素直に話し合えて良かったねオトーチャン

父が入院してから

私は父とよく話すようになった。

弟と交代で父の面会に行き、

夕方の2時間ほどを父の病室で過ごすからだ。

 

夕食前は口をゆすいだり、

ポータブルトイレで用を足したり、

ヒゲを剃ったり等、用事があるけれど、

夕食を済ませるとすることがなくなってしまう。

 

結局、暇つぶしのように

ベッドに並んで腰掛けて、

父と話しをすることになるのだ。

 

昔の父は説教ばかりで

話していても全然面白くなかった。

でも高齢になって、

認知症気味になってからは

幼い少年のようになって、

話しているとなかなか面白い。

 

父の話しに一家の支配者だった父の母、

つまり私の父方の祖母の話しがよく出てくる。

 

「お母ちゃんは気難しくて怖かった」

「お母ちゃんは気に入らんことは絶対に

『いいや』と言って聞かなかった」

「あの人に勝てる人はいなかった」

 

父に取って祖母は

かなわない存在だったようだ。

ある日、父と話していると、母の話しが出た。

 

「信子(母)は難しい家に嫁に来て

大変やったと思う。

苦労をさせて可愛そうなことをした

と言った。

 

昔の父は祖母に対して

何も言えなかったことを言い訳ばかりして、

私は釈然としないものを感じていた。

「オトーチャンはずるい」とも思っていた。

 

父がもっとしっかりして、

気位ばかり高くて頑固な祖母から

母を守ってくれたら、

私と母の関係はもっと良かったのに、

私は人の顔色ばかり見なくても

良かったのにと父を恨めしく思っていた。

 

私が結婚して

実家を離れた時期があったことや、

父が高齢になったことで薄らいだけれど、

父に対して釈然としない気持ちが

ずっとあった。

 

「信子(母)は難しい家に嫁に来て

大変やったと思う。

苦労をさせて可愛そうなことをした」

 

というような父の率直な言葉を聞いたのは

初めてだったような気がする。

 

「お母ちゃんは苦労したな」と私が言うと、

 

「ホンマや、そやけど、

子どもは二人ともええ子に育ってくれた」

父はそう言ってくれた。

 

父も大変だったんだなと思った。

父にとって祖母は自分の母であり、

祖母の苦労を痛感している。

気の優しい父は、

苦労の多い人生を送ってきた自分の母に

厳しいことを言えなかったのだろう。

 

それに、父には父のプライドもあり、

祖母の言いなりだったことを批判されると、

言い訳ばかりしてしまったことも理解できる。

 

父の素直な言葉が私の頑なな気持ちを

動かしてくれた。

ずっとずっとわだかまっていた気持ちを

解きほぐしてくれた。

 

「オトーチャン、

優しい娘と息子で良かったな。

上手に育てたな」

 

私が定番の言葉を言うと父は笑った。

父は90才、私は57才になったけれど、

素直な気持ちで話し合えて

良かったなと心から思った。

 

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*鬱・夫の死を克服した作家&

インナーチャイルドカードセラピスト

村川久夢(むらかわ くむ)

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