らせいつも緊張

していた。連日、会議がもたれ遅くまで準備

作業に追われた。

 

そして、公立高校の願書出願も無事に

終わった。

 

久しぶりに明るい内に校門を出ることが

出来たその日、私はデパートに寄って、

卒業式に着る洋服を探した。淡いピンクの

スーツを買った。

 

雑貨売場には流行しているカチューシャが

たくさん並んでいた。私は立ち止まり、

白いカチューシャを手に取った。

白いカチューシャを付けた私は、

少女のようにあどけなく見えた。

 

翌日、私はその白いカチューシャをつけ、

ベージュのフレアースカートを着た。

そのスタイルが私を少女のように

見せることを知っていたからだ。

でも若く見えれば見えるほど、

私は実際の年齢とのギャップを感じ

落ち着かなかった。

特に白いカチューシャを

取ってしまいたかった。

 

その落ち着かなさと裏腹に、私には大祐に

その姿を見て欲しい気持ちが強くあった。

 

普段の私の印象と違っているのか何人もの

生徒から、

「先生、可愛い!どうして今日はそんなに

若い格好をしているの?」

と言われた。その度に重大な落ち度を

指摘されているような苦痛を感じた。

妙に後ろめたい気持ちだった。

 

しかし、大祐はなかなか私の前に現れ

なかった。授業が終わり掃除が終わっても、

大祐は私の前に現れなかった。

 

-絶対に来る-

 

なぜか確信があった。私は教室を離れずに

いた。クラスの生徒は帰ってしまったが

私は待った。

 

「先生!今日は若いヘアスタイルを

していますね。」

 

大祐は突然教室に現われ、

ふざけたふりをしてそう言った。

 

「年がいもなく若い格好しているなって

自分でも思うわ」

 

私が笑って言うと

大祐はやっと私の方に向きを変えた。

そして上気した顔で思い切ったように

私に視線を向けた。

 

「すごく良く似合ってる」

大祐は赤くなりながらそう言った。

 

私は自分の心を

見抜かれたのではないかと思った。

 

それにしても、大祐はなんと綺麗な顔を

しているのだろう。

 

男にしておくのがもったいない色白、

大きな目、彫りが深く美貌の少年と

呼ぶにふさわしい整った顔をしている。

 

顔立ちは女性のように美しいが、

体格は大柄でガッチリしている。

 

しかし何より整った顔立ちだけではない、

さわると手の切れそうな張り詰めた

きらめくような美しさが

その時の大祐から溢れていた。

 

私は10代の少女ではない、美しくもない、

それでも大祐が私に惹かれるとすれば、

彼が年齢や立場を越えた人間的な

何かで私に共感や愛情を

感じているのだと私は思った。

 

私に反発し私を無視していた大祐が、

私の生き様や私の彼への期待を

分かってくれたのだろうか?

 

あの幼かった大祐が

十五才も年上の私を戸惑わせ切ない思いを

させるようになった。

そんな大祐が私に愛情を感じているならば、

それはなんと光栄なことだろう。

 

大祐と同じ年になり大祐の気持ちに

応えられる立場ならどんなにいいだろう。

気後れや後ろめたさもなく、

その胸に抱かれることができたら

どんなにいいだろうと思った。

 

はっきりと大祐に愛情を感じた。

 

「ありがとう。うれしいわ」

 

大祐は私の気持ちを察したのだろうか、

うれしさと戸惑いの入り交じった顔をした。

 

「でも、いくら若く見えても

三十は三十だもんね」

 

私は大祐から視線を外してそう言った。

 

「でも、すごく若く見える」

 

少し寂しそうに言うと、

大祐は教室から出て行った。

 

その後、大祐は私の教室の前で

いつまでも友だちと

取っ組み合いをしてふざけていた。

私は笑いながらそれを見ていた。

 

 

(八)自信

 

その日以後、大祐の表情から思い詰めた

暗さや悲壮感が消え大祐は意地を張らなく

なった。私立の志望校が二校とも不合格で

あったことは、今まで優等生と見られてきた

大祐にとってかなりショックであったに違い

ない、しかし大祐はそんな素振りを見せず、

次の目標に向かって淡々と勉強を続けた。

 

私は大祐との残り少ない日々を大切にしたい

と思った。そして大祐たちに自分の持てる

力の全てを注いでやりたかった。私には

大祐と過ごす残り少ない日々が何物にも

代えがたい貴重なものに思えた。

 

公立高校の試験前日、大祐は素直に私の

ところにやって来た。

 

「先生、今から下見に行って来る。

今度は頑張るよ」

「頑張ってね」

「先生はいいな。もう試験なんてないから」

「そうね」

「だって三十だもんな」

大祐はそれだけ言うと帰って行った。

その夜、私は高熱を出した。

インフルエンザに罹ったのだ。

熱に浮かされながら

大祐たちのことを思った。

 

公立高校の試験が終わった。

 

しばらく私は寝込んだ。なんとか起きられる

ようになり学校に行くと、

「千葉先生、風邪の具合はどうですか?」

と言って大祐がやって来た。

 

自分が守ってやらねばならない者を

労るような頼もしさで言った。

その大祐の様子から、

自信を取り戻したことが感じられた。

 

自信を取り戻し試験の緊張から解き放された

大祐は卒業行事に熱心に取り組んだ。

私も最後の通知票つけ、卒業式練習、答辞

の指導など、仕事に目を向け、もうすぐ大祐

たちが居なくなるのだということを忘れよう

とした。

 

