父の旅立ち

大根と人参を短冊に切ると、

京子はストッカーから鮭缶を取り出した。

鍋ではだし汁が沸騰し始めていた。

具材を鍋に入れると、

酒粕を小さくちぎってだし汁でふやかした。

 

雪が激しく降っていた。

 

母と京子、女二人の質素な食事だったが、

今日のように冷える日には、

粕汁は最高のご馳走だった。

 

「お父さん、粕汁好きだったね・・・」

妙子がポツンと言った。

「そうね、お父さんが粕汁を好きだから、

お祖母ちゃんはいつも張り切って

粕汁を作っていたね」

「お義母さんはお父さんに甘かったからね」

「でも、なんでも自分の思い通りにして、

お父さんがやりたいことは

何もさせてあげなかったよね」

 

京子の祖母初乃は旧家の跡取り娘だった。

婿を取ったが早くに死別した。

幸い借家を所有していたので、

生活には困らず、

初乃は一人息子の明彦を溺愛して育てた。

 

明彦は優しく物静かで、

初乃の言いつけをよく聞いた。

学業成績も良かった。

全てが初乃の思い通りに運んだ。

初乃は明彦を大学の法学部に進学させ、

弁護士にすることを望んでいた。

 

ところが、いつも初乃を尊重して、

言いなりだった明彦が、

どうしても大学は文学部に進学する

と言い出したのだ。

初乃がどんなに懇願しても、

明彦は断固として聞かなかった。

 

そして、大学に入学すると、

大学の文学サークル「歩」に参加し

熱心に文学作品を執筆し

サークルの同人雑誌に投稿し始めた。

 

初乃はそのことも快く思わず、

「歩」を辞めるように何度も明彦に迫った。

明彦は黙って聞いていたが

決して「辞める」とは言わなかった。

 

初乃は明彦が

ヤクザな文士になるのを恐れ、

兵藤家の名前に傷がつかない形を

懸命に考えた。

 

「教育者になるなら、聞こえもいい、

生活も安定している」と考え、

明彦に教員になることを強いた。

 

明彦は卒業後、高校の国語教師になった。

 

「お父さんはね、

本当はお母さんとなんか

結婚したくなかったのよ・・・」

「お母さん、また高坂さつきさんの話?」

 

京子はまたその話かとうんざりした。

 

高坂さつきは幼くして父を失い、

苦学して大学に進学した女性で、

「歩」のメンバーだった。

明彦のライバルであり恋人でもあった。

 

「お父さんは、私との結婚話がなかったら、

さつきさんと結婚したかったのよ」

「お祖母ちゃんがさつきさんを脅して

別れさせたんでしょ?」

 

初乃は最初から

高坂さつきが気に入らなかった。

明彦にさつきと別れるように

何度も迫ったが

明彦はひたすら沈黙しつづけた。

 

またとない良縁である

妙子との縁談が起こったのを機に、

初乃は明彦とさつきを引き裂く決意をした。

 

最初は電話や手紙で

さつきに明彦と別れるように迫った。

さつきは意志の強い女性で、

初乃の理不尽な要求を聞き入れなかった。

 

ついに初乃は

兵藤家に伝わる短刀を取り出して、

自らの腕を切り、

血でさつきに別れを迫る手紙を書き送った。

 

それでもさつきが聞き入れないと、

さつきの部屋に押しかけて、

明彦と別れないならば、死ぬと言って脅した。

 

さつきは、脅しには屈しなかったが、

初乃に対して何一つ抗議しない、

抵抗しない明彦に失望して、

ついに明彦のもとを去って行った。

 

「お父さんはね、その時、

『歩』も辞めたのよ。

お父さんは、あの時、

魂を失ってしまったのも同然だったのよ」

 

京子はまた「あの日」のことを思い出した。

あの日も今日のように

雪が降る寒い日だった。

あの日も家族で粕汁を食べていた。

祖母初乃が亡くなって間もない頃だった。

 

テレビである文学賞の入賞者を報道し、

入賞者のインタビュー映像が流れていた。

明彦が画面を食い入るように眺めていた。

 

高坂さつきが受賞インタビューに答えていた。

 

明彦は好物の粕汁を残して、

席を立ち自室に去った。

京子が片付けをしていると、

明彦がコートを着て、そこに立っていた。

夕食後に外出することなど、

まずない明彦なので不審に思った。

しかも外は、雪が降っている。

 

明彦は玄関の戸を開け、

激しく雪の降る外に出た。

京子は胸騒ぎを抑えることができずに、

父の後を追った。

 

「お父さん!どこへ行くの?」

 

明彦の背中に向かって言った。

明彦は振り返ると寂しそうに微笑んだ。

そして何も言わず、

激しく降る雪の中へ消えて行った。

 

そのまま明彦は消息を断った。

 

あの日の父の寂しそうな微笑みや

雪の中に消えていった背中を思うと、

言いようのない悲しみを感じた。

 

しかし、やっと祖母へ抵抗し、

自分の道を歩き始めた父を

今は理解することもできた。

 

「あの日」は、

父の旅立ちの日だったのだろう。

 

・・・・・・・<完>・・・・・・・

 

*鬱・夫の死を克服した作家&

インナーチャイルドカードセラピスト

村川久夢(むらかわ くむ)

 

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