卒業式前日、

今度は大祐がインフルエンザに罹った。

 

私は答辞の仕上げに心を向け、大祐のことを

考えないようにした。しかし、大祐たちと

過ごした三年間の思い出が次から次に心に

浮かび、答辞はなかなかまとまらなかった。

何かと闘うような気持ちで答辞を仕上げた。

 

やっと答辞ができ、職員室に戻ると、大祐の

担任の先生が大祐の様子を聞くために、彼の

家に電話をしているところだった。

 

「ああ、そうですか、

そんなにお悪いようでしたら、

あまり無理なさらないで下さい」

と言って彼女は受話器を置いた。

「大祐、39度も熱を出して、

今、点滴しているんだけど

熱が下がらないらしいわ。

明日は無理かな。

可哀想ね。こんな日に」と言った。

 

私は黙って職員室を出た。雪が舞っていた。

 

-大祐は来る。這ってでも来る-

 

熱に浮かされている大祐の様子が目に

浮かぶようだった。

私は何も考えないようにして

事務的に翌日の用意をした。

 

 

(最終章)卒業

 

私はピンクのスーツを着て丁寧に化粧をし

登校した。できるだけ大祐のことを考えない

ようにいつも通りに振る舞おうとした。

 

最後の出席を取るために教室に向かった。

出席を取り、クラスの生徒を廊下に並べ、

卒業生の召集場所に向かった。

 

召集場所に行き、

改めてクラスの生徒を整列させた。

また雪がちらつき始めた。

私は大祐を目で捜したけれど、

黒い制服の群れの中で

なかなか大祐を見つけられなかった。

 

大祐は蒼白の顔をして

夢遊病者のように立っていた。

立っているのがやっとのようで、

とても言葉をかけられる様子ではなかった。

 

卒業生入場のサインが出た。クラスの生徒を

先導して拍手の中を会場に入った。生徒を

着席させ自分も職員席に着き、卒業生全員が

着席した。一同に会した生徒を見て

 

-ああ、ついにその日が来たのだ-

と思った。

 

卒業証書授与。私は自分のクラスの生徒の

名前を一人一人読み上げた。

 

コールを終えて席に着いた私の前を通って、

大祐は卒業証書を取りに行った。雲の上を

歩いているような頼りない足取りだった。

それでも大祐はきりっとした顔つきだった。

私を一瞥すらしなかった。

 

卒業式は無事に終わった。

 

拍手に送られて卒業生が会場を出た。

ブラスバンドの演奏に送られて校庭に出ると

女の子たちが泣き出した。生徒に囲まれ、

私は握手をしたり、言葉をかけられたり、

一緒に写真を撮ったりしていた。

 

大祐は校庭の隅で友だち数人と一緒に

立ちすくんで私に近づいては来なかった。

 

-馬鹿ね、また意地張ってる-

私は大祐たちの所に歩いて行った。

 

「おめでとう。いよいよ卒業ね」

と私が声をかけると、

「お世話になりました」

「ありがとうございました」

と大祐の友人たちは口々に行った。

 

「千葉先生と会うのも今日が最後ですね」

と大祐がポツリと言った。

「そんな永遠の別れみたいに、いつでも

中学校に来て。みんなを待っているわ」

と私はわざと明るく言った。

「千葉先生は来年もまだこの学校にいるん

でしょ?」と誰かが尋ねた。

「うん、いるよ、いつでもみんなのことを

待っている」

「なんだ、いるのか…」

とまた大祐がぽつりと言った。

「ずいぶんな言われかたね」

と私がこたえると、

「僕は千葉先生がいつまでも居てくれたら

嬉しいなんて素直に言えないんだ。

インフルエンザだから今は…」

と照れたように言い横を向いて座り込んだ。

 

私はいつまでもそこに居ていつものように

大祐たちと話しをしていたかったけれど、

思い切って言った。

 

「みんな元気でね。高校での活躍を期待

しているわ。いろんなことに挑戦してね。

勉強しかしない、自分の事しか考えない人

には絶対ならないでね」

 

大祐たちは黙ってうなずいた。

 

私は校庭を後にして教室に戻った。

卒業式が終わって誰も居なくなった教室に

ひとり立ち無我夢中で過ごした三年間を

思った。自分の考えを持ち自分に正直に

精一杯やった三年間だった。

 

初め私に反発し冷ややかな目を向けていた

大祐が私の生き方を認め、力を尽くし、生き

生きと輝いていた。そして私に年齢の差や

立場を忘れさせるようなひたむきな思いを

寄せてくれた。

 

大祐と私がお互いに愛情を持っていると

しても、それを口に出して言うことは決して

ないだろう。私たちの愛情は口に出せば、

すぐに消えてしまうような、純粋で繊細で

はかないダイヤモンドダストのような感情の

きらめきだった。それは、ひたむきに正直に

同じ時を生きた者同士でなければ持つことの

できない貴重な感情だった。

 

私たちは今日別れていく。

 

しかし、自信を失くし投げやりに生きようと

していた私に本当のことを気づかせてくれた

大祐を私は決して忘れないだろうと思った。

 

私の瞼に黒い詰め襟の学生服を着た

大祐の端正な横顔がいつまでも残っていた。

 

・・・・・・・<完>・・・・・・・

 

*鬱・夫の死を克服した作家&

インナーチャイルドカードセラピスト

村川久夢(むらかわ くむ)

 

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